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ビッグバンの末に現れた「究極の護送船団」

1998年01月14日(水)
共同通信社経済部 伴武澄
優先株の発行は発行銀行にとって配当負担が大きいものであることは13日の「ルール違反の優先株発行」で述べた。当座の配当負担の増加よりも自己資本比率の維持の方が課題の金融機関は、苦しまぎれに優先株を発行したとしてもある程度は仕方がないかもしれない。しかし、破綻の心配のない東京三菱銀行までがどうして、配当負担増という危険まで冒さなければならないのか。

橋本首相は、一昨年末に「フリー、フェア、グローバル」のビッグバン宣言を高らかに世界に宣言した。三塚蔵相も「金融機関といえども倒産する」時代の到来を明らかにした。世界の金融市場は橋本首相や三塚蔵相の「言葉」を「日本もついに護送船団方式」を放棄して世界の仲間入りをする覚悟と信じた。しかし、彼らの胸中に山一証券の破綻まで入っていたかどうかは疑問である。まして、富士銀行や安田信託銀行が破綻の瀬戸際に立たされるとは考えなかったはずである。

政府や自民党の大方の予想を裏切って、昨年秋以来、大型の金融破綻が続いた。そしてビッグバン宣言からたった1年で現れたのが「究極の護送船団」である。昨年のクリスマス・イブに発表された「金融安定化策」である。政府や自民党が「安定」という言葉を言い出したときは気をつけた方がいい。

戦後しばらく、GHQの下で混乱期の日本の経済政策を牛耳った官庁の名称は「経済安定本部」だった。俗称「安本」として知られ、戦後統制の総元締め役を担い、1952年7月まで約6年間、日本経済の全権を掌握した。オイルショック後の1978年、素材産業の生産カルテルや販売カルテルを認める法律を打ち出した。その特に法律の名前は「特定不況産業安定臨時措置法」だった。俗称「特安法」である。5年の時限立法だったが、「臨時産業構造改善臨時措置法」(産構法)に衣替えして、結局、バブル経済の最中まで15年間続いた。

安本の場合は、戦後の混乱期を乗り切るためにある程度しかたのない措置だった。安本が成功したのは、戦前からの人事が一新され、民間人が多く登用されたからだ。戦前の財閥経営者や財閥解体はすべてGHQによる戦後パージで経営の座を追われたからだ。

特安法の問題は、日本がひとり19世紀の遺物であるカルテルを主要産業に持ち込んだ点である。加えて人事の刷新はまったくなかった。司令官はおろか船長すら変わらなかった。先進各国がオイルショックの痛手の中で疲弊し、サッチャー元首相やレーガン政権は規制緩和と民営化という新たな手法で経済の活路を模索していた。90年代に批判された「日本的経営の指導力の欠如」はまさに15年間のカルテル経営の落とし子であったはずだ。

今度はその統制が、金融危機の名の下でまた始まろうとしている。しかもバブル経済を担ったその人たちの手で。バブル期の内閣総理大臣は宮沢喜一氏であり、大蔵大臣は橋本竜太郎現首相、さらに通産大臣は三塚博現蔵相だったことを思い出してほしい。


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