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国際テロから学ぶ日本の役割
2001年09月23日(日)
東西センター北東アジア経済フォーラム上級研究員 中野 有

 世界貿易センタービルと軍事の頭脳ペンタゴンが国際テロの標的になった。「これはテロを越えた米国への戦争である」とのブッシュ大統領の声明には、テロに対する尋常でない米国の強い意志が感ぜられる。ハイジャックされた旅客機による標的への攻撃に対しては、最新鋭の軍事技術も打つ手がない。

 ミサイル防衛構想もしかりである。危機管理体制の盲点が暴露された。集団的安全保障であるNATOが国際テロに戦い挑んでも傷口を広げることが予測される。大規模戦争を想定した安全保障のあり方を根本から考え直し、国際テロに対抗した安全保障の模索が急務である。

 テロ行為の根本原因が民俗・宗教・人種・貧困に関係しているとすると、集団的安全保障という視点だけでは十分な解決策を生み出すことは出来ないだろう。今回のテロ行為の発端は経済・軍事を牛耳る米国の一国主義への批判や、「文明の衝突」で語られるイスラムの過激派と西洋との戦いである。

 それが正しければ従来の軍事による封じ込め政策から「win-win」に通ずる文化・経済協力に主眼をおいた「協調的安全保障」が新たなる安全保障のフレームワークとして注目されるのではないだろうか。

 国際テロに対抗する方法或いは、今後の戦術として大まかに3つの選択か段階があるだろう。「目には目を」の如く見えない国際テロに対し妥協を許さぬ毅然とした態度で徹底的に攻撃する。攻撃と対話という妥協も考慮する。テロを根絶する意味で地域間の貧富の格差を縮小させたり、民俗・文化の多様性を尊重した経済協力を強化する。

 日本のみならずアジア・世界の平和のため貢献している米国が戦争状態である。国際テロに対し何かできるのか。日本の一般庶民が武器を持ってテロを退治することはできない。集団的安全保障といっても庶民には打つ手がない。

 そこで庶民が参加できるのは、開発援助を通じ経済の格差を縮小させることや文化的・宗教的・民族的衝突を回避するための交流を推進することであろう。NGO等に参加する。それには時間がかかるが、庶民が関与できるのはそんなオプションしかないだろう。

 アラブとイスラエルの怨恨の調停には、米国の限界を感じる。米国ができない分野での日本の役割が必ずある。今回のような庶民を巻き込んだ国際テロに対し妥協は必要ないだろう。戦争には双方の正義感が働く。米国民にはすざましい正義がある。日本の正義も国際社会において明確にする必要がある。

 旧満州地域における日本の戦前の行為と現在の日本の消極的な態度を考察すれば、文化的摩擦と経済的な格差によりテロ行為による局地的な紛争がいつかは発生するように思われる。だからこそ、それを防ぐ予防外交と協調的安全保障の具体化が望まれる。

 中野さんにメールは mailto:a5719@n-koei.co.jp

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