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ヘイ・チャイナ・チャイナ

2005年08月27日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄
 南アフリカの町を歩くとよく「ヘイ、チャイナ、チャイナ」とおどけた様子で声を掛けられた。明らかに侮蔑した声だった。ゴミ収集車の黒人にも言われた。これには閉口した。「チャイナ」は世界中で通用するアジア人に対する蔑称だった。

白人たちは黒人たちを「キャファー」と呼んでいた。蔑称のひとつである。そのキャファーたちから「チャイナ」と呼ばれる気持ちはなんともやるせないものだった。自分の中にすでに白人優位の差別構造が存在していたのだろう。「白人にいわれるのならともかく、なんで黒人にまでいわれなければならないのか」。「いったい何様だと思っているのか」。そんな思いが心を締め付けた。

 海外で暮らして分かることは日本人がアジアの代表ではないということである。経済的存在感は確かに断トツなのだが、圧倒的な存在感はその人口が示す通り中国人なのだ。次いでやはりインド人ということになる。世界中どこにいってもチャイナ・タウンがあるし、インド洋周辺の東南アジアから東アフリカにかけてはインド人が商圏を握っていた。

 そのアジアがなんで「チャイナ」といって侮蔑されなければならないのか。侮蔑されるその土地でなんで住み続けなければならないのか。十代半ばだった筆者は悶々とした。

 古代において中国やインドは、黄河とインダスという世界四大文明を生んだ存在だったはずだ。しかし、つい最近まで中国もインドも国家としての存在感を示すことがなかった。中国人はアフリカの奴隷貿易が禁止された後、クーリーとして世界各地に浸透していった。インド人はイギリスによる世界支配の買弁として軍事力まで担う存在だった。

 少なくとも明治の日本はそうではなかった。貧しい中でも国論を統一して西洋から知識を学び取り、“富国強兵”に努めた。明治政府の最大の課題は江戸幕府が結んだ不平等条約の解消だった。鹿鳴館文化などというきてれつな現象が起きたのは、なんとか西洋に追いつきたいという悲壮な思いが明治の人々にあったからだと思っている。

 それに比べて、中国やインドが不幸だったのは白人に対するある種の敗北主義があったからではないかと考えた。白人社会がつくった上海租界の公園の立て札に「犬と中国人は入るべからず」と書かれても、西洋諸国に対抗すべき勢力は結集しなかった。インドの土侯たちはイギリス国王の庇護の下に入り、いままで通りの貧しいインドを放置したし、その貧しいインド人は進んで英印軍の傭兵となって同胞に鉄砲を向けていたのだ。

 南アの学校で相手を罵倒するときによく言っていたのが「Where is your conscience」というフレーズだった。「お前はばかか」「プライドってものがないのか」といったような意味だった。もちろん白人同士の話である。

「ヘイ、チャイナ」とわれわれをからかう黒人たちに言ってやりたかったのはまさに「Where is your conscience」という言葉だった。また差別され、侮蔑されてもじっと耐えるしかなかった中国人やインド人たちにも同じことを言いたかった。(続)

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