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午前4時半に朔日餅でにぎわう伊勢の門前町

2004年09月02日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄

 きのう朝3時に起きて伊勢市に行った。仕事ではない。赤福の朔日(ついたち)餅を買いに行ったのだ。赤福餅は全国的に有名な土産のお菓子だが、月初めの一日だけ毎月それぞれ違う餅をつくっているのが朔日餅なのだ。

 売り始めるのが午前4時45分というから尋常でない。十六夜の月がまだ高いうちに家を出て、伊勢神宮の門前町であるおはらい町に着いたのが4時半。驚いたことに、赤福本店の前では朔日餅を買うために整理券を配っていて、もらった整理券がなんと305番だった。一人で来ているのは筆者ぐらいで老若男女が群れをなしているからざっと数えて千人はいただろうか。

 赤福本店から五十鈴川にかかる橋を越えて行列はさらに続いていた。朝市も出ていて、朝食を供するいくつかの店もにぎわっている。繰り返すが時間はまだ午前4時半である。

 この日の朔日餅は「萩の餅」。つまりおはぎである。おはぎがなぜ萩なのか。初めて知った。あんこをつくる小豆が萩の花に似ているからなのだそうだ。なるほどそうかと合点した。

 伊勢神宮には、一日参りの風習がいまでも残っていて、年配の人たちは真新しい下着を着て毎月一日に神宮をお参りする。青年会議所を中心とした若人たちはみそぎと称して冬でも五十鈴川で沐浴をするのだという。伊勢神宮の祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で天皇のご先祖さまであるのだが、宇治の人たちにとっては当然ながら地元の氏神さまでもあるのだ。

 赤福餅は赤福という会社が経営している看板商品。1707年の創業で、真心を意味する赤心慶福からとった。この会社は伊勢神宮の門前町の町おこしのためにけっこうな貢献をしている。すたれた温泉宿の土産物屋しかなかった門前町を20年かけて再生した。いまある街並みは社長の濱田益嗣さんの声掛けで江戸・明治期の風情を復活したもので、鉄筋だった本社を真っ先に取り壊して木造二階建てに建て直すことから始めた。

 朔日餅は一日参りの参拝客に月ごとの季節のお菓子でもてなそうと考えたところから始まった。20年以上も前のことである。二月は立春大古餅、三月はよもぎ餅、四月はさくら餅、五月かしわ餅と続いて、いちばん人気は来月十月の栗餅なのだそうだ。正月だけは朔日餅はない。看板の赤福餅しか売っていないが、通によると正月の赤福は味が違うのだそうだ。

 スタート時はわずかに2800個しかつくらず、店先で食べてもらっていたが、そのうち口コミで朔日餅の存在が地元の伊勢中に伝わり、いまでは県外からも客が押し寄せるようになった。やがて朔日餅を買うために朝早くから行列ができ、開店時間を繰り上げていくうちに暗いうちからの開店となってしまったようだ。

 1時間行列に並びようやく9月の萩の餅を手にした。すし久という店でこれも季節の「しめじ雑炊」で腹ごしらえをし、神宮を参拝した。帰り道に朝日が神宮の林に差し込み、神々しい風景にも出合った。

 早起きは三文の徳ということわざを思い出した。眠い目をこすりながらも得をしたような気分にさせられた一日だった。伊勢神宮にお越しの節はぜひ一日参りをされることをお薦めします。

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