【伊豆発】伊豆の山の中は、日中の日差しはアフリカの太陽にも負けないほどに強いのですが、もうけっして夏ではないという空気があたりいっぱいに満ち満ちていて、散った金木犀の花びらが風に吹き寄せられて道の片隅に集い、ピラカンサの朱色の実が、ムラサキシキブの淡い紫の実が、日毎に鮮やかさを増し、ホトトギスの花に秋の蝶と小太りの蜂が蜜を求めて立ち寄り、雑草にまぎれて花をつけた赤紫のコスモスが冷めた季節の風に揺らぎ、山茶花も花咲く時に備えてじっくりとつぼみを育てている、なんとも嬉しいばかりの情景が拡がっているこの頃です。そして夜ともなれば、地の底から湧き上がるほどのアオマツムシの鳴き声が体の芯にまで染み込んできて、心はまったくの四面楚歌となります。
この十五夜には、ススキと山萩とそのあたりで拾ってきた山の栗を供えて、涼やかな満月を楽しみました。子供の頃には山で採ってきた女郎花も添えて、月明かりでの影踏みに興じた記憶もあるのですが、それから後は、日々の動きに追われているばかりで、落ち着いて月見などということをしたこともなかったように思えます。
そういえば何日か前には、山の小道を横切る狸の親子連れに出会いました。
親のほうはすばやく藪に姿を隠してしまったものの、子狸二匹はじっと立ち止まって、いかにも怪しげな見慣れぬ男の姿をじっくりと見つめていました。この子たちが今年の十五夜の月を眺めたものなのか、浮かれて腹鼓を打ったのかどうか、それは残念ながら知る由もありません。
◆格安の通話料金
まあ、このようにして、ギニアの空気を遠くへ置き去りにしたまま、日本の秋にゆったりと溶け込み怠けていられるのも、実はギニアとの通信事情がかなりよくなってきたおかげです。最近ひろく普及したインターネットを経由するメールであれば、通信費用を気にすることもなく、双方ともに勝手な時間にメッセージを投げ込んでおけますし、電話回線の品質も以前と比べれば比較するのも恥ずかしいほどに改善され、それに加えて、日本側の通信料金も格段に安くなりました。海外との通話はKDD独占の時代には、ギニアまでの一通話が千数百円していたはずですけれど、別の会社を使えば今では一分間90円ほどで安定した会話が可能となりました。これとは別の選択肢でも、ギニアの携帯電話宛に一分間0.147EU(約20円)で通話ができるシステムも出現しています。
ギニア側の通信事情もここ数年で大きく変わりました。都心のコナクリには当然のようにインターネットカフェ(ギニアではシーベルカフェという。Cyber
cafe)が増えて、一般のギニア人はここで海外の情報を検索したり、メールの受発信をしたりすることがごく普通になってきました。旧国営電話会社の国際通話料金がけっこう高価であることから、ネットを通して海外への電話をかけることもだいぶ以前からはやっているようです。もっともネット回線の速度が必ずしも速くはなく、また充分には安定していないことから、通話の品質はかなり落ちますけれど、料金が格安であることの見返りに、必要な用件が伝わればそれでいいと割り切るしかないのでしょう。
◆固定電話の悲劇
ギニアでの固定電話は、旧国営電話会社(実際には、民営化されてマレーシア・テレコムが経営している)が、交換機に現在以上の投資をする気がないことから、新規の回線取得は非常に困難です。幸いに(あるいは不幸にも)回線が確保できたとしても、それが国際電話をかけられる契約となっている場合には、新たな困難に直面するケースが多々あるようです。
この国のかなりの人々は、海外へ出稼ぎに出た親族からの仕送りで日常の生活を維持していますから、金送れの催促も含めて、ギニアから親族の働く世界各地への通信需要が非常に多いわけですが、当然のように安い通話料金しか払えませんし、払う気もありません。
そこで、電話会社の現場の技術者と結託した私設電話屋が、夜だけとか、週末だけとか、適宜な時間帯に他人の電話回線を勝手につなぎ替え、個人の客に安い料金で利用させるという、なんとも妙な商売が発生することになります。
電話回線乗っ取りの泥棒稼業ではあるのですが、一般の電話加入者にはその泥ちゃんを特定することは無理であると同時に、危険な作業ということにもなります。なにしろ、相手はこちらの動きを読めていて、こちらが彼らの正確な正体を知らないだけなのですから。社会政策上、電話会社も警察当局も、取り締まりを避けているともいわれますし。
◆携帯電話の普及
固定電話の普及に制約があれば、現代の新技術を活用した電話線いらずの携帯電話が登場するのは自然の成り行きです。民営化された旧国営電話会社、レバノン人経営の携帯電話会社、ギニア人経営の携帯電話会社(だいぶ昔に更迭された元首相がオーナーであるために、いろいろと妨害があるらしい)等々が携帯電話の普及に力を尽くしてきました。
旧国営電話会社の場合は、地方のいくつかの大きな町にも中継設備を設置したりして、圧倒的なシェアーと人気を確保してはいるのですが、設備の能力以上の端末を売ってしまったために、つながりにくいという苦情が殺到し、ここ何年か新規の契約は公式には受け付けていない状態となっています。――日本のパチンコの景品交換と同様、抜け道が用意されてはいるのですが、とんでもなく高くつくもののようです。
海外からギニアへ仕事でやってきて内陸部へ入る人たちは、たいていはインマルサット衛星電話かイリジウム衛星電話を持参します。前者のほうは静止衛星を使うために後者との比較では端末がいくぶん大型(可搬タイプでノートパソコン程度)となり、しかも消費電力が大きいのが難といえばいえないこともないのですが、奥地の事務所などで半固定で使う分にはかえって使い勝手がよいものです。
イリジウム衛星電話は、日本国内で一般に使われているケータイとほとんど同じ感覚で使える国際的な衛星携帯電話です。地球上空を周回する60個以上の低軌道衛星を利用して、屋外であれば世界のどこからでもどこへでも通話ができる(一部に制限があるらしいものの)システムで、たしかにとても便利なものです。
◆イリジウム衛星への蛇足
このイリジウム衛星は、低軌道であることと、飛んでいる衛星の数が多いことから、地上から肉眼でも、光る物体として簡単に観察することができます。
またネット上には衛星の軌道や地上から太陽の反射光が見える時刻を計算してくれるサイトもあって、実はこのおかげで、私めにも腕のいいにわか呪術師を演じることができるのです。
日暮れ時、――この時分が胡散臭い雰囲気にはピッタリだとニセ呪術師は信じているのですが、あらかじめ衛星が現れる時刻と位置を頭に入れておいて、例えばギニアの友人たちと一緒に夕涼みでもしながら世間話をしていることにしましょう。あるいは、もっと真に迫った話題で場を盛り上げておくのもいいかもしれません。
件の時刻が近づいたら、おもむろに空の一角を指差して、「あそこに、光る物体が現れるぞ」とでも予言をするか、あるいは「この指で、あの空に光る直線を描いてみせる」とか言えば、それらしい現象が本当に実現してしまうのですから、演技力しだいでは「現代版陰陽師・安倍晴明」になれるかもしれません。あるいは胡乱な新興宗教の指導者にでも。
ところでこのイリジウム、その実態は軍事通信衛星であるということはあまり知られていないようです。民間の人間にも使わせているのは、看板をカムフラージュさせるためには役立っていますけれど、実際のところそれはまったくおまけのようなものです。
HF帯、VHF帯の電波を使う従来の軍事用移動通信機では、機材の重量、通信可能距離、通信の安定性等々にいろいろな不都合があります。VHF帯の電波では比較的安定した通信が確保できるものの、距離が稼げません。HF帯の電波を使用する場合は長距離の交信が可能であるけれども、通信の安定性、確実性は電離層の状態に大きく左右されます。
例えば、1991年の第一次湾岸戦争で英国の特殊部隊SASがイラクの砂漠で行った「ブラヴォー・ツー・ゼロ」と通称されるゲリラとしての破壊工作作戦では、工作員が持ち込んだHF帯の無線機で作戦本部との通信が確保できず、砂漠からの脱出に失敗しています。電離層の状態変化に合わせた適切な周波数を選択できなかったことが、通信途絶の原因でした。――世界最強と称される英陸軍特殊部隊といえども、知識不足に起因する杜撰な準備を行うこともあったようです。
この戦争と前後する時期、米国のモトローラ社主導でイリジウム衛星携帯電話計画がたてられ、日本の京セラ社なども参加して総額6000億円程度の投資をしたものの、60個を超える通信衛星の打ち上げと複数の地上局の整備、端末の製造など、多くの時間を要する壮大な作業が一段落する頃には、世界の携帯電話を取り巻く環境が大きく変化していました。そしてイリジウム社は経営を維持できず会社は破産することになります。この衛星電話会社の破産処理として、衛星を含む一切のシステムを2000年暮れに米国防総省のダミー会社が30億円ほどで引き取りました。実際のシステム運用はボーイング社が引き受け、米国防総省を「メインの顧客」として、現在世界各地で展開している英米の侵略戦争を通信面で強力に支援しています。
卑近な例では、ギニアの隣国シエラレオネの「ダイヤモンド戦争」終末期の様子を、英国軍側の眼で書いたWilliam
Fowler著『Operation Barras』を読むと、内陸部で工作遂行中の英国軍将校(多分SAS隊員)は、シエラレオネの首都フリータウンにある司令本部へは直接の連絡をとらず、本国の家族に向けて衛星電話をし、司令本部はそれを常時傍受していて、家族との会話に含まれるキーワードから業務報告を受け取っていた様子がうかがわれます。記述から推測して、ここで使われていた衛星携帯電話は、インマルサットではなくイリジウムのようでした。
◆ギニア国内の短波無線通信網
ギニア国内では、30年ほど前に整備されたマイクロウェーブ回線網によって、首都コナクリと各県庁所在地との間で電話が通ずることになっています。
――この工事の一部は日本のメーカーが実施したものですが、当時の社会環境、道路事情などを考えると、かなりの苦労があったものと思われます。奥地の深い木々に覆われた小高い丘の上にも、アンテナタワーが何基も建てられています。
もっともこの設備もすでに老朽化し、補修もままならぬ旧式の機器となってしまいましたから、コナクリから各県庁所在地への電話は通じないことのほうが多い様子です。
それで、コナクリの内務省と地方官庁との一般連絡は、HF帯の無線機を使って行われています。これにはすべて、アマチュア無線機と同型の日本製の機械を使用。アマチュア無線機は業務用専門メーカーの無線機と比較すると格段に安い価格で入手できることと、みかけ上の性能にはさほど差がない、というのがその理由でしょう。
我々も、キャンプ所在地の県庁に用事がある場合は、事務所の無線機からその内務省通信網の周波数にもぐりこんで県庁の通信担当を呼び出し、伝言を託すのがいつものやり方となっています。
◆村人の通信センター
キャンプのあるギレンベ村から千キロ離れた首都コナクリへ嫁いだり、公務員としてコナクリに職を得たり、あるいは何かの縁でコナクリへ移住したりと、現在コナクリで生活しているギレンベ村出身者は少なくありません。
この人たちが村の親族と連絡をとりたい場合、村にも県庁所在地にも郵便局など存在していませんし、ましてや電話局など夢のまた夢という環境にあるわけですから、その手段は極端に限られていて、通常は、村に帰る人間が手紙なり伝言なりを預かることになります。
ところがだいぶ以前に、彼らはすばらしい通信手段を発見しました。それは我らが事務所の無線機。コナクリ事務所とキャンプ事務所とは、定期的に無線通信を行っています。それを知っている気の利いた村の関係者が、この設備の利用を申し出てきました。いつも気にかけてもらっている村の住民の、おそらくは切羽詰った願いであれば、それは喜んで受けるしかありません。
コナクリの住人から村の誰かへの通信リクエストであれば、緊急でない限り、話したい相手と日時を前もって特定してもらうことになります。それをキャンプ事務所のスタッフが村へ出かけて伝え、呼び出された村人は、当日の指定時刻に現地の事務所の無線機の前に座ることになります。
◆遠く離れた同窓会
ある朝のこと。しっかりと着飾った女性が5人ほど連れ立ってコナクリの事務所へ登場。そのうちの何人かはかつての舞の海に匹敵するくらいの立派な体格で――はっきりいえば、食べすぎと運動不足でただ単に太りすぎているだけなのですが(この国では裕福であることの象徴です)――、紫の口紅までつけてかなり力が入っている雰囲気なのです。何の用かと思ったら、村との通信が予定されているとのこと。
彼女たちはコナクリで生活していて、村の幼馴染たちともう何年もの間話す機会がなかったものの、あの事務所へ行けば村の人との会話ができると人づてに聞き及び、同郷の仲のよい者たちが打ちそろって出かけてきたもののようでした。それで、一人ずつ交代して村の無線機に向けて懐かしさたっぷりの挨拶を届けた後、再びマイクを回して同窓会のような雰囲気の中で大声で話しかけ、無線機の向こうの相手が何か答えるたびに笑い転げ、皆が顔を振り手をたたき、いつ果てるとも知れぬ酒抜きの饗宴が続いていました。
齊藤さんにメールは mailto::bxz00155@nifty.com
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