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大世紀末の世相・日本のこころの考究

1999年03月08日(月)
とっとり総研主任研究員 中野 有



 時の一滴一滴が新たな歴史の扉を開く。将に1999年から2000年に変わる今年の大晦日の一瞬は最もこくのある最高級の赤ワインのような一滴に相応しい。そんな千年に一度の歴史的瞬間に巡り会うことができるとは何と幸運な事か。この大世紀末の一瞬を歴史の刻印を刻むに相応しい所でどのように過ごすのか。夢が膨らむ。とにかく哲学や歴史や宗教について、ひいては「日本のこころ」に関しじっくりと問い直す絶好の機会ではないか。

 世紀末には普段考えないことに思いを馳せるようだ。さてその世紀末でも千年前はどんな世相だったのだろうか。歴史の旅をすることにより日本の生地が見えてくる。藤原道長の「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば」に表現されるように宮廷貴族の時めいた世の中であった。

 この宮廷のあでやかな装いや雅やかさの裏で展開される恋物語を清少納言の枕草子や紫式部の源氏物語が伝えている。一方、疫病が蔓延し社会諸階級層の危機意識と不安感が高まり人々の間に末法思想が広がり、諸神諸仏への信仰をかき立てた。地上に浄土を現出しようと財をそそぎ心を砕いたのであった。

 この平安中末期の世相は、現在と多くの共通項がある。バブル経済の絶頂期には日本は世界を相手にこの世の望月を謳歌した。その反動により社会不安や老後の不安が重なり経済が萎縮し、有効需要の創出を唱い地上に浄土を現出すべく公共事業に財を投げうった。そして末法思想の如くいくつかの新興宗教も出現した。

 何時の世も「盛者必衰の理を顕はす」の如く繁栄と衰退の波が訪れる。その振幅が大きくなるのが世紀末の特徴であり、宗教心や普遍的なものへの探究に駆り立てられるのが現在の世相ではないだろうか。その意味でも現在の歴史のリズムから洞察すれば、論議されている遺跡問題一つをとってみてもルーツを探る意味で保存の重要性が認識されるだろう。

 世界各地で生活して思い当たることは、現在の日本の弱点は明確なビジョンの欠如であり、夢のある発想が渇望されている。確固たるビジョンは哲学や宗教心の基盤があってこそ生み出されるものであるとすると、今、世界に一目置かれるための「日本のこころ」換言すれば、現代人が忘れてしまった「大切なサムシング」を考究する必要がある。

 明治初期、岩倉具視を団長とする革命の英雄豪傑たち50人ほどが1年9ヶ月あまり欧米視察を行った。目的は新生国家のデザインを描く旅であり、世界史のどこを見ても国家のかたちを創る中心人物たちがこのように長期間の世界漫遊の旅に出た例は見られないという。伊藤博文がサンフランシスコで英語でスピーチを行った。これは日本人が、公式な場で最初に行なった英語のスピーチだといわれている。

 伊藤博文は、この「日の丸演説」にて、日本の政府および国民が熱望していることは、欧米の科学・技術・文明の最高点に達することであると欧米へのあこがれを謙虚に述べると同時に、一滴の血も流さず成し遂げられた明治維新に触れ、日本の精神的進歩すなわち、「日本のこころ」が物質的進歩を凌駕すると熱弁を奮った。米国の聴衆は、日本を知り万雷の拍手をおこし、しばしそれは鳴りやまなかったという。

 現在、我々の先祖が熱望した欧米の科学・技術の最高点に達することはすでに成し遂げられた。しかし、世界が一目置いた「日本のこころ」の焦点がぼけてしまった。この大世紀末に、高い志を持って歴史的な大変化の時代に立ち向かった先人の足跡を見つめ世界から喝采される21世紀の日本の針路を描かなければいけない。たぶん、2999年の宇宙空間に生きる時代においても「日本のこころ」について語り継がれているだろう。(なかの・たもつ)

  中野さんへnakanot@tottori-torc.or.jp

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