9月11日(金)午後7時から
WaterBaseで

9月8日、自民党は総裁選に入った。結果が分かっている選挙ほどむなしいものはない。来週には1カ月前には誰も想像しなかった菅内閣が誕生する。野球でいえば、「名キャッチャー」が急きょマウンドに立つようなものだ。試合には勝ってきたが、度重なるピッチャーの暴投でこのキャッチャーは満身創痍であるはず。球団フロントは何を考えたか、満身創痍のキャッチャーに登板を促したのだ。
8月28日(金)午後5時、安倍晋三首相は記者会見で辞任を表明した。自ら病気を理由にし、責任を以って政権を維持できなくなる可能性について言及した。体調の悪さについては夏前から噂されていたから「やっぱり」というのが第一印象だった。
僕の周辺では、病気だけではないという考え方も出ていたが、メディアの関心事は「なぜ政権を放棄するのか」という辞任の理由には向かず、次期政権の担い手問題に集中した。
僕の関心事は、安倍政権の7年8カ月に何をしたのかという問題だった。

憲法改正
安倍首相が一番やりたかったことは何か考えた。それはまぎれもなく憲法改正だったと思っている。「美しい日本」つまり「軍隊を持てる国」に変えたかった。国会では憲法改正の発議権である3分の2を確保していた。自民党としては千載一遇のチャンスに安倍首相は前に進むことができなかった。それはなぜなのか。単に勇気がなかっただけなのか。自民党内での議論が進まなかった背景にはやはり平和憲法を維持すべきだという勢力が小さくなかったのか。真相は分からないが、安倍一強と言われる中で、モリカケ問題に対しても一切、政権批判が起きなかったことを考えると、国会議員の中でそんなに崇高な国家観を持った議員が多くいるとは考えられない。そうなると、安倍首相の決断力の欠如こそが問題だったと知ることになる。もちろん、僕は憲法9条改正には反対だから、これでよかったと思っている。
アベノミクス
アベノミクスについては当初から疑問を持っていた。そもそも自らの経済政策に関して自ら命名することなどありえない。成功した暁に後から命名されるはずだと考えた。自ら命名するということは「まゆつば」ものということになる。「アベノミクス三本の矢」のうち、実際に実現したのは、「金融政策」と「財政政策」だけだ。
実現したと言っても、褒められたことではない。財政面では国債の大量発行への依存が目立った。GDPがかろうじて下向きにならなかったのは、財政が支えたからで、これは1990年代からの自民党の借金政策から脱却できなかっただけで。積極的に評価するような代物ではない。付けは後世に残すだけに終わっている。
それだけではない。大量の国債発行を消化したのは金融機関ではなかった。金融機関が購入した国債はそのまま、日銀に流れた。その結果、1000兆円の及ぶ発行済み国債の半分が日銀の所有となった。政府が発行した国債は政府に一部である日銀が直接購入ことは、「禁じ手」なのであるが、「いったん市場に流れた国債を購入するのだから問題はない」というのが政府の公式的見解なのだ。
経済学で言えば、中央銀行による国債の「吸収」は通貨の下落を招き、極端なインフレーションを引き起こすことになる。だが、それは起きなかった。いやまだ起きていないと言った方がいい。ヨーロッパもアメリカも同じことを始めたため、売りたくても買える通貨がないというのが実態なのだ。

黒田バズーカ砲
金融面の日銀による金融緩和は黒市場田バズーカ砲といわれたが、量的緩和によって円の信認を失わせることによって円安を演出し、輸出企業の好決算をもたらした。これについては評価が分かれるだろうが、僕は全く評価しない。結果として企業の好決算によってもたらされた富は国民には還元されず、企業の内部留保として貯めこまれただけだった。そもそも、黒田バズーカ砲は「デフレ経済からの脱却」を目的として掲げたが、7年8カ月かかっても、デフレから脱却できていない。国家観など持たない金融界のスズメたちには「株価維持策」にしか映らなかったはずである。その証拠に、株式市場では「円高イコール株安」「円安イコール株高」が繰り返された。
黒田バズーカ砲の効き目がなくなると、日銀は大量の資金を株式市場に注入した。90年代、同じようなことがあった。この時、メディアは「PKO」(プライス・キーピング・オペレーション)といって批判したが、今回、メディアから批判すらなかった。多くの企業で筆頭株主が「日銀」という奇天烈な現象が起きている。国家が株主ということになれば、それは社会主義的資本主義となり、中国が標榜する「資本主義」と同じことになる。皮肉にも、共産主義国家としての中国を批判する日本が実態的に中国経済に近づいていることになる。