必修化された臨床研修が始まって1年が過ぎた。
厚労省が研修必修化に向けて掲げた「医師としての人格養成」「プライマリー・ケア(一次医療)への理解を高め、患者を全人的に診ることができる基本的診療能力の取得」「アルバイトをしないで研修に専念できる環境整備」という理想とは裏腹に、人手不足が慢性化している病院側には多くの混乱が生じ、指導医への負担が高まっている。制度的にまだまだ見直す点は多いだろう。
いつの時代も「学生さん」から「白衣の先生」に変わったばかりの研修医は、いきなり飛び込んだ臨床現場で「生命の重さ」の洗礼を受ける。必修化された臨床研修は、その重さを研修医の心に「原点」として刻印させる作用を強めたようだ。
今年3月、佐久病院につどった15名の研修医の1年を追ったドキュメント・NHKスペシャル「研修医・理想に燃える若者が直面する生と死」が放映された。私たち自身の研修医時代を振り返る意味でも、番組で描かれた研修医の姿をご紹介したい。
その研修医は、「患者さんに頼られる外科医を目指したい。何がきても最初に判断を間違えない。先生、切ってくださいといってもらえる医者になりたい」と宣言して研修を開始した。
彼が配属されたのは「総合診療科」。佐久病院のなかで、最も「厳しい」とされる科だ
ここは、複数の障害を抱えている人、そして高齢者特有の病気に罹っている人たちの治療を担う。総合診療科の医師には多角的な医療知識と、患者の生活背景までを把握した対処が求められる。
研修初日、新卒の研修医は、うっ血性心不全と気管支喘息、さらに肺炎を患うおばあさんの担当を命じられた。彼は、椅子に腰かけて参考書に目を落としたまま、じっと動かなくなった。指導医になった11年目の医長が、たまりかねて声をかけた。
「朝から、ずっとそうやってるようだけど、何か、進展したの?」
研修医に、おばあさんの脈拍、呼吸の状態を細かく観察するよう指示が出される。おばあさんが、息苦しさを訴える。血液検査の二酸化炭素値が通常の倍ちかくにはね上がっていた。「マジ、高いっすよ」と若い研修医は驚き、「どうしました?」と、苦しむおばあさんに恐る恐る声をかける。
「オラさ……おっかなく、なっちゃう」と、か細い声。
研修医は、カメラに向かって言う。
「(病室で)診察して、所見とって、(医局に)帰ろうとすると、患者さんが、ありがとうございますって言ってくれる。なんていうんですかね、この人、ほんとに……なんとかしなきゃいけないって……思います」
研修医が、命の重さをひしひしと感じ始めたころ、おばあさんの容体が急変した。
喘息の悪化で呼吸不全に陥った。医長は気管支拡張薬の吸入、点滴の処置をしながら「がんばろうね」とおばあさんに大きな声をかけた。研修医は、その横で呆然と立っている。
「おまえにできること、考えているか」と医長が叱咤する。
「みつかり、ません」と、研修医がつぶやく。
「みつからない? 患者さんに声をかけて!」と医長。
しかし研修医は声もかけられず、おし黙ったまま、おばあさんの手を握り続ける。医長が、おばあさんの家族を呼び、万が一に備えての話し合いがもたれた。そのミーティングの席から、研修医はすーっと夢遊病者のように離れてしまった。
じつは、私も研修医だったころ、似たような行動をとった。担当を命じられた患者が亡くなって、病棟を離れ、佐久病院がある臼田(うすだ)の街から山道に入って1時間近く、何も考えずほっつき歩いた。悲しいとか、苦しいという感情よりも、とにかく人の死が「不条理」で仕方なかった。
ついさっきまで生きていた人が、目の前で人生の幕を閉じる。医学知識を総動員して、どのように解釈しようとしても、解き明かせない。何のために懸命に治療してきたのか、一瞬で目の前が白くなってしまったことをつい昨日のことのように思い出す。
家族との話し合いを終えた医長が、研修医に「万が一のときは延命措置を行わないことに決まった」と伝えると、研修医は「はぁ──っ」と深いため息をついて、メガネの奥の涙を拭った。医長は話しかける。
「僕らにできなくて、先生にできることは何か? 時間をつくって患者さんのそばにいること。容態を観察して、変化があったらキャッチして知らせる。重要な役目があるんだ。患者さんのそばから離れるな」
その夜、懸命な治療の効果があって、おばあさんの呼吸は安定した。生と死を分かつ峠を越え、危機を脱した。
研修医は一枚の紙をずっと大切に保管している。おばあさんが一番苦しんでいたときの血液ガス分析の検査票だ。五里霧中で、悩み苦しんでいたときの「証」。いつまでもあのときの気持ちを忘れたくない、そう思って、研修医は検査票を持っている──。
この研修医が「特別」なのではないだろう。使命感に燃えて、医師として第一歩を踏み出した者は、誰しも「生命の重さ」に一度はおしつぶされそうになる。徐々に経験を積み、あちこちに頭をぶつけているうちに重さに耐えられる力が身についてくる。
しかし、それが日常化してくると悲しいかな「生命の重さ」を感じる力は逆に減退する。私たちは、常に「生命の重さ」を自らに問いかけ続けなければならないだろう。
研修医時代に経験した「原点」は、その医師の精神的な脊柱を形成する。
30数年前から全科ローテートの臨床研修プログラムを実践してきた佐久病院の一貫したテーマは「病気ではなく、人を診る医者になれ」である。
色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
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