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ビッグ・リンカー達の宴(うたげ)−6
2001年12月18日(火)
萬晩報通信員 園田 義明

 ■ロハティンとロッキードとエンロン

 次世代主力戦闘機「JSF」の発注先企業に決まったロッキード・マーチンは、1994年に最大手のロッキードと第4位のマーチン・マリエッタが合併して生まれた会社である。このロッキードは、1970年代には再三の経営危機に陥ったことがある。

 現在のエネルギー大手のエンロン破綻問題や同時多発テロをきっかけに世界的に始まった航空業界の再編成を見る上で参考としていただきたい。

 1971年にロッキードはL−1011トライスター機の生産のため、バンク・オブ・アメリカ(現在ネーションズバンクが吸収合併し、新バンク・オブ・アメリカ−BOA)とバンカーズ・トラスト(現在ドイツ銀行により吸収合併)を共同主幹事とする24行からなる銀行団により4億ドルの回転信用枠を設定していた。

 このトライスターの最大の発注先であるイースタン航空(89年破産宣告、91年操業停止)は、その購入資金と見られる3億ドルの信用協定をチェース・マンハッタン・バンク(現JPモルガン・チェース)をエージェントにファースト・ナショナル・シティ・バンク(現シティー・グループ)、ケミカル・バンク(現JPモルガン・チェース)などからなる融資団と締結していた。

 しかしこのイースタン航空が経営危機に陥り、トライスターの納入延期を申し入れたことからロッキードは再び財務危機に見舞われる。

 この時、慌てふためいたのがロッキードとイースタン航空の大口債権者であるバンク・オブ・アメリカ、バンカーズ・トラスト、チェース・マンハッタン・バンク、ファースト・ナショナル・シティ・バンクなどのマネー・センター・バンクであった。

 ここで登場してくるのがラザードのフェリックス・ロハティンである。

 ロハティンが折衝役となってそれぞれ3千万ドルの融資枠を引き受けた7行からなる「再建委員会(代表はバンク・オブ・アメリカ、バンカーズ・トラスト)」を設立し、当時の有力コングロマリットであったテクストロンにロッキードを買収させる計画を打ち出す。しかし、この計画は、テクストロンからの買収条件に銀行側が難色を示し、75年3月に挫折する。

 再度ロハティンが登場し第二次ロッキード再建計画を練ることとなった。

 その内容は、新たに設定した6億ドルの融資協定を75年末から77年末まで延期し、非政府保証分の一部をロッキードの優先株、普通株、転換社債に銀行側が振り替えようとするものであった。その矢先、日本をも巻き込んだ大事件が起こる。ロッキード事件である。

 1975年8月、米上院銀行・住宅・都市問題委員会(プロクシマイヤー委員会)で、ロッキード不正海外支払い問題(2200万ドル)が明らかになり、銀行側は大きなショックを受け、足並みが乱れることになる。シカゴ・ファースト・ナショナル・バンク(現バンク・ワン)のロバート・アブド会長は、親友である米上院外交委員会多国籍企業小委員会のパーシー上院議員に実情を確認し、バンカーズ・トラストのリアリ副社長に最後通牒をつきつけた。ロッキードのホートン会長−コーチャン社長ラインを解任しなければ、ロハティンの第二次ロッキード再建計画への参加を撤回するという内容である。

 そして翌年1976年2月、米上院外交委員会多国籍企業小委員会でロッキード不正暴露第二弾が出るに及んで、ニューヨーク4大銀行(バンカーズ・トラスト、ファースト・ナショナル・シティ・バンク、チェース・マンハッタン・バンク、モルガン・ギャランティー・トラスト)が一斉にロバート・アブド会長の主張に合流しはじめ、ホートン会長−コーチャン社長ラインは辞任することになる。ホートン会長は後任としてアンダーソン財務担当副社長を指名したが、失敗に終わり、ニューヨーク財界で評価の高かったロッキードの社外取締役ロバート・ハーク氏が暫定会長兼経営最高責任者に就任する。

 同時にホートン、コーチャン両氏は、カリフォルニアの諸銀行との取締役兼任も解かれることになり、西部財界におけるいっさいの地位も失う。これは、両氏と強いつながりを持っていた共和党のニクソン元大統領にとっても大きな痛手となった。

 結果としてロッキードにおける西部財界の影響力は弱体化し、代わってニューヨークを中心とする東部金融界の強い影響下に置かれることになる。

 ウォーターゲート事件でニクソン大統領を辞任に追い込んだワシントンポスト紙とロッキードと東部金融界を結びつけていたのが、ラザード・フレールであり、その中心にいたのがアンドレ・マイヤーとフェリックス・ロハティンであった。

 しかし、これだけではラザードを分析したことにはならない。ロッキードとロールスロイスとの深いつながりは、ロンドンのラザード・ブラザーズを知る必要がある。

 なおエンロンの本社はテキサス州ヒューストンにある。ブッシュ大統領の地元である。そしてエンロンとそのケネス・レイ会長自身は、ブッシュ大統領の最大の献金者であった。

 エンロン破綻で1050万ドルの損失を出したアマルガメーテッド銀行は、エンロンの幹部ら29人に対して、インサイダー取引の疑いで提訴したのに続き、12月11日にはエンロンの最大の債権者であるJPモルガン・チェースも対象資産21億ドルを超える債権の回収を目指し、ニューヨーク州の連邦破産裁判所で訴訟を起こす。

 そしてワシントンポスト、ウォール・ストリート・ジャーナルなどが一斉にエンロンとブッシュ政権の関係を追及する動きを始める。

 登場する名前が奇妙にも一致しているようだ。カリフォルニアとテキサスを置き換えれば、今回のエンロン破綻問題が「ブッシュ−テキサス包囲網」と見ることもできる。

  ■現在のフェリックス・ロハティン−

「ディナーの場には目的があるのよ」

 こう言い残したのは、1997年2月に死亡したパメラ・ハリマン駐仏米国大使である。「宴」に最もふさわしい女性であった。彼女の名前はとても長いのである。パメラ・ベリル・ディグビー・チャーチル・ヘイワード・ハリマンという。英国貴族出身のパメラ・ベリル・ディグビーは、生涯3人の男性と結婚しその名に刻まれた。チャーチル英首相の息子ランドルフ・スペンサー・チャーチル、ブロードウェイのプロデューサーであったリーランド・ヘイワード、鉄道王であり、ブッシュ家と深いつながりのある名門投資銀行ブラウン・ブラザーズ・ハリマンで知られるハリマン家のW・アヴレル・ハリマンである。また、彼女は恋多き女性としてバロン・エリ・ロスチャイルドやフィアットのジアンニ・アニェリとも浮名を流したこともある。

「大変美しい女性で、見事な大使で、おそらくベンジャミン・フランクリンやトーマス・ジェファソン以来の最高の大使の一人だ」とシラク仏大統領は、最大級の弔意を表明し、国家元首級に贈られるレジオン・ドヌール章の最高位グラン・クロワが授与された。

 1997年7月、クリントン前大統領は、このパメラ・ハリマンの後任としフェリックス・ロハティンを駐仏米国大使に任命する。フランスといえば、ラザード・グループ出身の地であり、総本山であるラザール・フレールが今日でも一大帝国を築いている。

 今年73歳になるフェリックス・ロハティンは、第2章で紹介したパウエル卿がいるルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー(LVMHーフランス本社)とこれまでに再三登場した自動車大手フィアット(イタリア)の取締役である。また外交問題評議会(CFR)のメンバーであり、戦略国際問題研究所(CSIS)の理事にも選ばれている。

 仏伊米にまたがるラザード・グループの中心に位置するビッグリンカーであるが、現在、ロハティンが取締役を務めるアメリカ企業は、21世紀の主戦場の渦中にある。(つづく)

 園田さんにメールは mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

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