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2005年に提唱したいアジア・ボレ

2005年01月03日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄
 明けましておめでとうございます。萬晩報は9日で8年目を迎えます。本号は発刊以来993号。記念すべき1000号に近づきつつあります。

 筆者が関係する財団法人国際平和協会は賀川豊彦の平和思想を継承して今日に到ります。その財団で、右も左もない、日本人として世界に恥ずかしくない貢献のあり方があるだろうと考え、議論してきました。その結果、昨夏、「アジアの意思」という概念にたどり着きました。100年前の「アジア主義」に近い発想です。

 アジア主義の時代は日本だけが独立国で、日本以外は列強の支配下にありました。戦後、アジア諸国は次々を勝ち取りましたが、戦乱が続き、アジアは引き続き貧困の代名詞でした。それが90年代以降の飛躍によって今、経済的自立に近づいているのです。経済的にアジアは大きく変ぼうしました。

 さて政治的にはどうでしょうか。隣の国とのまっとうな対話さえままならない関係が随所にあります。大陸と台湾、南北朝鮮。そしてその隣国たちは、自らの生活空間で起きている問題について、自らの手で解決しようとしてきたでしょうか。われわれは長い間、西側の色眼鏡で隣国を見ることにあまりにも慣れすぎたのではないでしょうか。

 戦後アジアはアメリカとソ連という冷戦構造の中で対立を余儀なくされてきました。しかしソ連の崩壊によってそうした対立はなくなりました。問題はそのあとです。対立の必要もないのにアメリカの圧倒的影響力をあまりにも無批判に受け入れてはいないでしょうか。アメリカをアジアに取り込むことがまるで空気のように感じる政治風土がまん延しているようでなりません。

 台湾海峡や北朝鮮問題の問題の解決に、アメリカの力が本当に必要なのでしょうか。どうしてアジア人だけの智恵で解決しようとしないのでしょうか。実は当たり前すぎることが実はアジア人の頭の中で当たり前になっていないのです。

「アジアの意思」を問い掛ける時、いまアジアの民が必要としているのは依存心からの脱却であり、「自決」の精神であることが分かってきました。

 この問い掛けは誰をも傷つけません。対立も生みません。この200年、アジアがアジアのために存在したことは一度もありませんでした。欧州は1000年の対立の歴史を乗り越え、さらにイスラム圏のトルコまでも包含しようとしています。

 いまアジアには経済のエンジンが四つあります。日中韓、そしてアセアン。いわば四輪駆動のアジア主義を考えられる時代に到達しています。日本というエンジンしかなかった時代とは根本的に変わりました。あと政治的意思さえ整えば、アジアのことはアジアで考え解決できるのだと思います。

 今年はマレーシアで東アジア首脳会議が開かれます。これまではアセアンプラス3で日中韓の首脳が意見交換をしてきましたが、これからは東アジアサミットという対等の議論の場が生まれます。これは祝福すべき大きな変化です。

 マハティール前首相は国づくりにあたって自立の精神「マレーシア・ボレ」を合言葉にしました。「マレーシアだってできるのだ」というこの掛け声は2005年のアジアにとって最も相応しいと思います。今年の掛け声はアジア・ボレです。

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