志摩半島のとったんに国崎という漁村がある。紀伊半島のでっぱりのいちばん東にあたる地で「くざき」と呼ぶ。この地名を目にしたとき、大分県の国東半島と思い出した。国東半島もまた九州のいちばん東のでっぱりだった。こちらは「くにさき」と読む。古来こうやって地名の名付けが行われたのか思うと、少々感慨をもよおさざるを得ない。
その国崎にはぐうぜんたどり着いた。週末を鳥羽のホテルで過ごそうと大阪の飲み屋「かぼちゃ」の仲間が言い出し、7人で一晩温泉を楽しみ、さて翌日何をして過ごそうかと迷ったとき、国崎というところでアワビの神宮奉納祭があると聞いた。海女たちが見られると思い、みなに提案した。
奉納祭は「御潜(みかづき)神事」といい、年に一度、伊勢神宮に熨斗アワビを奉納する祭事である。国崎には海士潜女神社があり、その宮司がこの祭事を司る。近くには、神宮司庁所管の「御料鰒調整所」もあり、地元の人の手により熨斗アワビがつくられ続けている。
その昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)の安住の地を伊勢に求めたという倭姫(やまとひめ)が国崎に来た際に、「おべん」という海女が差し上げたアワビをとても喜び、伊勢神宮に神饌(しんせん)として奉納するよう求めたという伝承に基づくものだから、歴史は古い。
奉納祭では、熨斗アワビづくりの実演もあると聞いていた。熨斗アワビとは干しアワビのことである。国崎に行く途中、この「熨斗」が話題になった。
まず「熨斗」という漢字が書けるかみなで頭を痛めた。だれも書けなかった。そして「熨斗」の意味になった。
「のしイカとか、伸ばしてほしたものやろ」
「熨斗袋とかあるやん。ひょっとして熨斗アワビと関係あるんちゃうか」
と言い出したものがあった。
「そうかもしれんな」。
車内がみなうなづいた。
「だけど、なんで贈り物に熨斗紙をつけるんやろ」
延々と話したが、結論が出るはずがない。
国崎の浜に着くと大勢の海女たちが神事の準備をしていた。海女さんたちは総勢80人もいた。志摩周辺には1300人の海女が現役で潜っていると聞いてさらに驚いた。この辺りをドライブするとすぐに分かることだが、浜辺に海女小屋と呼ばれるトタン葺きの小さな小屋が並んでいる。あまりにも粗末なので一見、過去のものかと思っていたが、すべて現役なのだということを実感した。
この日は神事であるから儀式である。儀式ながら、海女たちが浜から海に向かい一斉に素潜りを見せてくれる。これは壮観である。泳ぎながら、しぶきを上げることなく体を回転させて潜る時、一瞬ひざから下がスッと海面に出てそのまま垂直に姿を消す。水泳競技のシンクロナイズドを思い起こさせるその姿はなかなか美しい。
明治時代になって水中眼鏡が出てきて仕事はやりやすくなったそうなのだが、彼女たちはぜったいにアクアラングを付けては潜らない。アワビやサザエなどの資源の乱獲を防ぐのが目的なのだろう。これほどの数の海女がいれば一人ぐらい不届き者がいてのよさそうなのだが、そうした話はいっさいない。世情、環境だとか資源だとか騒がしいが、海女たちにとってそんなことは先刻ご承知なのだろう。
さて「熨斗」である。国崎の浜で聞いた話である。熨斗紙の由来はやはり熨斗アワビから来ているということで、この国崎が発祥の地なのだそうだ。
熨斗アワビは古来、神様にも捧げられていたほど宮廷でも珍重された食べ物だった。生のアワビをリンゴの皮をむくように回転させながら細長い帯のようにし、天日で干した上、ローラーのようなもので伸ばしてつくる。それを紙に包んで贈り物としていたそうだ。
古来、干しアワビそのものが贈り物だったが、いつのまにか贈り物の印となってしまったのが「熨斗」なのだ。熨斗紙の右上にある折りたたんだ紙の中に必ず細い黄色い棒状のものがあるはずだ。その黄色い棒が干しアワビの変形なのだ。
志摩の人たちがだれでも知っていることを多くの日本人たちが知らない。狭い日本だが、そんなことが津々浦々にあるのだろうと思うと楽しい。
参考 「伊勢国酔夢譚」三重の海を潜る韓国人の海女
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