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ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人

1998年04月04日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄

 日米の二国間協議の取材で、ワシントンのホテルに10日間、滞在したことがある。ダイニングルーム付きの大きなスイートルームを格安で借りた。冷蔵庫もあったのでさっそく近くのスーパーに買い出しに行った。

 モノは日本の半分の価格だった。一番驚いたのが、フレッシュなオレンジジュースの販売方法だった。生のオレンジの山からジューサーに果物が落ち込み、下の蛇口から容器に搾りたてのジュースを受け止める仕組みになっていた。プラスチック容器は持参したものでもよかったし、店内でも販売していた。

 プラスチック容器は何回でも使うものなのだということをあらためて知らされた。頭をよぎったのは子どものころのお手伝いの思い出である。

 「そうだ。子どものころ、酒屋では醤油を買うのにビンを持っていき、大きな樽から量り売りをしていた」

 中年の人ならば、みんな思い出があるだろう。

 そういえば、味噌もみりんも量り売り。とうふもナベを持参して入れてもらった。たまごは店頭で稲わらに詰まっていて、包み紙は古新聞だった。そんな時代に戻せ、と言おうとしているのではない。アメリカで体験した容器の再利用は日本では逆方向に進んでいるのではないかと考えた。

 一部かもしれないがアメリカでは、容器持ち込みでジュースが買えるのに、日本ではペットボトルを収集して、コストをかけてワイシャツに仕立て直している。その彼我の違いが気になった。

 帰国後、しばらくして取材を通じてキッコーマンの人と親しくなった。醤油の量り売りの話をした。

 「むかし、醤油は酒屋で量り売りをしていましたよね。あれは復活できないのですか」
 「そうなんです。うちとしても検討したことがありました。でもだめだったんです」
 「だめになった理由はなんなんですか」
 「食品衛生法というの知っていますか。厚生省の管轄のやつです。生産現場での直売では量り売りが許されているのですが、キッコーマンのように工場で生産する場合、流通を何段階も経て商品が消費者に渡るでしょう。生産や出荷段階で食品衛生法の検査をパスしないと売れない」

 つまり、出荷後してから消費者の手に渡るまでの間にばい菌が入らないようにパックが必要だと言うことらしかった。厚生省という"潔癖"な官庁がつくった法律が量り売りの障害になっているというのだ。

 ●日本人が年間捨てているペットボトル代は1兆円を超える
 日本人のだれもまだ気付いていないと思うことを萬晩報が教えましょう。ペットボトルの値段だ。空の1.5リットル瓶はふた付きでなんと65-75円もするのだ。工場への卸売価格である。あんなもの10円かそこらだと考えていた人が多いにではないかと思う。

 これはキリン・ビバレッジとサントリーの人に聞いたからうそではない。われわれは年間、何本のペットボトルを捨てているのだろうか。そう考えるとペットボトルは環境問題ではなく、コストの問題になる。毎日1本ずつ捨てているとすると、年間で365×60円としても約2万円を捨てている勘定だ。世帯数4000万として、なんと8000億円にもなる。70円で計算すればゆうに1兆円を超える。

 いま盛んに議論している景気対策の減税額は2兆円である。たかが水やジュースの入れ物に日本人はこれだけのコストを支払っていることを実感しているだろうか。スーパーの安売りに殺到する主婦が一方で、こんな商品を平気で買い物かごに放り込んでいるのだ。

 話を戻す。国が国民の衛生まですべてを管理しようとするから食品衛生法などという法律が生まれた。そう考えるのはたやすい。でも国民もマスコミもいったん事故があると「国の監督責任」を問うてきた。いま規制緩和が大流行だが、国に「管理せよ」「監督せよ」と迫ってきたのもわれわれなのである。そもそも官僚は管理監督が大好きな人種だ。その官僚に管理監督をお願いしていたのがわれわれだったのだとしたら、国民もあまり偉そうなことはいえない。

 いま一番大切なことは、自己責任でしょう。戦争や天変地異のような異常状態にあっては国の出番があるのだが、日常の生活ぐらい、誰に責任を押しつけることもなく自らの手でやって行きましょうや。

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