「その長さは少なくと16センチメートルに達していなければいけない。昔はは17センチだったのに、、」と誰かがいうと皆が爆笑した。何が話題にされていたかというとコンドームの長さの欧州基準である。
昔ドイツ人が欧州統合に対する不満を表現しようとすると、バナナの曲がり具合まで欧州共同体が決めることを嘆くのが定番だった。私はバナナからコンドームに移ったことを知る。数日前妻の高校時代の同級生10人近くが我が家に集まってワインを飲んでいたときのことだ。
■反対することはタブー
欧州統合が話題になったのは、欧州憲法の批准がフランス、つづいてオランダの国民投票で否決されたからである。今までドイツ、イタリア、ベルギー、オーストリアなど、全加盟国の半分が(スペインをのぞいて)国民投票でなく議会だけで批准をすませた。欧州連合では昔から加盟国が全員賛成しないと決議が成立しないことになっている。昔デンマークがマーストリヒト条約を、4年前アイルランドがニース条約を、それぞれ国民投票で否決したが、一年後に投票を繰り返して批准に成功した。
ところが、今回はそのようなかたちではすすめることができない。フランスもオランダも欧州では欧州統合の最初からの参加国で、また推進国と見なされてきた。そのような加盟国の国民の反対は欧州統合の根幹にふれる。また反対がそれぞれ55%と62%で、これは僅差といえない。
国民投票が予定されている国々(例えばデンマークやポーランド)では、これまでは世論調査で批准賛成者が多数だった。ところが、フランスとオランダが国民投票の結果が出てから反対が多数になった。こうなったのは、加盟国の国民にとって欧州統合に反対するのに勇気が必要であり、反対する他国民を見てその勇気が生まれたことをしめす。そうであるのは反対することがタブーで、現在多くの加盟国でこのタブーが小さくなりつつあることになる。
反対がタブーであるのは欧州統合がどこでも大義名分で国是になっているからだ。野党は自分の存在価値をしめすために少々文句をつけるが、表立って反対しない。あまりすると、政権担当能力を疑われる。メディアも「大政翼賛会」的になり批判者を極右扱いする傾向があった。このような状態では、国民は今まで政府が外国と合意したことを「既成事実」として承認するだけだった。人々がバナナかコンドームかを挙げて自嘲するしかなかったのは自分たちが蚊帳の外に置かれていることを承知していたからである。
欧州の政治家は、自国民が反対できない非民主的な方式に慣れてしまっている。だからこそ、彼らは今回のフランスとオランダの国民投票の結果に狼狽を隠すことができない。次に彼らが一番おそれるのは、今後他の加盟国が国民投票で批准を否決していくうちに人々が欧州憲法に反対するだけでなく、欧州統合という大義名分が崩れ、それに反対することがタブーでなくなることである。
そこで、一年ぐらい欧州憲法批准を中止してようすを見るこにする。ほとぼりが冷めたところで、批准を続行するか、それとも欧州憲法を受け入れやすいものに変えるかどうか決めるということなりそうである。
■憲法と条約の相違
欧州連合(EU)は加盟国の国民から見たら本当に遠い存在であり、この超国家的機関の中では民主主義が機能しにくいといわれる。普通の国家では、選挙で選ばれた政治家が(、行政府の役人の協力を得ることがあっても、)立法を担当している。ところが統合欧州ではそうなっていない。
バナナの曲がり具合やコンドームの長さの基準からはじまったさまざまな欧州ガイドラインなどの法案を作成しているのは欧州委員会(ブリュッセル)である。この機関は普通の国のしくみでいえば省庁であり、そこには欧州官僚と呼ばれるお役人が働いている。現実には、このお役人と識者・業界団体ら関係者からなる諮問委員会がいっしょで法案を作成している。どちろも選挙で選ばれた人々ではない。
欧州議会に加盟国の国民から直接の選挙で選ばれた代表者がいるが、ここは法案を作成しないので立法機関とはいえない。この機関は(企業でいえばで監査役会のようなもので、)監視機能を果たしたり、一部の法案に対して同意したりするだけである。次に、本当の重要事項は欧州委員会から閣僚理事会にまわされる。ここは加盟国政府の代表者、担当大臣が(外交)交渉をする舞台である。
こう見ていくと、欧州連合の中で活躍しているのは行政関係者ばかりで、本来民主主義のかなめとなる選挙で選ばれた立法府が極端に弱いことになる。自国政府が閣僚理事会で合意したことは、すでに述べたように、欧州統合が超党派で進められているために、国民は「外圧」として承諾するしかない。
このような状態では、加盟国の国民がだんだん自分たちにコントロールできない欧州官僚機構に支配されているという感じを抱くようになってもしかたがない。逆に見れば、これは、欧州連合に関係する政治家やお役人が加盟国国民の現実から遊離していくことでもある。今回拒否された欧州憲法が483頁もあるが、こんな分厚いものを「憲法」と呼ぶことじたいが現実感喪失の証拠といえる。
これを「憲法」でなく「条約」と呼んでおけば、フランス国民も今までと同じようにキリキリで通してくれたかもしれない。「憲法」となると知らん顔できなくなる。今回フランスの有権者の12%は、この「憲法」の200頁に及ぶ簡易版の全部、もしくは大部分を読んだとアンケートで回答している。ちなみに選挙民の46%は抜粋で済ませた。
このような話を聞くと私は少し感動してしまう。ドイツでは5月12日連邦議会で594人の議員のうち569人が批准に賛成した。でも彼らのうちに何人がこの「憲法」を読んだのであろうか。ちなみに欧州憲法の第一部47条によると100万の署名が集まると市民請願権が成立する。ドイツ公営テレビ放送のある批判的番組は与野党6人の連邦議員に「欧州憲法に市民請願権が盛り込まれているか」という質問をした。そのうち5人の議員は正しく回答できなかった。ということは、大部分の議員はこの憲法を全部読むことなく批准で賛成したことになる。
■ネオリベラリズムに反対
ドイツの庶民は、統一通貨ユーロの導入で食料品などの生活必需品の価格が二倍近く上昇したと思っている。確かに家賃のように価格が変わらなかったものも、電気製品のように値下がりしたものもあり、物価は上がっていないと説明された。とはいっても、生活必需品の値上がりはエンゲル係数が高い低所得層、裕福でない多数の人々には厳しいことであった。オランダの国民投票ではこのユーロ導入後の物価上昇に不満な社会的弱者が反対にまわったといわれる。このような状況に直面してオランダ中央銀行総裁は「統一通貨が及ぼす効果を前もってよく考慮していなかった」ことを認めた。
社会的弱者が憲法に反対し、社会的強者が賛成するのはフランスでも見られたパターンである。例えば、家賃が上昇して庶民の住宅地でなくなったパリ市内やまた高級住宅街のヴェルサイユの周囲では賛成票が、いっぽう比較的貧しい人々が住んでいるパリ北部郊外では反対票が多数を占めた。
冷戦時代、東隣にある共産主義と対抗しなければいけないこともあって、西欧諸国は、社民党が政権を担当していようがいまいが、社会保障や税制によって富を再分配して、比較的貧富の格差が小さい社会をつくることに成功した。人々は自分たちのこのような社会を破壊するものとして欧州統合を見なして欧州憲法批准で反対したのである。
ユーロ導入前、多くのエコノミストは、通貨を共有する巨大な統一市場が出現し、ユーロ圏内の経済が活性化されて、雇用が創出されると説明した。ところが、実際に起こったことは異なる。確かに企業は統一市場によって利潤を倍増させることができたかもしれないが、投資先は低賃金のユーロ圏外であり、西側では雇用が生まれなかった。それどころか、それまで西欧諸国にあった生産拠点をより低賃金の東欧やアジアに移転させる企業も出てきた。これは雇用喪失につながる。
昨年ポーランド、ハンガリー、チェコといった8カ国の旧東欧共産主義諸国が欧州連合に加盟した。この加盟も「(それが)及ぼす効果を前もってよく考慮した」結果かどうか疑問である。例えば、ドイツのアウトーバーンには駐車エリアがありドライバーが休憩できるが、そこで見かけるトラックのナンバーはドイツやオランダであったりするのに、運転手の多くは東欧圏出身者である。彼らは本国の会社に勤務したまま長期出張し西ヨーロッパの運送会社で働いているといわれる。これは、企業にとって本国並の賃金+アルファですませることができるので重宝である。反対に今までトラックの運転手だったフランス人やドイツ人には失業を意味する。似たようなケースは今や無数にある。
資本、人間、商品の移動を自由にして企業家が活動しやすいようにして規制もなくして市場原理にゆだねると経済も社会もよくなる。そう考える人々が中心になって今まで欧州統合をすすめてきた。この市場こそ「神の御心」とする考え方はネオリベラリズムと呼ばれる。欧州憲法はこのネオリベラリズムと直接関係がないが、この考え方による欧州統合に不安を感じる人たちが今回の国民投票で反対票を投じた。でも欧州統合とネオリベラリズムとはほんらい別々のことで、別の考え方が欧州連合の中で強調されてもよいといわれる。
■欧州統合の二つの原理
欧州統合は外から見ていると理解しにくい。そうであるのは、二つの異なる原理が絡み合って統合が進行してきたからである。昔ドイツの著名なジャーナリストがピンとこない顔をしている私にウィスキーをすすめながらそのことを説明してくれた。(昔ドイツ人はウィスキーなど飲まなかったので久しぶりの私は当時大感激。)その一つめの原理は一つの国家になる道をすすんでいることで、そのまま行けばいつか米合衆国やソ連邦に似たものになる。二つ目の原理はできるだけ国民国家のままにとどまろうとすることである。このジャーナリストは欧州統合がそれまでこの二つの原理で進行してきたし、今後そうあるべきだと強調した。欧州諸国は(米国に似た)欧州合衆国になって加盟国がその個性ある国民性を失う事態は避けるべきである。彼は、そうならないことが可能であることを示すために中世ヨーロッパの神聖ローマ帝国を参考に挙げた。
この二つの原理であるが、加盟国が一つの国家をめざすので「これは国家でなくなろとすることである。同時に国家でありつづけようとする」なんて、私には当時「禅の公案」のように思われた。でも矛盾する二つの原理を脳裏にうかべながら欧州統合を眺めると理解しやすい。加盟国の国民から選ばれた議員がいる欧州議会は、欧州連合が一つの国家として見なされているので、一つ目の原理の反映である。ところが、すでに述べたようにこの議会の権限は制限されている。この制限されていることも、また同格の主権国家同士の外交交渉である閣僚理事会が重要であることも、加盟国が国家のままでとどまるべきとする二つ目の原理の実現として理解できる。
冷戦時代米ソのはざまに位置する小国の互助組合としてはじまった欧州統合は、「禅の公案」的試行錯誤をしながらゆっくり進行した。ところが、今や統合テンポの速さに不安を覚えている人が多いとされる。欧州統合に加速がついたのは、東西ドイツ統一にフランスの支持をとりつけるためにコール首相(当時)が通貨統合に承諾して、その結果マーストリヒト条約が調印されてからである。同時に欧州統合の重点も変化した。
冷戦時代、統一通貨の導入を要求するフランスに対してドイツは首をたてにふらなかった。その本当の理由は強い自国通貨・マルクを失いたくなかったからであるが、そういわないで、欧州で政治的統合が政治的統合とくらべて進展していないことを理由に挙げて断った。マストリヒト条約で統一通貨に承諾したドイツに対して、それ以来フランスをはじめとする隣国が政治的統合を進めることで歩み寄ろうとしたのが、今までの欧州統合の大きな流れである。
今回、フランス国民投票の批准賛成者の52%が「欧州も米国、中国、インドといった他の大国と並ぶように強くなるために憲法が必要」と回答したが、マストリヒト条約以来の欧州政治統合はこのようなフランス的大国願望・覇権主義に引きずられてきた傾向がある。これは「欧州合衆国志向」という一つめの原理が強調され、加盟国が国家のままでいるべきとする二つ目の原理が後退することであった。
新しい国々が次から次へと加盟することは欧州連合(EU)の威光の増大で、欧州覇権主義者の大国意識がくすぐられることであった。また「欧州合衆国志向」型の政治統合は、内部では独仏が露骨にリーダー国としてふるまい小国が慢性的に不満を抱く構造ができあがった。例えば今回の欧州憲法によると、主権国家同士の交渉の場である閣僚理事会で拒否権が通用する範囲が小さくなる。これは小国の力が弱められることで、オランダ国民が反対した理由の一つだった。
今回のフランスとオランダの国民投票の結果は統合の軌道修正をうながす警告である。もしかしたら昔のような「禅の公案」的欧州統合に戻るかもしれない。
美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
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