東レが4月1日、社長交代を発表した。71歳の前田勝之助会長が最高経営責任者(CEO)に復帰して、榊原定征副社長(59)が社長に昇格、平井克彦社長(62)は副会長として経営トップ陣にとどまった。
かつての東レは景気の変動に強い企業として名を成した。その基礎を築いたのが社長時代の前田会長だった。「好景気時のリストラ」が身上で、90年代前半、バブル崩壊後に多くの企業がリストラを余儀なくされたのを尻目に好決算を誇示。名経営者の名を欲しいままにした。
萬晩報も1998年06月22日付で「好況時のリストラで基礎体力を育んだ東レ」と題したコラムを掲載したことがある。前田氏が経団連の副会長になった後、経団連の会長や副会長の年齢が高すぎることを暗に批判したら、「そうだ、自分のような年寄りが若い方なのだから」と機先を制されたことも書いた。
http://www.yorozubp.com/9806/980622.htm
しかし、今回の人事は端から見ていて不可解さを残す。前田会長は87年から10年社長を務め、平井氏にバトンタッチした。その2年後から東レの経営はつるべ落としとなる。赤字に転落したわけではないが、今回の3月決算での営業利益は200億円を大幅に下回ることが確実視されている。
一般的にいまどき200億円もの営業利益があれば御の字なのだが、問題は繊維業界で二番手に甘んじていた帝人に株価で逆転されたこと。誇り高き東レとしては我慢がならないところである。それだけではない。業界ではラディカルな企業改革案を打ち上げ、社内活性化に成功した帝人の安居祥策社長(現会長)がマスコミの寵児(ちょうじ)となり、「前勝時代の終焉」を印象づけた。
いくら名経営者といわれようとも「過去」の人を持ち出すのはルール違反である。かつて繊維業界には長すぎる君臨が批判された経営者たちが少なくなかった。なかでも帝人の大家晋三氏と鐘紡の伊藤淳二氏は晩節を汚した。
東レの経営がこれまで順調だったのは、トップのリレーがうまくいっていたからだと思っていた。前田氏は社長としての10年も長いと思っていたが、5年後のいまも会長として東レに「君臨」している。君臨の弊害は知らず知らず内にイエスマンが社内に横行することである。
CEO復帰はまさに「現役復帰宣言」である。会見で前田氏は今回の人事について「異例」であることを認めた上で「2年程度で現社長にCEOを譲りたい」と述べた。異例と分かっているのならそんな人事はしない方がいいし、2年先のことを決めているのなら、いま実行すればいい。
企業経営者の最大の決断は「引き際だ」と考えたのは本田宗一郎氏である。本田氏とともに「ホンダ」を世界的オートバイ企業に育て上げた藤沢武夫副社長が「俺やめるよ」といった時、本田氏が「うん、そうか。一人じゃないよ。俺もやめるよ」と応えた話はあまりにも有名である。昭和48年春の話である。そのホンダの名声を乗用車にまで広げたのが、創業者の引き際を見せつけられた教え子たちなのである。
「一人じゃないよ。俺もやめるよ」http://www.yorozubp.com/9801/980118.htm
21世紀の企業経営のキーワードの一つとなったのはコーポレートガバナンスである。そこで強く求められるのは透明性である。帝人の安居氏は、社長の進退と報酬を決めるアドバイザリーボードをつくった。外部メンバーを中心に経営を監視するこの組織に特に委ねられているのは「トップに引導をわたす」役割である。経営危機をもたらした経営者がその後もトップの座に居座るケースがあまりにも目立つ日本的経営環境では異彩を放つ制度である。
東レの今回の人事で感じたのは、経営不振が際立つ日本企業の中で信頼できる企業がまたひとつ消え去ったという寂しさである。