火曜日、木曽の上松に行った。8年後、伊勢神宮で式年遷宮がある。神さまのお引っ越しは20年ごとにある。いつもすがすがしいところにお住まいいただくというのが趣旨だそうで、1300年前の持統天皇の時に始まった。8年後に向けた造営に使う御神木を切る儀式「御杣始祭(みそまはじめさい)」が6月3日にあるため、下見に行った。
■尾張藩から続く営林
上松は谷あいの町である。木曽川に張り付くように街並みがあり、面積のほとんどは森林である。その川筋から西へ林道を15キロ行ったところに赤沢休養林がある。天然のヒノキが育つ国内でも数少ない美林地帯である。いまは国有林だが、戦前は皇室の御料林、その前の江戸期は尾張藩の御用林だった。伊勢神宮の遷宮や大きな寺社の造営のため400年近くにわたり保護されてきた。
御嶽山に連なる南麓の長野県から岐阜県にかけては「木曽の五木」といってヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキなどの針葉樹が生えている。江戸時代は「ヒノキ一本、首ひとつ」といって伐採が禁止されていた。広大な国有林はいまも入山が厳しく制限されている。
今回の遷宮のために切り出される予定の御神木は赤沢休養林の駐車場からさらに10分ほど専用道を走った深い山中にあった。
森の土は何百年もの間、積もった枯れ葉でできている。歩くと雲の上にいるようである。靴が沈み込む感触がなんともいえない。息を吸うとまた別世界である。質感のある気体を吸い込むと体のすみずみまで空気が染みわたる不思議な感覚がある。
冬は気温が零下20度まで下がるというから、植物の生育には厳しいが、それだけ剛性の高い樹木が育つのだそうだ。人間がめったに足を踏み入れることのない世界とはいえ、御神木に必要な樹齢300年ものヒノキはそう多くあるわけではない。
案内してくれた木曽の杣である藤澤佑吉さんは言う。
「20年前も最後の御神木切り出しといわれたが、またその切り出しのときがきました。御神木は2本切り出すのですが、儀式では二本の御神木が交叉するように倒さなければなりません。間隔が20メートル以内でないと重なりません。山中からそんな状況で生えている樹齢300年のヒノキを探し出すのです」
■木を慈しむ文化
木は日本の文化である。高度に発展した文明で木が中心となっていたのは日本だけだろう。木は決して弱い建築材ではない。法隆寺の修復に当たった故西岡常一氏は名著『法隆寺を支えた木』(NHKブックス)で述べている。1000年を経たヒノキでつくられる建物は1000年の命を保つと。
伊勢神宮の場合は少々違う。300年持つ建材であるのに20年ごとに建て替える。逆に常にその用材を必要としていることが森の存続を意識させる。人々にそんな営林の意識を育ませているのだとしたら一つの英知であるといえるかもしれない。
前回1985年の御杣始祭のビデオをみせてもらって、いくつもの感慨に浸らされた。樹齢300年の御神木は三方から小さな斧で1時間もかけて切られる。木曽特有の「三紐伐り」(みつひもぎり)という伐採方法だそうだ。今どき森林を伐採する際に斧を使うことはまずない。20年に一度だけこの地で儀式として残る。木は切るものではないのだそうだ。杣人(そまふ=きこり)の間では「寝かせる」という。切り倒した木が傷まないよう心配りが不可欠なのだ。静けさの中にコーン、コーンという斧の音が響き渡る光景は荘厳である。
残念ながら御杣始祭は関係者にしか公開されていない。しかし、NHKは昼にその模様を全国中継する予定である。また上松町では6月4日、5日と「御神木祭」を行う。両日、JRは普段は止まらない中央線の特急列車を上松駅に止めるというから多くの観光客で賑わいそうだ。
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