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経済危機の続くキューバ

2005年01月10日(月)
京都大学教授 大西 広
 貧困化したキューバの市民生活

 年末に機会があってキューバを訪問し、多少の経済視察を行ったが、それは大変にショッキングなものであった(この機会を下さったのは日本におけるキューバ研究の第一人者である新藤通弘氏である。また、以下に紹介する諸事実の多くは氏の著作『現代キューバ経済史』大村書店、2000年によっている)。

 キューバはソ連・東欧の崩壊によって、高価格での砂糖の買付けが停止し、93−4年にはGDPがピーク時の60%にまで縮小するというような経済危機に陥り、それは2004年の5%の経済成長によってもピークの回復には至っていない。というより、苦しい生活の実態を話してくれたツアー・ガイドやハバナ大学の学生の話が最もリアルであって、これはすべて公式の交流以外のものであった。このことも含めて、ここでは簡単に紹介を行ってみたい。

 そこでまず最初の問題は、現在の人々の生活であるが、ほぼすべての部門が国営か協同組合となっている下で、そこでのサラリーは月にして260ペソから500ペソ程度しかない。が、これは実は10ドルから20ドル程度の金額に過ぎず、超低価格の配給品の購入によってもとても間に合うものではなく、たとえば、配給品でもタバコ1箱で2ペソし、またヨーグルト1個で2ペソする上に、証明書がなければ買えないから、結局高価な自由市場で購入するしかない。

 この場合、たとえば、缶コーラ一個だけで13−25ペソにもなるので、人々は決められたサラリー以外にどのようにして収入を得ようか必死というのが実情である。そのため、売春が一部で復活する一方、ガイド・通訳など外国人相手のビジネスが流行り、私も一人ハバナ大学の英語教師を一時間10ドルで英語とスペイン語の通訳として雇った。この「10ドル」が通常の一カ月分の給料に当たるのであるから、いかに国有経済が壊れてしまっているかが分かる。

 どの職業が良いかと聞くと、きまって「教師や旅行ガイドはチップなどいろいろ副収入があるからいいが、医者にはないので可愛そうだ」などという回答が返ってきたが、そんなことばかりを考えねばならなくなっているキューバの民衆の状況を知らねばならない。こうした「別収入」の手段を一切持たない年金生活者などは困り果てているはずで、ある街角のオープン・カフェで私もそれらしき老女から物乞いをされたことがあった。

 ついでに言うと、ホテルのすぐ横にあった名門ハバナ大学に行くと、門前で「Can I help you?」と勝手に学生が近づいてきて聞いてくる。英語ができるので外国人の何かの役に立ち、それで副収入を得ようとしているのである。

 爆発寸前の国民の不満

 実際、私はその彼ではないが、このハバナ大学の中を散策している時に別の二人組の学生に会い、話をしているうちに「面白い青空ギャラリーがあるから見ないか」と誘われ、それに乗っているうちに飲み物代なども含めて二人に総計20ドル程度を払わされてしまった。この学生は貧しくて毎朝砂糖水しか「朝食」に取れないという。確かに理論的にもその程度の生活の切り詰めがなければ生活できないはずである。

 ところが、この学生との会話で特にショッキングだったのは、カストロ政権をひどく嫌っていて、「あれは社会主義じゃない。フィデリズム(カストロの名「フィデル」をとったネーミング)だ。」と述べたかと思うと、「社会主義は駄目だ。資本主義が必要だ」とも言った。

 私は彼らに「中国経済を研究している」と言っていたので、「中国は共産党の下でうまく行っている」と述べると「あれは資本主義だ」とまた反論されてしまった。この私もまた「あれは資本主義だ」と思っているので再反論できなかったが、ともかくカストロ政権への不満は実は広範に存在しているのではないだろうか。この学生はキャリアを失いたくないので自分がこう言ったことは口外しないで欲しいと言っていたが、このことを逆に言うと、世間で政府が批判されていないからと言って人々の内心もまたそうであるというわけではない。

 訪問するところ各地にはゲバラの写真と建国の父ホセ・マルティの像こそあったが、カストロの肖像は博物館や政府系の建物でしか見なかった。「政権への不満」はかなり深いところで渦巻いているというのが私の印象である。

 もちろん、2004年には約3%の経済成長によって不満の根源であるところの庶民の生活は多少は改善しているし、「キューバは政権に腐敗が無く、危機に際してはまずは官僚機構のスリム化から手をつけ、ひとつひとつ大衆討議で経済政策を決めているから政権は支持されている」との意見のあることも承知している(たとえば、雑誌『QUEST』第27号、2003年9月号)。が、やはり現実を見るとそうした評価はかなり甘いものと言わざるを得ない。

 たしかに、たとえば94年における公共料金や観覧入場料の値上げや有料化半年に渡る全国民的規模の討議が行なわれ、「労働者の国会」と名づけられたこのキャンペーンには300万人もが参加している。討議や合意なしの値上げではなく、それを経た上での負担転化であることによる不満の抑制は確かにあるものと思われる。また、キューバ自身の経済政策の失敗ではなく、ソ連・東欧の崩壊、アメリカの締め付け強化という外的要因が直接の危機の原因であったという意味で不満の矛先が政権に向かなかったということも言えるだろう。

 がしかし、たとえばそれでもこの時の値上げ率は、葉巻タバコ80−100%、ラム酒270%、個人用ガソリン375%、都市・都市郊外を除く鉄道料金60・8%、非都市交通のバス料金116%となっており、電気料金も累進制の形で値上げされているのであるから、これで庶民が「不満」を抱かないはずはない。

 そして、実際、93年と94年の二度にわたって国外脱出事件が生じ、93年には抑えられたものの94年には政権自身が脱出阻止を諦めるといった状況となった。アメリカの「亡命者優遇政策」があるとは言え、この時には同時に騒擾事件にも発展しており、事態を甘く見ることはできない。

 「キューバの成功」の真実

 ということであるから、問題はこうした事態を我々がどのように考えるかということになる。そして、そのひとつの回答は、小国が国際情勢の激変の下で翻弄されているというものであろう。革命前のアメリカの野蛮な植民地主義、革命後におけるアメリカの経済封鎖、また90年代以降はソ連・東欧の崩壊によって生じた貿易上の困難といったように外的要因が常に困難の原因となっていた。

 これがまさに実際小国、特に途上国の政治変革の制約要因となっていたのであって、たとえばチェ・ゲバラがキューバ防衛のためにも他国での連続的な革命が必要だと考えた理由もここにある。あるいはまた、逆に考えて、こうしていつも困難の原因を外に見つけることができたために国民の不満が政権に向かうのを阻止できたということもできる。

 がしかし、ここでもう一度よく考えてみると、経済困難が「克服」されていたとされる時期における「史上前例のない平等社会の達成」というものもソ連による高値の砂糖の買付けという外からの援助なしにはありえなかったのである。あるいは、さらに言って、それ以前の社会資本はアメリカの手によるものが非常に大きかったものと思われる。

 私はハバナの最高級ホテル「ハバナ・リブレ」に宿泊し、なかなか良いものを作っているじゃないかと最初は感心したが、よく聞いてみるとそれは革命前のヒルトン・ホテルであった。現在はそれもスペイン資本とのジョイント・ベンチャーになっているが、ともかくこうした「アメリカの置き土産」でこれまで食べて来たのではないかという印象を与えられてしまう。

 もちろん、こうした高級ホテル群だけでなく、農業資本が置いていったプランテーション、石油精製資本や製糖資本が置いて行った何百という数の工場、電話通信資本が置いていった設備などもあり、またさらに言うと、彼らと一緒に亡命して行った金持ちのキューバ人たちの家屋などの資産も大きい。

 ハバナ市内の住宅と言えば、そのほとんどが彼らから接収された住宅ではないかと思われるほどである。これだけの大量の資産を一気に革命で手に入れたのであるから、そこからしばらくはただ貧民への再分配のみを考えるだけで経済運営ができたというのも理解できてしまう。これらはすべて広義の「対外関係」から獲得されたものであるというのが重要である。

 なお、ついでに言うと、「革命後の達成」として常に強調されているのが大学に到るまでの教育の無料化であり、それによる非識字人口の根絶である。そして、これは現在でも特別に重視されていて、学校のクラスの人数を15名にするとか、すべての学校に中国製のテレビとコンピュータを設置するとかの措置が計画されている。が、その実態にも多くの問題がある。というのは、こうして長期に全人口が高度の教育を受けて来たはずであるのに、たとえば殆どの人々が英語さえできないことである。

 もちろん、これまでの主要な外国語教育がロシア語やドイツ語、ハンガリー語などであったということも理解できる。が、その時代からすでに十数年が経過している。また、私が問題としたいのは、単に学校が充実しているというのでは駄目で、人々が自身でどれだけ学ぼうとしているか、あるいはそうした国民的な雰囲気をどう作るかであると思う。

 日本の塾通いをここで挙げるのは避けるが、たとえば同じ途上国である/あった中国や韓国での教育への姿勢にもっと学ばなければならないのではないか。中国や韓国の市内には至るところに語学学校やパソコン学校などの宣伝が並び、人々は自身のスキルアップに余念がない。

 あるいは、たとえば外国人相手にタクシーをしようとするものなら、彼らは一生懸命になって自分で外国語を勉強する。こうした社会的雰囲気を作ることなしに真の知識社会を形成することはできず、そのことの方がずっと大事だというのが私の意見である。ついでに言うと、ハバナ市内でもほとんど本屋を見かけることができず、このことも大きな問題だと感じた。

 対外関係上の経済改革がもたらす不平等と社会問題

 ところで、上でこれまでの「成功」はすべて「対外関係」から獲得されたものではなかったか、との疑問を述べたが、ある意味これは現在にも続いた一貫した政策といえ、現在の「経済改革」の中心も外資導入、観光業の発展といった対外経済関係にある。

 これは、中国や北朝鮮、ベトナムなどの経済改革が自営農の創出という国内的なものを優先させたのと対照的である(北朝鮮では「自留地」形式の半自作農化)。こう言うと直ちに1993年からの国営農場の協同組合生産基礎組織(UBPC)への再編のことを言われるが、この程度の再編では個人の生産意欲をかきたてるものとはなっていない。

 また、よく聞く「キューバでは農業人口は少なくて・・・」との反論があるかも知れないが、それを言うなら北朝鮮でもかなり農業人口は少なくまた大局的には小国であると再反論したい。あるいは、農業部門でも作物転換や農法の技術的改良の努力が相当に進められているが、これらは経済政策としての農業改革というものではない。

 ケ小平を初めとするアジアの経済改革の指導者たちはなるべくマイナスの副作用の少ない経済改革から始めようとし、それが農業改革であった。工業部門での企業改革は失業を作り出すから当初からの導入は危険であるが、キューバでは余剰人員の吐き出しという意味でのそれが先行して進められている。農業を利益のあがるものにし、よって余剰と転職先を確保した後に企業改革に進んだ中国の経験がどこまでキューバで掘り下げられ、消化されているのだろうか。

 がしかし、ここでの問題は国内経済改革について細かく論じることではなく、対外関係としてできるものがどうして国内改革ではできないのかということである。あるいは、言い換えて、市場メカニズムは貧富の格差や腐敗を招来するから危険という理由での国内改革の躊躇を一旦理解したとしても、それなら他方の「対外経済改革」、すなわち外資の導入や観光業のプッシュにはそうした問題がないのかということである。

 もちろん、たとえば外資の導入にも、キューバにない技術や資金、新市場を持っているかどうかということが許可の条件とされていて、野放しではない。がしかし、外資の入っている高級ホテルの従業員はすでに平均的な労働者の数倍の賃金を得ている。また、その周りには、冒頭で述べたような外国人相手の様々な私的な営業が群がっており、この時点ですでに「平等社会」との建前は単なる建前になってしまっている。

 国内改革としての「市場メカニズムの導入」がなくとも、外資の導入と大量の外国人観光客の受入れさえあれば、ただそれだけで貧富の格差をもたらすに十分なのである。ついでに言うと、この「建前の崩壊」は貧富の格差だけではなく市場化についても言える。富める者はすべて非国有セクターから所得の得ているのだから、実態はすでに「市場化=私営化」もまた相当に進んでいるというのが本当のところである。

 が、それだけでもない。売春のような直接的なものを除いても、広義の「社会問題」がこうした海外政策によって必ず生じる。たとえば、私が雇った通訳のような人々が、「こちらの方が儲かる」と本業をどんどん辞めて行くということはよくあることである。実際、私自身、同様の例をインドネシアで聞いたことがある。また、キューバでも政策の失敗で供給の減少した牛肉を外国人観光客用に確保するため、牛肉が配給から消えたと言う。先の学生は自分は牛肉を見たことさえないと言っていた。

 なお、この点は是非誤解しないでいただきたいが、私はこう言ったからといって、外資の導入や観光業の推進を止めるべきと言っているのではない。その逆であって、国内改革の問題も同一レベルなのだから、それだけを躊躇するのは間違いであり、両方を共に推進すべきということである。改革を上手にすれば経済成長を勝ち取れるから、それによって外国人との所得格差は縮小する。そして、その時には、売春を含む上記の社会問題も基本的に消えるであろう。成長の前に何を言っても無駄なのであって、まずは成長を勝ち取らねばならない。それだけが唯一の解決策というのが私の考え方である。
 
 グローバリゼーションに賛成するか反対するか

 ところで、この点と関わり、キューバの言論界の特徴としてどうしても言及しておかねばならないのがグローバリゼーションをどう見るかという問題である。キューバではよく「反グローバリゼーション」系の国際集会が開催され、たとえば「米州自由貿易圏反対闘争西半球会議」なるキューバ政府肝いりの会議は2001年以来毎年ハバナで開催され、「新自由主義」に反対するこの地域の一大イベントとなっている。そして、実際、ソ連・東欧の崩壊後のキューバの経済危機が、砂糖の買付け価格の国際標準への低下によってもたらされた以上、こうした「新自由主義的グローバリゼーション」に反対したくなる気持ちは分からないでもない。

 がしかし、よくよく聞いてみると、この砂糖価格の問題も、単なる「自由化」がもたらしたというより、各国の農業保護政策によってもたらされたもののようである。たとえば、アメリカではポンド当り22セントの、EUでは25セントの砂糖農家への補助金があり、その額は砂糖の国際取引価格6−7セントの数倍にも上る。そして、現地の経済学者が言うには、この補助金があるがために砂糖価格が下がっているのだという。

 このことは経済理論によっても理解することができる。が、もしそうだとすると、ここで彼らキューバ人が反対しなければならないのは、「自由貿易」ではなく「保護貿易」なのではないか。あるいは、同じことではあるが、キューバ人こそ自由貿易の先頭に立たねばならないのではないだろうか。

 この問題は、実は現在のキューバが対外関係として抱える最大問題としてのアメリカの経済封鎖の問題についても言える。この経済封鎖は、今や全世界によって非難されている事柄で、昨年10月の国連総会でも賛成179カ国、反対4カ国(アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ)、棄権1カ国、欠席7カ国という数字で封鎖解除要求されているものである。

 ちなみに、「アメリカの投票機械」と揶揄される日本でさえ、この決議には1997年以来賛成をしているほどである。が、ここでの問題は、この「経済封鎖」はどう見ても「自由貿易」ではないことである。あるいは、もっと言って、現在のアメリカが世界から非難されているその最大のポイントは、「自由貿易政策」ではなく、イラクでの無法ではないだろうか。私は、これらの意味でアメリカを「自由主義」とすること自体がアメリカの罠にはまっているのではないかと考えている。むしろアメリカを「自由主義の敵」として理解すべきというのがキューバにおける私のアドバイスであった。

 ただし、実は、このキューバが真に激しい国際的な「自由貿易」競争にどれだけ対処できるかには怪しいところがある。これはアジア人の偏見である可能性もあるのでさし引いて聞いていただきたいが、日本や中国、韓国などは家電製品や自動車などを一生懸命になって作って現在の地位を築いたが、そうした国々と渡り合えるだけの努力がなされているのかどうかという問題である。

 キューバでは革命前の相当に古い自動車が走っているとともに、ソ連からの輸入車、90年代以降の西側諸国からの輸入車も多く走っている。また、各家庭には家電製品も揃っており、これらはすべて外国で作られたものである。つまり、その「外国からの購入」に対応するだけのものを安価に「外国に供給」するというのがグローバリゼーションの強制なのであって、ソ連・東欧の崩壊によってこの強制力の大きさに戸惑っているというのが現在のキューバなのではないかと思うのである。

 この強制によって国内体制を締め直し、よって産業の育成を本気になって考える。このことよって初めてキューバはアジアの強国と渡り合えるようになる。グローバリゼーションに反対しているだけでは駄目なのでないかと改めて感じた次第である。

 イデオロギーの変革もまた必要に

 したがって、私の考えるところ、キューバの問題は現状がどうあるかということ以上にその困難をどう捉えるか、というところにある。そして、この問題は、今見たグローバリゼーションという対外関係問題だけではなく、やはり再び国内政策のあり方についての思想的・理論的な整理のあり方にあると思われる。

 たとえば、キューバ政府が現在も取り続ける「privatization(私企業化)には反対」との立場はどこまで継続することができるのだろうか。この立場が変えられない限り、農業部門を初めとする経済改革の推進にはどうしても限界がある。現地の研究者と討論していても、ここに来て「ともかくそれができないことになっているので、できない」となり、結論が先に来てしまうのである。

 しかし、こちらも中国など東アジアの移行経済諸国の研究者として負けているわけにはいかない。ので、「それでは爆発的な経済成長をしている中国の経済運営は間違いだと・・・?」と聞く。これには相手も「間違い」とは言えず、「ただ我々は他国の経験をコピーするわけにはいかない」と来る。

 とすると、私の方から「それでは何故その経験から学べないのか」と聞くが、この当りから議論がはっきりしなくなる。時には中国では圧倒的多数が漢民族で民族の多様性が少ないが、キューバは混血人種なのでできない、と答えられた。ともかく、この辺りが議論のポイントだというのが私の意見である。

 というより、実はもっと本質的に言って、「中国がモデルとなるかどうか」という問題は、共産党政権が資本主義を導入するのが間違っているのかどうか、という問題であり、私はこのレベルで「間違っていない」と断言できなければ本当の結論に達することができないと考えている。

 なぜなら、共産党はマルクス主義を主張する以上、人類史を飛び越えられないこと、時代時代に適合した社会制度を導入しなければならないこと、その意味で資本主義もある段階では必要な制度であることを認めなければならないからである。そして、実際、資本主義は中国で現実に「生産力発展」をもたらしている。これでそれを導入する理由は十分に揃っているはずだからである。

 もちろん、キューバでは歴史的条件の下から「平等」を重視せねばならなかったことは理解できる。が、その「平等」も前述のようにすでに破壊されている。また、「平等の実現」のひとつの目的であるはずの「貧困の撲滅」は、むしろ経済成長によってこそなし遂げることができる。中国では、現在の経済成長によってほぼ3年毎に貧困人口が半減しているが、こうしたスピードでの「貧困の撲滅」を再分配を中心とする平等化政策によって成し遂げることはではきない。以上の意味で、イデオロギー上の「改革」こそが実はもっとも重要なのだというのが私の結論である。

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