HAB Reserch & Brothers


5年前の興奮を思い起してもう一度わくわくしよう

1998年04月02日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄

 ●大いに流行った「かみさんがね」
 5年前のことを思い起こしている。日本新党が旗揚げし、小沢一郎が自民党を離脱して総選挙に突入した。なにかが変わるのではないかと国民全体がわくわくしていた。

 知り合いの紙パ企業の役員が「うちのかみさんがね。東京駅前でいそいそとビラ配りしているんですよ。私は立場上、自民党を割って出たような人たちを支援するわけにいかないんですよ。かみさんはそんなこと一切関知していないんですよ」と嬉しげだった。当時「かみさんがね」というのが流行った。新しい政党出現の動きを喜んだのでは男の沽券にかかわるとばかりに「かみさん」に自分の意見を代弁させていた。男たちは本音では喜んでいた。

 そのころ多くのかみさんたちは、テレビ朝日で久米宏の「ニュースステーション」に釘付けとなり、終わるとチャンエルをTBSに変えて筑紫哲也の「NEWS23」に見入っていた。ほろ酔い気分の亭主をつかまえて「あなた、きょう久米宏さんは・・・・っていっていたけどホントなの」なんて毎晩のように追及していた。だからサラリーマンの朝の会話も「うちのかみさん」で始まった。

 その結果かどうか知らない。1955年の保守合同以来続いた自民党単独政権が1993年8月、終焉を終えた。保守合同に反対して「単独政権は腐敗し崩壊する」と公言したのは民主党幹部だった松村謙三だった。三木武吉は「10年持てば」と言ったが、松村は「30年後に崩壊する」と言った。それが38年かかった。

 ●大蔵省こそが自民党を支配する遺伝子
 その新党ブームが1年しか続かなかった。細川政権が福祉消費税7%容認で政権を降り、羽田政権はたった2カ月で崩壊した。社会党と組んだ自民党が村山さんを首班に担ぎ上げ、再び自民党が与党に戻った。福祉消費税は1994年1月細川首相が突然言い出したことになっているが、これは大蔵官僚が仕掛けた策謀だと考えている。裏に自民党がいたかどうかは知らない。だが自民党は細川氏のNTT株疑惑と佐川急便との癒着問題で揺さぶりをかけていた。

 自民党は2年ちょっとで橋本政権を成立させ、1996年秋の総選挙でも圧勝した。5年ぐらい野に下っていれば体質改善が進んだかもしれないのに、自民党は腐敗体質が直る前に復活してしまった。その自民党政権下で金融危機が起き、大蔵省幹部による金融機関との癒着構造が明らかになった。竹内久美子流に考えると、大蔵省こそが自民党を支配してきた遺伝子ではないかという気がしてきた。

 その遺伝子が狂い初めて久しい。企業からの飲食接待やゴルフ接待に抗する機能を失っていた。もはや遺伝子が免疫不全症候群症状にかかっているといってもいい。エイズやエボラ熱は恐いのは病気そのものでなく、病原ウイルスが体内にある抗体を破壊するからである。

 いま政府・自民党が検討している16兆円の史上最大の景気対策は大蔵省が国債発行の大盤振る舞いを決めたところから始まる。1992年からの60兆円を超える経済対策が効果がなかったことが免疫不全の兆候であり、学習効果もなく繰り返すところが症候群である。

 だったらどうすればいいのか。簡単だ。遺伝子が支配する個体をわれわれの手で変えればいいのだ。民主主義体制では、手法は選挙しかない。5年前、選挙で自民党支配が終わった。しかし国民は2年前、再び自民党を復活させた。

 まずは7月の参院選である。いま日本が必要としているのは「変化」だ。いまの野党になにができるという見方も当たっているが、少なくとも大蔵省遺伝子が活躍できる余地は少ない。免疫不全だけは防げるかもしれない。もっっともわれわれが必要としているのは新しい久米宏と筑紫哲也かもしれない。国民がわくわくすれば景気もよくなる。

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