英中央銀行とIMF、米国が張った金相場の共同戦線
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◆金の国際価格上昇 9月末あたりから金(ゴールド)の国際価格が急に上昇したのを受けて、カナダ、アメリカあたりの金鉱山会社を筆頭に、我がアフリカでも、金採掘にからむ関係会社が笑顔を取り戻し、気温が上がると元気に動き出すトカゲのように、その動き方が妙に熱を帯びてきましたので、今回は少々生臭い金業界の話をお届けします。 ただ、私めは山師ではあっても評論家ではありませんので、気の利いた解説や占いはできませんけれど、日本の一流紙やインターネットでは流されることがないと思われる、いくぶんナマの業界事情も少しだけ交えて、その雰囲気を感じていただければ、と思います。 ◆トロイオンス
1997年以前には1オンス400ドルを超える時期もあったわけですが、1997年の11月あたりから300ドルを割り込み、瞬間の相場は別として、それ以降は290ドル近辺をふらついていました。それが1999年6月に入ってからは更に低下して、限りなく250ドルに近づきました。 (ちなみに、日本円でのグラム価格は、この国際相場にドル:円の為替相場等がからんできますから、変動の様子は今少し厄介になります。円での取 引は私めの守備範囲ではありませんので、ここでは省略しておきます) ■金相場、大量売却・リサイクル促進で下降線・世界へ波紋(朝日新聞 1999.6.10)この記事が、前後で自己矛盾しているように読めてしまうのは、天邪鬼な私めの読解力のせいとしても、保有する大量の金を売却する際に、それを意味もなく事前に発表する、などというお人好しの素人がアングロ・サクソン系の中央銀行にいるはずはなく、時機遅れに、しかも裏の意味を理解することなしに、まったく素直に荒っぽい記事を横流しする記者の育ちの良さと蛮勇に、この日、私めはすっかり感激してしまい、現地スタッフ共々賞賛の拍手を送ったものです。 この記事が出た頃は、他のメディアも似たような内容の情報を流していたようですから、朝日の記事ばかりをあげつらうのは方手落ちではあります。それは重々承知の上で、引用した部分以外の細部も含めて、ギニアの一部の与太新聞をはるかに上回る野性味にあふれた記事のお手本として、一部引用してみました。 ◆各地の金鉱山模様
○南アフリカの金鉱山はその採掘の歴史が古いために、現在では地下3,000メートルを超えるといわれる石英脈を追いかけていて、その生産コストは、多くの鉱山で1オンスあたり280ドルを超えていました。国際相場が250ドル台では採算に合うはずもなく、体力のない鉱山会社は淘汰されざるを得ません。その結果、経済の停滞、失業者の急増が政治問題化していました。資金力のある会社は、組織の生き残りをかけて、他国の作業条件のいい鉱区をすでに確保していました。 ○金のスペシャリストの集まるカナダ、アメリカ、オーストラリアでは、ここ2年間にわたる採算割れに近い国際相場のもとで、弱小会社はすでに消えました。それでも、ニューヨークの株式市場には、株価が限りなくゼロに近い零細な金採掘会社がまだ多数存在しています。トップクラスの大手会社はしっかりと人員整理を済ませ、手持ちの鉱山の生産コスト削減の努力も重ねた結果、株価も順調に推移し、次の飛躍のチャンスを狙っていました。 ○南アメリカでは、200ドルから260ドル近辺の生産コストを維持して稼動している、カナダ、アメリカの中堅の鉱山会社が多数存在していました。 ○西アフリカでは、露天掘りが可能という作業条件が幸いして、2年以上前に比べればいくぶん静かではあるものの、海外の複数の大手鉱山会社(アングロ・サクソンが多い)が有望な鉱区を確保して待機していました。この厳しい相場環境の中、昨年からギニアで採掘を始めたガーナ共和国のトップ企業A社は、現時点の生産コストは160ドルであると発表して、その時点での確認埋蔵量お よそ100トンの鉱区で作業を続けていました。 ○ロシアは、ソビエト連邦崩壊に伴って大量の国有の金を放出し尽くしました。その後は、鉱山そのものの衰退も白日の下にさらされ、自力での開発を続ける能力はなく、外国勢の資金を頼りにしてはいたものの、寒い季節が続いていたようです。 ◆最安値・吹雪く金業界(産経新聞 1999.7.26)朝日新聞6月10日の野心的な記事の一部は、産経の記事によって否定されましたが、それは新聞記事の信頼度はその程度とみた方がいいという教訓となっているだけのことで、ここではさほど重要ではありません。 ◆業界へスタンバイの指●
IMF、金売却計画断念も=米財務長官、代替案を検討(共同通信 1999.07.23)*ここでいう重債務国の救済とは、キリスト教信者の2000年に向けた宗教的行動を原動力として提案され、6月の主要国首脳会議(ケルン・サミッ ト)で合意された、途上国へのODA債権の放棄をさしています。その資金調達手段に、IMFの金売却計画も含まれていました。 建前はともかくとして、実質的には米国の国策銀行としての動きを忠実に実行しているIMFを利用して、国際金価格を援護しようとする米国政府の公式サインが、23日に出されたわけです。 IMF自身の債権放棄の資金確保のために、IMFが売ろうという素振りを見せていた放出量は、形としてはおよそ300トン程度だったのですが、結果的に はこれを擬似餌にされた形で(あるいは、口実として)、日本政府は、およそ 1兆円にのぼる日本政府自身の発展途上国への貸付金を、実質的に全額放棄する方針を6月のケルン・サミットですでに表明していました。 ◆売却方針の撤回
【ワシントン25日共同】国際通貨基金(IMF)は25日の理事会で、アフリカなどの重債務貧困国を救済する財源を確保するため、保有金14 00万オンスを時価で評価し直すことを決めた。さらに別のメディアは伝えています。 Ichizo Ohara, unofficial adviser to Japanese Prime Minister Keizo Obuchi, suggested in an interview on September 17 that Japan should buy up gold from the IMF by using the excess dollars it owns. However, he stressed this was only his personal opinion and that Japan was not currently discussing the issue with the IMF. (Gold in the Official Sector. October 1999,NUMBER9)◆雪解けのはじまり 2年間にわたる冬の時代に淘汰と整理がほぼ完結した金採掘業界は、より暖かな春の日差しの到来を待ちわびていたわけですが、7月23日の米財務長官からの公式なヒントを受けた後は、多くの大手採掘会社とそれに連なる関係者が、実に現金にきびきびとした活動を再開しています。晩秋の枯れススキ程度の思考回路しか持たない私めでも、はっきりと感じ取れる風のつぶやきが、地の果てギニアまでも聞こえてきましたから、世界は狭いといわざるを得ません。 着々とハレの日の準備を進めた面々は、週末の9月25日、売却中止の正式発表をニンマリと受け止めて祝杯を交わしました。翌週月曜日9月27日には、ロンドン、ニューヨーク、ホンコンの市場で、金価格が久しぶりに大幅上昇し、市場が一巡した翌28日には300ドルを突破しました。(10月8日ロンドン終値323ドル) 同時に、態勢の整った多くの鉱山会社の株価は、ニューヨーク市場の27日だけでも、横並びで50パーセント程度は飛び上がり、カナダの大手P社などは、一時70パーセント程度の値上がりを見せていました。これを見ても、G7でのODA債権放棄にからめた今回の巧妙な仕掛けが、金相場への心理的な後押しだけではなく、経済的にも充分な即効的効果をもたらしたことが理解できます。 ◆笑いの止まらないサマーズ米財務長官 サマーズ米財務長官、「笑い」抑えられず−−G7後の会見中、1分以上も応答中断(毎日新聞 1999.09.27)世界最大のODA債権国日本の債権全額放棄の約束を取り付け、IMFが保有していた簿価48ドルの金塊を300何十ドルかで引き取る、という気前のいい政府も見つけてIMFの資金調達はうまくいき、誰かが250ドル台で仕入れた金は、当然に300何十ドルかで処分でき、金相場の上昇で北米の金採掘会社とウォール街は財務長官の手腕に満足。 金相場などというものは、必ずしも需給のバランスで決まってくるものではありませんから、市場の雰囲気さえ良ければそれまでのことです。こんな状況にあれば、サマーズ米財務長官の笑いが止まるはずはありません。すべてのツケを精算するのは、結局、極東の淋しい大国の役目となったようですけれど...。(『金鉱山からのたより』 第23号 1999/10/09 発行) 斉藤さんへメールはsaitoh@mirinet.net.gn
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