コメ輸入解禁のため操作された可能性のある93年作況指数?1998年08月07日(金)萬晩報主宰 伴 武澄 |
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政府統計への不信感は、1998年02月20日の「 西友物価指数とつかみ損ねた価格破壊」で書いた。今回はコメの話をしたい。総務庁が発表する消費者物価指数は、調査項目と調査地点が国民の実際の消費とあまりにもかけ離れていることから信頼性が揺らいだ。コメの作況指数は調査数値をそのまま発表せず、集計段階で鉛筆をなめている可能性が否定できないのだ。 湧き出てきたないはずの国産米 作況指数に政策的意図が入る余地はないか、どこまで収穫量を正確にとらえているのか、不満が噴出する背景を取材して記事にしたことがある。1994年11月のことである どうして作況指数に関心を持ったかといえば、農水省を担当していた1994年6月ごろ突然、コメの卸業界から「国産米が次々と湧き出てきた」という話が出ていたからだ。 いうまでもなく前年は「作況指数74」というとてつもない凶作だった。普段の年の74%しか収穫できなかった。この「74」という数字に対して「10ポイント、量にして100万トンぐらい違う」「農水省はコメ輸入解禁のショック療法に低めの数字を出したに違いない」。こんな声まで出ていた。 1993年はウルグアイラウンド(多角的貿易交渉)の最終年度で、日本は12月までのコメ市場開放の決断を迫られていた。結果的にミニマムアクセス(最低量輸入)という選択肢を取り、国内のコメ不足も相まって日本は1994年からコメの輸入を解禁することになった。 政府発表では、3月の時点で食べ尽くしていたはずの国産米がその後も市場にあり、6月になると「湧き出した国産米」によって60キロが5、6万円にも高騰していた卸売り価格が見る間に下落に転じたから、流通業界が前年の「作況指数74」を疑ったのも自然の成り行きだった。 県レベルで操作される可能性ある作況指数 作況指数はそもそも、年度の収穫量をはじくために計数。現在の方式になったのは1951年からだ。農水省の地方統計情報事務所が全国3万カ所の田んぼを実際に坪単位で刈り取り、収穫量予想を8、9、10月の3回のわたって計測、平年作との比較を指数化する。10月の段階では農林水産統計観測審議会という長い名前の審議会の農作物作況決定部会にも諮って発表する。 まず卸業界でうわさされた「94年の作況指数に関しては農水省の統計情報部内部で作況論争があった」との疑惑に、大河原農水相は「政策的意図が入る余地はあり得ない」と断言した。コメを主管する食糧庁でも答えは同じだった。 農水省の統計情報部は「われわれの調査の精度の誤差はは0.4%以内」と疑いを一笑に付し、ないはずの国産米の流通については「作況指数で落とされる規格外米が市場に環流しているのではないか」ともっともらしい回答だった。卸業界が言っていたのは100トンである。規格外米が収穫の十数%もあるとは思えなかった。 しかし、県レベルとなると話は違った。1993年11月、福井県農協中央会は「従来から福井統計情報事務所の調査方法に疑問を持っていた。10月15日時点の福井県の作況指数89は高すぎる。実際の指数は10ポイント下回る」などと修正を求めていた。数字を調整できないはずの作況指数に修正を求めていたということはどういうことなのか。 関係者から「県レベルの作況指数の決定には都道府県の農業委員会や農業試験場、農協代表などの意見を取り入れるため、調査結果から1、2ポイント動くことはある」との証言を得た。一部の農家からは「大抵の場合、作況指数による予想収穫量よりも実際の収穫量の方が多い」との本音の声も聞いた。 取材が十分だったとは思わないが、県レベルで作況指数が調査結果から変動する可能性は分かった。農水省で数字を操作することはないち抗弁しても、県レベルで操作されていたのでは指数の信憑性は薄れる。 作況指数は、コメの市況に敏感に反映するため、農家や卸売り行にとって例え1ポイントでも深刻だ。結果として、1993年の需給見通しを見誤った食糧庁は政府在庫として緊急輸入米90万トンの余剰を抱えることになった。足りないはずのコメが出てきたから輸入米が余ったのである。 コメ凶作、コメ市場一部開放、緊急輸入、そして大豊作と激変した1993−94年の日本の食糧管理。新食糧法の導入でコメの国家管理は基本的になくなったが、逆に作況指数は重要視を増している。山種産業の役員が漏らしたことを思い出した。 「農協も市場も、もう農水省の作況指数を信じていない」。 |
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