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新聞休刊日に起きた通勤電車内の異変
2002年04月15日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄

 けさ、通勤電車の中で産経新聞を読んでいるサラリーマンが目立っていた。きょうは新聞休刊日。首都圏では産経新聞だけが朝刊を発行していたとはいえ、ふだんは日経新聞を手にする人々が一様に産経新聞に見入る光景はちょっとした異変である。

 筆者もその一人で、会社に着いてからも一面から社会面まで丹念に産経の紙面を読んでしまった。自分の行動も含め、新聞が一紙しかないということのインパクトにいまさらながら驚かされた。

 きょうの産経の紙面はというより、ニュースは柔道の田村亮子が若干16歳の高校生の福見友子に敗れたこと。ロンドン・マラソンで男子の世界記録が生まれたことなどスポーツが中心だったが、一面トップには「GEキャピタルにソニー生保を売却」という独自ネタもあった。普段だったら多くのニュースに埋もれてしまうだろう程度のニュースではあるが、何分けさは産経新聞しかないのだから、その目立つこと。

 産経新聞は4月から首都圏で夕刊の発行をやめた。発行部数の減少が直接の引き金とはいえ、速報はテレビやインターネットに委ねて「読ませる紙面」を目指すのだそうだ。併せて、休刊日も廃止した。大賛成である。そもそも朝刊と夕刊が毎日来るのは大都会と県庁所在地ぐらい。新聞協会の調査では新聞の総販売部数5368万部に対して、朝夕セットの販売部数は1801万部。全体の3割程度なのだ。後の地域には昔もいまも夕刊は存在していないのだ。

 新聞休刊日はもともと休みのなかった新聞配達員への配慮から生まれたものだが、年月を経るうちに「新聞を発行しなくていい日」に変化。日々、特だね合戦に疲れる新聞記者にとってこの日だけは「朝刊を見る恐怖」から開放されるありがたい一日となった。

 とはいえ、各社が同じ日に休刊するということは、新聞業界が「談合」しているといわれても仕方がない面もある。新聞各社にとって夕刊をやめるのは「勝手にせよ」ということなのだが、業界慣行としての休刊日廃止はまさしく「抜け駆け」行為に映るのだ。

 実は産経新聞が休刊日をやめたのは2月から。その時、大手新聞だけでなく地方紙の多くまでが付和雷同して「特別版」を発行したが、さすがに3カ月目は息切れした。産経だけが初志貫徹し、けさの異変が起きたのである。

 われわれマスコミが反省しなければならないのは、再販制度が認められている数少ない業種のひとつであることだ。ほとんどの消費財は小売り店に販売価格を強制してはならないことになっているのに、新聞とか書籍は容認されている。だから価格競争がおきにくい。そんな中で首都圏では産経新聞と東京新聞が独自の価格戦略を取ってきたが、価格だけではなかなか朝日と読売の牙城は切り崩せなかった。

 しかし、けさの通勤電車の光景を目の当たりにして異変は単に一日だけでは終わらないような気がして来た、多くのサラリーマンがたった一日とはいえ筆者と同様に産経新聞を隅から隅まで読んでしまったであろう効果は限りなく大きい。そして「そうだ産経の駅売りは一部100円なのだ」と改めて新聞の価格に関心を持ったに違いないと思うからである。

 産経新聞のことばかり書いたので、何やら宣伝臭くなりそうだが、いわんとするところは、産経新聞の投じた一石が新聞業界全体に広がるまでそう時間はかからないだろうということである。

 いくつかの新聞はすでに匿名記事から署名記事への移行が進みつつある。人間が書く記事に客観性を求める方に無理がある。特だね競争がなくなっていいとは思わないが、先見性や分析力が欠如した記事はやがて疎まれる。そんな時代に向けて新聞は変貌しなければならない。


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