ヨーロッパは一昨日(2005年1月5日水曜日)、南アジアの津波被害者への共感をこめて、EU加盟国25カ国で4億5000万人が、正午の鐘の音とともに3分間の沈黙のときを持った。この大がかりな3ミニッツ・サイレンスは、死亡が確定した人々や行方不明者への追悼として行われただけでなく、けがをした人や親をなくした子どもたち、家を失った人々、親しい人を亡くした人々すべてへの連帯を表すために行われたものだ。
わたしは、まだ冬休み中の息子と自宅でその時を過ごしたが、ビッグベン(英国国会議事堂の大時計)がテレビ画面の中で正午を告げると、同時に近所の教会からも鐘の音が響き、それから静けさが、ウイークデイの日中としては信じがたいような静けさが訪れた。
こんなに規模の大きなサイレンスは初めてだが、いままでに経験したダイアナ妃やクイーンマザー、セプテンバー・イレヴンの被害者を追悼するサイレンスなどでは、あたりがほんとうの静けさに包まれるのにいつも驚かされた。サイレンスの開始時刻が近づくと地下鉄もバスも最寄りの駅やバス停で停車してその時を待ち、路上を行き交う車も路肩に寄って停車する。商店のレジや銀行の窓口にはサイレンスの告知と、その時間帯にはサービスが行えないとの但し書きが張り出され、動きを止めることによって支障がある事象を除いたすべての動きが停止する。
かつてもっとも驚いたのはラジオがまったく沈黙することで、初めてラジオを通じてサイレンスを経験した際に、いくらなんでもラジオが完全に黙ることはないだろうと、鐘の音か静かな音楽が流れるのを予期していたので、サイレンス開始を告げる教会の鐘の後に完全な沈黙が訪れたとき、ちょっとどきどきした。この静けさの中でサイレンスに参加するそれぞれが被害者を思い、神か自然か、あるいは自分自身と対話し、祈る。
一昨日はテレビを見ていたのだが、やはり音は何もなく、全国の何カ所かに置かれたカメラがとらえた映像が、あらかじめプログラムされているのだろう、一定の間隔で次々に切り替わっていた。取引のその場で立ちつくし頭を垂れるシティの人々、ショッピングセンターのアトリウムで沈黙する買い物中の人々、赤絨毯の階段の途中で立ち止まった外務省のオフィサーたち、支援物資の荷造りの手を止めたエイドワーカーたち、仏教寺院の人々・・・。動いていたのは、額を床にこすりつけたり立ち上がったりして沈黙の祈りを繰り返すムスリムの人々と、寺院の床をくったくなく這い回るスリランカ系の小さな男の子だけだった。
ロンドン市民にとって、これは大晦日の2ミニッツ・サイレンスに続く津波被害に対するふたつめのサイレンスになる。しかし、世界の多くの場所で多くの人々が悲しみを共有した大晦日のサイレンスや黙祷の儀式とは違い、この日の3ミニッツ・サイレンスには悲しみや傷みだけでない、何か希望のようなものがかすかに感じられた。
欧州各地のNGOに対して、それこそ洪水のように押し寄せる人々の善意が、まだ引きも切らずに続いているせいかもしれない。そして、そうした市民の志による圧力が、政府の財布を緩ませている事実がある。あの日、ホリディ客として滞在していた地で被災したにもかかわらず、そこにとどまったばかりか新たにボランティア組織を立ち上げた少なくない人々がいる。地域の経済を応援するために休暇先を変更せずに、もしくは他の場所からこの地域に変更して、あえて新年のホリデイ客となった多くの人々がいる。そうしたことのすべてが始まりの予感に満ちている、ように思える。思いたい。
3分間の沈黙を通して、ヨーロッパの人々の気持ちが南アジアに正面から向き合った時間、もしかすると、これが今世紀はじめの転換点のひとつかも、と思わせる3分間だった。何かが変わるかもしれない。何かを変えられるかもしれない。
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昨日のガーディアン紙第一面には興味深い見出しが掲げられていた。それは、ジャカルタでの津波被害サミットを前に発表された、UNからのお小言について書かれた記事だったのだが、まず「いまこそ実行のときだ」と大見出しがあり、その下の小見出しは「災害援助をチート(cheat)するなよ、とUN事務総長が釘を差す」というものだ。わたしの周囲でこのチート(だます、裏切る)という言葉をもっとも頻繁に使うのは息子を含めた子どもたちなので、子どもたちの流儀で言ってみよう。「出すと言ったもんは全部出せよ、しらばっくれるなよ」と。秀逸な見出しだなあと感心した。
この会議を経て、明るさの材料がもうひとつ増えた気がする。イラク戦をめぐってすっかり地に落ちていたUNの有効性が、様々な色合いと思惑に染められた各国政府の支援を、UNブランドに付け替えるのに成功したことで、再びその地位を回復したことだ。日本、インドを含めた4カ国だか6カ国だかで「有志連盟」方式援助を行おうとしていたブッシュ大統領の欲望は、ひとまずは満たされなかった。もっとも、年明け早々にインドが、UNの助けは必要だが、アメリカを含むどの政府からの支援も受け入れないと発表していたので、遅かれ早かれ壊れると思っていたけれど。
実際の会議を経た今日のインディペンデント紙第一面は、会議の席上でのコフィ・アナンのスピーチをふまえて、昨日のガーディアン紙よりさらに突っ込んだ内容になっている。
「22億ポンドが約束された:で、今度こそ世界はほんとに出すのか?」の見出しとともに3枚の災害写真が掲載されているのだが、それぞれに小見出しがつき、国際社会と言われるものの「有言不実行」がひとめでわかる仕立てになっている。
ハリケーン(中央アメリカ)1998年
誓約48億ポンド、実行16億ポンド
洪水(モザンビーク)2000年
誓約2億1400万ポンド、実行1億700万ポンド
地震(バム、イラン)2003年
誓約1710万ポンド、実行950万ポンド
災害援助の支援額と行動をめぐって、各国政府の冷酷さがこれほど多くの人の目にさらされたのは初めてかもしれない。わたしたちが監視を怠らなければ、約束の多くが実行されるだろう。政府はわたしたちの忘れっぽさに期待しているだろうが。(1月7日)
藤澤さんにメールは mailto:midori@dircon.co.uk
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