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香港で築いた金融人脈/山代元圀氏の20年の軌跡

1998年02月04日(水)
共同通信社経済部 伴武澄
 ●早く本社に帰してあげなさい
 日本の金融業界トップが名を連ねてトルコを訪問した時、住友銀行の磯田元頭取が北海道拓殖銀行の頭取に「香港の山代君は香港駐在が長いね。あんまりだ。早く本社に帰してあげなさい」と言った話が業界で話題になったことがある。1990年代初めのことである。  山代元圀(もとくに)氏は拓銀の香港法人代表である。磯田氏の言葉をまともに受け止めた人はいなかった。アジアでの営業基盤強化を狙っていた住友銀行にとって「山代氏はじゃまだった」のである。当時、山代氏は香港、南部中国、台湾での案件にほとんどすべて関与していた。「山代氏を通さないと仕事が取れない」ともいわれた。

 華僑は人脈で動く。企業の大きさは問わない。つき合った長さや深さが肝心のビジネスがものをいう。大企業のトップといえども「一見の客には冷たい」。そもそも2、3年でころころ変わる日本の金融機関の現地社長に華僑とビジネスを語る資格はない。

 筆者もアジアで多くの企業や政府高官を取材した経験があるが、大手企業の現地法人はあまり頼りにならなかった。台北、マニラ、深セン、福州、煙台など多くの都市で意外な(といっては失礼だが)人物が現地社会に食い込んでいた。そんな一人に山代氏がいた。

 山代氏は1942年生まれ。慶応大を卒業して1967年に拓銀に入った。77年には香港駐在を命じられ、以来20年以上、香港にいる。北京語を学び、広東語や台湾語にも挑戦した。中国がようやく文化大革命の混乱から脱しようとしていた。故トウ小平は2度目の失脚で失意にあった次期である。そんな時に山代氏は、すでにアジアに実直に取り組み始めていた。

 ●月曜日に張会長の秘書に電話しなさい
 1988年11月、台北でどうしてもエバグリーンの張栄發会長に会わなければならなかった。世界最大のコンテナ海運会社で、近く航空会社を設立するという話を記事化したかった。現在の「Eva Air」である。米国では航空業界の規制緩和で多くの新規参入者が航空分野に進出、パンナムなどエスタブリッシュメントが市場から蹴落とされようとしていた。アジアでは、韓国にアシアナ航空が生まれ、香港にドラゴン航空が産声を上げていた。日本では日本航空のジャンボ機が御巣鷹山で悲惨な事故を起こした数年後ではあったが、台湾でエバグリーンが参入すれば、いずれ日本にもという思いがあった。

 エバグリーンには、日本からも香港からもアプローチしたが、ナシのつぶてだった。香港に駐在していた日本長期信用銀行の友人に「会えないものか」と食事の際、問うたところ、山代氏の名が出てきた。それまで山代氏の名前すら知らなかった。拓銀がアジアで何をしているのかとも思った。

 「すぐ来い」という返事をもらって、オフィスに駆けつけると「ちょっと待ってて」と台北に電話を入れた。受話器を片手に右手で「OK」のサイン。ものの5分である。「月曜日に張会長の秘書のアイリーンに電話しなさい。それまでに会長の時間をつくっておくといっている。後は大丈夫」といってアジア経済を語り出した。金曜日の午後の話である。

 相手の求めているところを瞬時に察し、すばやく行動に移すだけでない。ただちに結果も出す。山代氏のそのスピードにアジアを感じた。「この人は日本ではやっていけないな」とも直感した。その後、拓銀は1990年代に入って急激に経営基盤を崩し、昨年ついに破綻した。筆者の知る限り山代氏が融資を決めたホープウェルやエバエアーなど華僑系企業はいずれも昨年来のアジア通貨下落にも耐えている。

 ●不良債権を出していないのが私の誇り
 1997年1月、山代氏は取締役で拓銀を去り、香港にユニ・アジア・コーポレーションを設立した。 その3カ月後、拓銀は北海道銀行との合併を発表し、半年後にはその合併交渉も破綻し海外からの撤退を余儀なくされる。香港での拓銀の地位は日本では知ることができないほど強力だった。1992年のアジア地区での協調融資案件で拓銀が手掛けたのは9億ドル。並み居る国際的金融機関の中で6位である。邦銀ではもちろんトップだ。中国の深セン経済特区に初めて支店を開設したのは拓銀だった。19983年のことである。東京銀行は後れを取った。すべて山代氏の仕事だった。住銀の磯田氏が山代氏の存在を煙たがった理由はここにあった。

 山代が古巣を去ったのは拓銀が疲弊していったからではない。「日経ビジネス」誌へのインタビューでも明言している。「日本がバブルで沸き立っていても、私は香港で実直にやってきた。不良債権を出していないのが誇り」と語る。ユニ・アジアは日本とアジアをつなぐコンサルティングが主業務だ。エバグリーンなどアジアの主力企業も大株主として連なる。この新会社が通貨危機後のいまどうなっているか心配だ。アジアを知り、深く愛する数少ないビジネスマンにもう一度会いたい。

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