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沖縄振興に台湾から1000億円投資構想が浮上
   日経ビジネス誌「深層」(1997年3月10日号)に掲載

1997年03月01日
共同通信社経済部 伴武澄

ご意見  「沖縄振興に台湾のODA?」−96年12月、ボーダーレス時代のアジアを象徴するかのように台湾の国民党系企業が10億$を沖縄に投資する構想が急浮上している。国民党系企業は、7月1日に控える香港返還を前に香港にある巨額な資産をシンガポールやフィリピンに逃避させており、沖縄への投資構想もその一環との見方も出ているが、受け入れ側の沖縄県は千載一遇のチャンスとばかりに日本政府に対して法人税の減税やノービザ制度など規制緩和をこれまで以上に強く求めはじめている。

 ●沖縄をスービックに
 96年11月末から台湾を訪問した沖縄県経営者協会の稲嶺恵一会長が李登輝総統と会談した際、「今後1年間以内に国民党企業が1000億円規模の投資をできるかめどをつけたい」と漏らしたのがきっかけだ。

 実は台湾はそれまでに3回にわたり沖縄の経済環境や規制緩和の動きを綿密に調査しており、12月にも沖縄県を訪れた中央投資の楊宗哲会長は「沖縄は場所的に香港に負けない。一国二制度が実現すれば台湾や韓国、中国、香港からいろんな投資が入ってくるだろう」と持ち上げ、沖縄の基地返還に伴う振興策や規制緩和の展望を問いただした。

 観光のほかこれといって産業のない沖縄県にとって1000億円の持つ意味合いはとてつもなく大きい。県の年間予算は6000億円程度だが、最大の民間企業であるオリオンビールでさえ年間の売り上げは1000億円でしかない。これまで民間投資は大きくてもせいぜい数10億円規模だから、1000億円の投資が沖縄にとっていかに魅惑的に映るかが分かる。

 フィリピンのスービック地経済特区は96年11月、APEC(アジア太平洋経済会議)の非公式首脳会議が開かれたことで世界的な認知を受けたが、実は基地を経済特区に変貌させたのは台湾の経済協力がきっかけだった。

 基地の再開発はラモス大統領の肝入りで始まった。港湾や飛行場などインフラを持つだけでなく、基地で働いていた技術者や労働者もレベルの高く、開発の潜在力はあったが、開発資金がなかった。そこにいち早く目をつけたのが台湾だった。

 大陸への過剰な投資を他のアジア諸国へ分散させる目的もあり、数1000万$を投資してスービック湾の一角に台湾工業区を建設した。開発に着手してからまだ四年しかたっていないが、現在ではアパレルを中心にパソコンなど台湾企業53社が進出、航空貨物の米フェデラル・エクスプレスもアジアの貨物集積のハブ空港としてスービックに進出した。太田昌秀知事もスービックを訪れ、基地という負の資産をプラスに転換させたことに感銘したという。

 世界でも最も金持ちの政党は台湾の国民党だといわれている。公称600億台湾$。日本円換算で3000億円だが、あくまで簿価計算。「総額300億米$」とのうわさはあながちうそではない。傘下に中央投資、光華投資、悦昇昌、景徳、華夏、啓聖実業、建華投資の7つの持株会社を持ち、重厚長大からハイテクまで121の有力企業に投資している。

 台湾電力や中国石化、中国鋼鉄など民営化した企業はもちろん、辜振甫が率いる台湾セメントグループや遼東航空など老舗企業は国民党の息がかかっているのは知られるところ。最近ではパソコンの雄、エイサーにもベンチャーキャピタルの中華開発信託への株式所有を通じて間接的に投資、主要株主の一角を占めており、半導体企業で二位と躍進著しい聨華電子(UME)も政府、フィリップスに次いで3番目の投資規模を誇る。

 ●アジアに探る未来
 沖縄では現在、アジアの中継貿易で栄えた琉球王国時代の復活を目指した国際都市形成構想が進められており、台湾との接近を図るほか、中国福建省との交流も拡大している。「21世紀・沖縄のグランドデザイン」では沖縄を「日本の南端」から「アジア太平洋地域の結節点」へと位置づけを大胆に変更した。

 96年11月には沖縄福建省サミットが開催され、省長ほか経済関係者が多く沖縄県を訪問した。現在、省都の福州市では沖縄会館を建設中で、アモイ市のアモイ大学には沖縄から100人の留学生を送り込んでいる。96年4月からは試験的にアモイ航空のチャーター機が那覇空港に中国からの貨物を運んできている。沖縄大学は福州に分校を作る計画もある。

 沖縄の目は本土よりも対岸のアジアに向いているといった方が分かりやすい。琉球新報は新年から「アジアに探る沖縄の未来−レキオス新時代」という連載記事を掲載、沖縄タイムズも「大転換沖縄−アジアのハブ」の連載が続いている。特に太田知事がマレーシアを訪問して、同国が総事業費1兆円をかけてクアラルンプール郊外で進めるマルチメディア・スーパー・コリドー計画(MSC)の進展ぶりに「一つの国と県ではこれほどまでの差があるのか」とため息をつく場面が印象的。アジアに学ぶ姿勢が色濃く紙面に反映されている。

 沖縄振興のため鳴り物入りで1988年オープンした沖縄自由貿易地域(FTZ)は優遇措置が中途半端だったため当初進出した27社も現在では9社のみ。出荷額も17億円しかない。港湾と背後の広範囲な工業団地を一体化し、相次ぐ外資優遇策の導入で成功した台湾の高雄や韓国の馬山と比較しても仕方ないが、コンテナ輸送が主流の時代に専用クレーンさえなく、本土への中継貿易港としての機能も十分に果たせていない。

 基地と本土依存の沖縄経済は目下、公共投資といった資金投入への関心は相当程度薄れている。投資環境さえ改善すれば民間資金はどこからでもやってくることをアジアの発展に学んだ結果だ。このため、政府への要望は自由貿易地域での法人税撤廃や独自の関税制度、国際航空網の増開設、ノービザ制度など規制緩和を中心とした制度改革に重点を移しはじめている。

 そこには発展するアジアと対照的に低迷する沖縄の姿が凝縮されている。日本政府自身が規制緩和や民営化に躊躇したため世界のダイナミズムから取り残されており、もはや小手先の改革では経済は再生しないことに沖縄がいち早く気がついたのだ。

 ●一国二制度は世界の常識
 台湾側が沖縄投資で照準を合わせているのは製造業ではない。第二次産業の基盤は弱く、政府の補助金でしか成り立たない農業には飛躍の可能性はない。投資の可能性が高いのは観光を中心とする第三次産業だ。特に観光は有望。台湾にとって一番近い外国で、自国ではみられない珊瑚礁と白い砂浜は大きな魅力だ。

 那覇駐在が長かった台北駐日経済文化代表處横浜分處の呉嘉雄處長は「ノービザが実現すれば台湾からの観光客は4倍増の50万人は固い」と自信を示す。戦前から沖縄は本土よりも台湾との交流が強かった。旧帝大の台湾大学には多くの沖縄学生が学んでいたし、就職も台湾の方が便利がよかったという。沖縄が台湾や対岸の福建省に向くのは地勢学的に自然な傾向なのかもしれない。  沖縄の求める制度改革について日本政府は「一国二制度はいかがなものか」という対応で決して前向きではない。世界を見渡してみれば「一国二制度」などは先進国でも多くある現象だ。連邦制をとる米国では州によって税制はまったく違うし、中絶の許可も州によってまちまちだ。英国のスコットランドではハイテク企業への優遇税制を早くから導入している。沖縄で別体系の法人税制を認めていけないはずがない。

 外務省や法務省が頑として受け付けないノービザ制度にしても、米国本土の渡航にはビザが必要でもグアムはいらない。済州島は観光目的はノービザ。台湾とは国交がないが一昨年から日本人に対して二週間までビザを免除している。

 そもそも日本政府は、沖縄と北海道に対してのみ開発庁を設けるなど独自の行政組織を長年続けてきた。特に沖縄には地中海ミバエの存在を理由に一部の農産物の本土への「輸出」を禁止している。

 日本は現在、あらゆる制度改革が求められており、日本政府もようやく重い腰を上げはじめている。台湾の沖縄への投資は「メイド・イン・ジャパン」が目的とされた時期もあった。しかし、もはや世界のパソコンユーザーはパソコンの中身の半分以上が台湾製の部品で占められていることを知っており、短期間に「メイド・イン・ジャパン」の威光も消え失せてしまった。

 台湾が沖縄に注目するのも現在、直接貿易が禁止されている大陸との中継貿易港としての役割も否定できない。いま政府は決断のスピードが求められている。中台が直接貿易を解禁する前に、そして台湾の観光客がグアムやプーケットに魅了される前に沖縄のイメージアップが必要だ。アジアの経営は3年や5年も改革を待ってくれない。長くて一年といった単位で変革が起これば、沖縄が発火点となって日本が変わる。(了)

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