トビリシに来て2週間。何かと家事で忙がしくて遠出をしないリューバ母さんをさそってトビリシ観光と相成った。彼女はもともとは黒海沿岸のスフミ出身だが現在、アブハジア人の勢力下にあり買ったばかりの地図にはグルジア側の承認無しに国境線まで書いてあった。
1991年、ペレストロイカの時にグルジアが独立するとアブハジアでもそれに続き2年間の内戦となった。終結の結果は良く分からないが、またいつか内戦が無いとも限らない、と思ってる人は結構いるようだ。
仕事も無いスフミでの生活に希望も失せ家族をおいて心の洗濯にきているレーナと仕事をなくしたばかりの美容師のタムリコも一緒に行く。朝早いかと思ったら「3時出発!」と聞いてなんだか気抜けした。「何、小さな街だから2、3時間もあれば十分よ」とのこと。でも結局4時になった。
エムザリの車に乗り、大きな通り、細い通り、旧市街と展望台への道すがら「戦争前はどんなに綺麗だったことか。見て今のこのひどさは!」とリューバ母さんはため息をついて嘆く。ムタツミンダ(聖なる山)の展望台に着くと松林を抜ける強い風がざわざわと少し恐ろしげな音をたてていた。
展望台から遥か下に緑の多い市内を見下ろし、真中を流れるムトヴァリ川やトビリシ駅や空港の説明をエムザリから聞く。
私達の住む西のヴァケ方面は林に拒まれよく見えなかった。ムトヴァリ川の流れに沿って両側の丘に少しづつ上がって行くようにできたトビリシは、だからこの展望台の反対側にもなだらかな丘が続いていた。
その中にエムザリが住んでるという高くそびえ建つアパートの林も見えた。展望台にある建物、レストラン、ケーブルカー乗り場、ゲーム屋等などいまだ手つかずに荒れ果てて全てが止まっていた。レストランはどこか外国人の手に渡ったらしい。何年たったらすべてが美しく生まれ変わるのか誰にも分からない。
帰り道エムザリが面白いことをしてくれた。下り坂でエンジンを止めたら何と車が勝手にバックして行くではないか。「えーっ!どうして?」と驚くと道路の下に磁気が埋められていて、展望台への急な坂道を楽に上がれるようにしてあるのそうだ。すっかり感心してしまった。しかしそれにしても道はでこぼこだらけだでまともに走れない。
次に、このトビリシを作ったという人の銅像がある川のほとりの崖上の古い教会に行った。来週はグルジア正教の復活祭ということもあるのか小さな石造りの質素な教会は人で込み合っていた。今日はとても風が強く、下から吹き上げてくる土ぼこりに思わず目をつむった。
教会の真下に見える円形の交差点の真中の花壇は土で色分けしてアメリカとグルジアの国旗が作られていた。アメリカ大統領が来るまでには美しい花が植えられるであろう。
現在建設中の大きな教会への道すがらは昔のままの街並みだという低い家が続き、細い道路を走ってるとふと時代を遡ったかのような不思議な感覚にとらわれた。ピロスマニ(グルジア人画家)の絵で見たような・・・・・。
大きな教会は建設がまだ半分も終わってないらしいがそれでも人はいっぱいだ。敬謙な信者が多いと聞いていたが祭壇のすぐ傍で記念写真を撮るカップルや家族がいる。
「観光地と間違えてない?」。
ムトヴァリ川に沿った公園の芸術市では絵画、版画、刀類(ペルシャの剣みたいな)木の実や松かさの小物、色々な鳥の羽根を用いた絵とか、陶器とか実に様々なものがあった。私は昔のグルジアの風景や人々の暮らしを描いたものに一番惹かれた。もう店仕舞いなのか公園の真中ではテーブルを囲み10人ばかりのアーチストたちが酒を飲み交わし歌を唄っている。
しばし立ち止まって聞き惚れる。そして面白いことに気がついた。5、6人ばかりの男性がきちっとしたスーツにネクタイを締めているのだ。あれ〜街中ではさっぱり見なかったのに・・・・。日本だったら芸術家ほど自由な格好してるけどね。あっはっは。
ヴィクトリアと6時に待ち合わせたグルジアンレストランは川のほとりにあった。大きな木のまわりにグルジア風丸太小屋が並んでいて大小はあるがすべて個室になっている。ここの女主人はリューバ母さんの友人らしいが最初、3部屋から始まって、おいしいグルジア料理と確実な経営で今は10室を越えたそうだ。私達6人のための予約室は6畳ぐらいのこざっぱりした部屋だった。
鶏肉のグリル、ママリーガ(コーンの粉のご飯風なものに2種類のチーズを埋め込んでたべる)、プリ(ナン)、ハチャプリ(中にチーズが入ってるパン)鱒のグリル焼き、サラダ(きゅうりとトマト)グリーンソース、赤いソース、茶色のソース(どれもからい)等などをテーブルに揃え、飲み物はレモネード、ミネラルと控えめだ。私とリューバさんは主賓だからと赤ワインを飲まされたが・・・。
実はこの後、川向こうの温泉に行くことになっているのだ。
食事中突然、ラッパや太鼓のけたたましい音が聞こえてビックリした。グルジア音楽隊がお客様からお呼びの声がかかるのを待って時々アピールするらしい。
温泉はちょうどレストランの川向こうでそこに着くとまあるい屋根?みたいなのが地面の上に並んでる不思議な光景が見えた。予約済みの個室は地下らしく、階段を降りていくとかすかに硫黄の匂いがする。受付でバスタオルなのか身体に巻くのか、シーツみたいな布を6人分わたされたがそれ以外は銭湯に行くみたいにヴィカがぜんぶ用意してくれた。
着替え室、休憩室、垢すり台とシャワー室、そして温泉と4部屋ぐらいに分かれている。まさかグルジアで温泉に入れるとは思ってもなかったのでとても楽しみにしていたが洗い桶もお湯の出る蛇口もない。あ〜と思ったがまあしょうがない。みんなに続いてローマ風呂みたいな大理石の円形ふろに入る。ぬるめで結構いい感じだ。天井がまあるいドームになっていて空気口みたいのがあった。あれか、さっき見えてたのはと一人で納得する。
グルジア式垢すりがあるというのでみんなで体験することになった。お湯で流してくれた大理石のベッドに裸のまま寝ると垢すり専用手袋をはめた、がっちりした女性が首筋から足の裏まで丁寧にこすってくれるのだ。
気持ちはいいのだがどうも足の先一段低いところにみんながいる浴湯があって、そこへ向かって足を広げて寝てるのもなんだか落ち着かない。
そこへきて垢すりが終わった後にお湯をかけてくれない。おばさんのそばには50センチ四方くらいのため湯があるんだから、バケツでざばあーっとかけてくれたらさぞかし気持ちがいいのに・・・・とちょっと欲求不満ぎみ。
垢だらけのままベッドから起きて隣りのシャワーで洗えといういうことなのだが実はこれもシャワーでなくて水道ほどの細いお湯が上から落ちているだけで何とも洗いにくい。でもまあ思いがけない垢すりはとても楽しい体験だった。
今度くる時は風呂桶をもってこよう。それから垢すりする時は、やっぱり最後にざざざーっとお湯をかけてくれるように頼んでおこう。うん!
ニーナにメール mailto:nina2173@v7.com
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