大東亜戦争とインド 元陸軍大尉 梅田実

 三、大東亜戦争とインド 元陸軍大尉 梅田実
 スバス・チャンドラ・ボース九十歳の誕生日一月二十三日を記念して、第六回インターナショナル・ネタジ・セミナーがカルカッタで開かれ、印度留学生の教官としての立場から招待を受けた。実は一九八一年と八二年にも招待を受けたことがあるが、結局いけなかったので三度目の正直で、仕事もやめて暇になったこともあり、最後のチャンスと思い切って参加することに決心した。昨年八月十八日、チャンドラ・ボース・アカデミーが、ボースの命日に行った蓮光寺の法要に参加し、この世紀の革命児の英雄的な生涯に接したが、四十年も経っても遺骨が日本の片隅に僅かな人々によって祭られるばかりで、本国での顕彰もままならぬ現況に同情と悲憤を覚えたこともあり、少しでもお手伝いできればとの気持ちもあった。幸い海外旅行友の会のご協力により諸事万端手配を受け、一月二十一日出発。シンガポール航空SQ07便で壮途についた。
 生来の不精者、不勉強で特に語学力、会話力不足は、前二回の海外旅行で骨身に染みていたところだが、行けば教え子もいることだしと、その協力を当てにした図々しさで押し切り、真冬のインドへのイメージのまま、防寒上衣も見送りの女房に持たせて返し、背水の陣を布く。途中シンガポールで若干の手違いがあり、インド着は二十二日の十四時頃になった。空港には主催者のボース博士直々の出迎えを受け、VIP扱いで税関もフリーパス、誠に順調な滑り出しであった。
 ホテルに着くとオーストラリアから来た教え子のハルチャラン・シン・ヴィリックとも会い、いよいよ心強い。
 セミナーは国家行事
 一月二十三日より二十六日にわたる四日間のセミナーは、カルカッタの中心部ボース通りにあるネタジ・ハウス(ボースの生家、史蹟で一般公開されている)で行われた。第一日はインド大統領と西ベンガル州知事が出席、テレビにも中継される国家的行事の感があったが、会場はハウス内に仮設急造されたトタン屋根の大会場で、一般の参加者もあり千人近く大聴衆であった。今回はわざわざ西独からネタジ・ボースの令嬢夫妻、西独のエミリ夫人との間に生まれた長女アニタ・パス博士(大学教授)はじめ、アメリカ、カナダ、バングラデシュ、日本(小生)からの代表が壇上に並んだ。インド国歌演奏の中に大統領が到着して会が始まった。まず、ネタジ・ボースとビルマ戦線インパール作戦等で苦楽を共にした自由インド国民軍第一師団長M・Z・キアニー大佐(最近死亡)の未亡人ナシュア夫人と娘さんに、大統領から表彰の記念品を送られた。それを皮切りに夫人の謝辞、大統領、州長官の演説に続いて、西独を始め各国の代表のスピーチが続いた。小生も五分間であったが、日本代表として留学生を通じて知ったボースの印象を、教え子ガナの通訳で、日本語で話した。
 健在なりインド国民軍歴戦の勇士
 今回のインド旅行を通じて得た最大の印象は、四十年前の大東亜戦争によって培われたインド国民軍と日本軍との間に生まれた戦友愛である。セミナーの間や、また夜のディナーパーティーで、「少ししか日本語を知りません」と前置きして、積極的な自己紹介を受けた目の鋭い英国紳士風のサイガル大佐、情熱の塊のような白髪のディロン大佐のお二人から受けた純一無雑の友情と親愛の情は、永久に忘れることの出来ない思い出である。この二人と知合っただけで、インドに来た甲斐があったと感じた次第である。インドの留学生の教育に携わったとはいえ、野戦の経験皆無の小生にとっては、南方作戦の知識は殆どなかっただけに、自己紹介されてもどんな人か全然知らぬままキョトンとしている他はなかった。この二人がインパール作戦の後、日本軍と悲運を共にした勇敢な歴戦の勇士であり、歴史の証人とも言うべき両指揮官にお会いできたことは望外の幸せで、四十年経った今でも変わらぬ戦友愛を見せられ、感激の極みであった。
(一九八七年五月発行「借行」)


Parse error: syntax error, unexpected ';', expecting ',' or ')' in /home/yorozubp/yorozubp.com/public_html/netaji/wp-content/themes/magazine-news/comments.php on line 44