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小沢征爾について その1

1999年07月05日(月)
Silicon Valley 八木 博



 私はかねがね、小沢征爾という人の行動や、考え方に注目してきました。2002年からウィーン国立歌劇場の音楽総監督の地位を約束されました。ここ10年間空席だった、世界最高峰の指揮者の地位です。彼が自分の道を進んでいることを知るのはとても楽しくまた勇気づけられることが沢山ありました。

 特に、彼が育ってきた環境や彼自身の周囲の人への思いやりなど、日本人の素晴らしい面や、情熱の為し得る力など一人の人間の素晴らしい生き様を見ることが出来ます。今回、私の知る範囲で小沢征爾とその周りについてまとめてみたいと思います。

 ●斎藤秀雄の父 斎藤秀三郎
 小沢征爾は桐朋学園で斎藤秀雄の教えを受けました。そして、その時に彼の音楽に対する目、自分の音楽に対する関わり方が決まったと言われています。その斎藤秀雄のお父さんと言うのは、英文学者の斎藤秀三郎です。この斎藤秀三郎という人は英語の慣用語法の解明に情熱を傾けた人だそうです。彼が集めた慣用語の集大成は、時の英米の文学者すら驚くほどの蓄積だたそうです。(これは、私の父から聞いた話です)

 その辞典は今でも岩波書店から発売されていて、熟語本位 英和中辞典として、続いています。初版は1936年で今でも旧仮名遣いのままで出版されています。私は、ここに明治の気概を見ることが出来ると思います。夏目漱石も同じ時代の人でした。

 ●斎藤秀雄
 斎藤秀雄はもはや日本のクラシック音楽会には絶大な影響を与えた人だと思います。文字どおりその薫陶を受けた人達が、世界中で活躍しています。彼がそれを成し遂げたのは、ドイツに留学して、チェロの科学的な奏法を修得して日本にもどり、それを教えていったからだと言われています。もちろん情熱を傾けつつ教えると言うことが、技巧だけでなく、生きることへの関わり方にまでつながっているのではないかと思えます。

 その教え子の中に、小沢征爾がいるわけです。そして、以前TVで見たのですが、小沢征爾が恩師の斎藤秀雄を語る時のあの表情は、なんとも言えずに、師弟のもつ尊敬の念と感謝の念が入り交じり、見ている私までがジーンとしてしまう、迫力がありました。優れた師の技術だけでなく、その情熱までも引き継いだ弟子という感じがしました。

 この話とつながると思うのですが、やはり斎藤秀雄の教え子で徳永二男という方がいました。彼は、N響の首席チェリストでしたが、1996年にガンで亡くなるのですが、その死の直前までチェロに対する情熱を失わずに、ガンが転移してもコンサートに出演し、チェロを弾き続けました。そして自分の入院しているホスピスでもコンサートを開くわけです。

 このような活動を見ていると、私は「人間って素晴らしい!」そして、その素晴らしいことを知ることが出来た自分がうれしくなるのです。生命体としての人間も大切ですが、それを生かしきる、意志としての人間に、不滅のものを感じるからかもしれません。

 ●そして小沢征爾
 若い頃の小沢征爾の活動を書いた本に、「ボクの音楽武者修業」というのがあります。今でも新潮文庫から発売されています。これは、ホンダのバクに乗り、日の丸の鉢巻きを締めて世界に駆け出した頃の小沢征爾が描かれています。今の時代に考えても、とんでもない行動なのですが、彼の音楽に賭ける情熱の強さを感じることが出来ます。

 たとえ分野が違っても、いまのベンチャーを始める人達にも相通ずるものがあるのではないかと思います。こんな事を考えつつ、日本人が持つ良さを、世界の中で生かすにはどうしたら良いか、小沢征爾の活動を通して考えてみたいと思 います。(文中、大先輩方に敬称をつけませんでした。僭越なこととは思いますがお許しください=週刊シリコンバレー情報 Vol065より転載)

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