長袖の赤いシャツ
リマに到着した夜、Hotel La Estrella de Belenで明かした。翌朝、滞在中の服やリュックサックを調達するために、近くの店に繰り出した。La Fabricaという服屋に入り、そこでマネキンにディスプレイされている長袖の赤いシャツが目に留まった。そのとき、応対してくれたのが1年後にかみさんになるLicettである。彼女とは、その日から会うようになった。
ロングの黒髪の彼女は、他の店員と同じように、ジーンズに半袖シャツという動きやすい姿で働いていた。
「あのシャツが見たいんだけど・・・。」と尋ねると、
「このシャツ?」
と彼女はシャツを持ってきた。
彼女が持ってきたシャツは黒いラインの入った赤色の長袖だった。
「袖に、白いラインが2本入っているやつ」
こんなやり取りを何度かして、彼女はお目当ての長袖のシャツを持ってきた。
「ありがとう。このシャツがいい」と私は言った。
服屋ではごくありふれた風景ではある。私たちを見ていた仕事場の一人がこちらにやってきた。
「彼女は独身だし、仕事が終わってからデートに誘ったらどう。電話番号を尋ねたらどう」
と切り出してきた。
「休暇が終われば、日本に帰らなくてはいけないから」
と言い、店を後にした。
アルマス広場付近を歩いていたが、「メールなら、帰国してからでもやりとりできるな・・・」と思い、La Fabricaに戻ることにした。その時、彼女が電話番号を伝えてくれたこともあり、せっかくだから、仕事が終わってから会うことになった。その日は、閉店後の午後11時に店の前で待ち合わせし、「晩飯でも行こうか」ということになっていた。食事のできる店はラストオーダーが過ぎている時間帯だったため、リマ中心部にあるアルマス広場やサン・マルティン広場、公園等を歩いた。服屋では、大学の休暇を利用してアルバイトをしていたのだった。私は、彼女が強い意志を宿した目をもつ女性であることを知った。
その後、ペルー滞在期間中の大半をリマで過ごすことになった。無論、お気に入りの白いラインが2本入った長袖の赤いシャツを着て外出したものだった。私は、ナスカ、プノ、クスコ、マチュピチュ遺跡を滞在予定としていたが、彼女のおかげでクスコとマチュピチュしか訪問できなかった。
立田潤一郎にメール junichiro1997@gmail.com
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