はじめまして 萬晩報の記事をみてメールを送らせてもらいました。私は埼玉県に在住している学生です。今回の記事をみてちょっと考えてしまったので感想めいたものですが送らせていただきました。
ヨーロッパの石造りに負けない日本には伝統的な木造建築の町並みがあり、それを国家的デザインとして推進することを書かれていたと思いますが、それに対して反論を致します。
日本の「木」に関する伝統の技はもちろん、諸外国に誇れるものだと思いますが、観光客の誘致のために木造の町並みをあらゆるところにつくってしまうのは、反対です。ただ木造の町並みが好きという理由だけでは観光客はやっってきませんしあちこちに同じような町並みがあふれてはそれこそ、風景の画一化になってしまうと思います。
私の家の近くの「小江戸」と呼ばれる観光都市では、やたら古そうな蔵造りの建築物は増えているが、一方では大正時代のモダンな洋館が徐々に減少しているという話しを聞きました。木造建築の町並みももちろん素敵なんですが、アーケードのかかった古い商店街などもなかなか乙なものだと思うんです。
日本中どこへ行っても木造建築の古そうな町並みばかりになったら今度は統一感のない現在の町並みが懐かしくなってくるかもしれません。
実は私は4年間ほど京都の堀川商店街の近くに住んでいたことがあるのですが、最近その商店街がこぎれいに改装されたのをみてちょっと残念になりました。蛇足ですが 私は京都はとてもいい街だと思います。観光地として訪れるよりもまた住んでみたなあ、と思うくらい良いところだと思います。
味のある風景は木造建築の町並みだけではないはず、と思ったので、そのことについて簡単ですがメールを送らせてもらいました。(E.Y)
記事を読ませていただきました。自分も古い木造家屋のある光景が好きなので、記事の内容に付いては、大いに賛成できました。
ただ、昨今は大きな地震が多く発生しておりますが、従来の木造建築は耐地震性が低く、2x4等の輸入された技術の木造建築の方が、耐地震性に関しては、遥かに高いと聞いておりますので、やっぱりどうしても自分が建てる時は、2x4等を選ぶと思います。実際にそうしました。その結果、典型的な木造の外観にはならなくなってしまいます。 最近の建物は、中途半端な西洋風の家が多くてつまらないと感じる時がありますが、地震の事を考えると、仕方が無いとも思えるのです。
あと、純和風の外観にするとお金がかかります。 これも、大きな問題になりますね。
自分が建物の外観と並んで気になるのは、電信柱が美観を損ねていると言う事です。こっちの方も何とかして欲しいと願っていますが、技術的には困難なんでしょうかね? 欧米の町並みは電信柱が被写体になる事さえ稀だと言うのに、日本では先進国の名前に相応しくない、町並みになっているのは、非常に残念です。 信号、街灯のデザインどれも、美観を損ねているように見えて仕方がありません。 あと、看板の多さも気になります。
多分、この種の意見は沢山寄せられると思いますが、自分の意見を述べさせて頂きました。(T.E)
木造の町並み…もっともなご提案です。後世の残す価値のある公共事業は次世代にも納得してもらえるものになるのではないかと、木材産地の北海道にいても思います。実現のためのPFIで優先的に扱うことを織り込むことも考えられるのではないでしょうか。
はじめまして、田村と申します。萬晩報を読んでメールを書かせていただきます。木造建築が日本らしさ、文化とつながるというお話、とてもすばらしかったです。
私は最近、木の魅力を感じています。合板ではない無垢板を使った家具を買いました。天然塗料を自分で塗り、部屋に置くだけで、とても心地よい気分になりました。木のほのかな香りがたまらない。時間がたって木の香りがほとんどなくなっても心地よさは残っています。
日本人は木とともに生きてきたんだなあ、木は人を癒してくれるんだと感じました。プラスチックや合板にはない木の良さを感じました。こうした木のよさと日本文化はもともと解け合っていたのだと思います。そのことを中野さんの記事を読んで再確認できました。
さらに、国家デザインとして考えるという21世紀にふさわしい先見的かつ本質的なご意見でした。実現できたらどんなにすばらしいことでしょう。日本人としての誇りにつながります。
萬晩報「国家デザインとして考える木造建築の公共事業」、拝読させていただきました。まさにその通りだと思い、ついメールを送らせていただきます。
私も常々、海外からの観光客を如何にして日本に呼び込むか、という点と、秋田県の重要産業でありながら衰退の一途を辿る木材産業を、どう活かせば良いか考えていました。
海外からの観光客については、ある統計によると、日本への観光客は台湾人が最も多く、次いで韓国人となっており、彼らの最も訪ねたい場所はアジア唯一の東京ディズニーランドとなっていました。でも、おっしゃるとおり、例えばヨーロッパには石の文化があり、日本にはまさに木の文化がある訳で、木造りの街並みには、大きな魅力と可能性が秘められていると思います。
木材産業の将来についても、ご指摘のように庁舎や公民館等の公共建造物を、国内産・県内産の木材で創り上げることができれば、文化的にも経済的にも大きな可能性があると思います。
これらの問題点について、自分では何となくボヤッとしたイメージしかなかったのですが、中野さんのこの度のお話を読み、視界が開けました。ありがとうございました。
K.S
よろず晩報の読者の萩原俊郎と申します。
「国家デザインとして…」、読みました。今、大阪にいてよく感じるのが、中野さんの主張とはむしろ対極かも知れない「石造建造物による大阪の街並み保存」なのです。
大阪は黄金時代の絶頂期、つまり北浜の証券街や船場の卸問屋が活況を呈していた時代、大もうけをした商人らが、競ってそのもうけた金で石造の公共建築物(たとえば中之島の中央公会堂や石造りの橋を建て、それを町に寄贈しました。
今でいう、企業メセナみないなものです。そのおかげで大阪には70〜80年の歴史を持つ石造建築物が建ち並び、街のアイデンティティーを形成しています。大阪は「石造りの街」なのです。
こうした企業メセナの伝統は、さかのぼれば江戸時代、淀屋清兵衛(淀屋橋の名前に残る)による堀掘削や橋の寄贈にさかのぼることができると思います。つまり昔の大阪商人はもうけた金はちゃんと社会に還元した風習があった、ということ(還元しないと逆恨みされて密告でやられる恐れもあったらしい)。
ところが戦後の大阪商人は「貧すれば鈍する」ではないけれど、寄付どころか、国や府に大規模プロジェクトによる景気のテコ入れをお願いし、それで再び商売繁盛しよう、という「せこい連中」が大半を占めるようになったようです(サントリーの故佐治敬三あたりは例外でしょうが)。
大規模プロジェクトを乱発したせいで、大阪府も市も今や財政危機のありさまです。さらにかつての石造りの伝統的建築物はそごう大阪店をはじめ、NHK大阪放送局、府庁…と次々壊される運命にあります。むしろ石造建築物の保存こそ「大阪の再生」の第一歩では…と最近、思います。
近々、この保存に燃える建築オタクの高校の先生と大阪の町を散策し、街づくりの方向性について特集記事をつくろうと思っています。出来上がったらまた送ります。
それにしても、どこに行ってもおもしろいネタはあるものですね
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