私は経済に不案内であるが、それでもある国の経済活動を判断するために、国民総生産(GNP)とか失業率とか経済成長率とかいろいろな経済指標があることを知っている。すこし前、私は新聞を読んでいて身長もそのような経済指標の一つであることを知る。このような観点に立って、発掘された人骨や徴兵記録などの身長についてデータを収集・分析する研究は米国とドイツで盛んで、研究者は「生物的生活水準」と表現を用いる。平均身長のほうが、一人あたりのGNPより、人々が本当に営む生活についてヒントをあたえると主張される。
研究者のなかではミュンヘン大学のジョン・コムロス教授が有名で、2004年4月5日のザ・ニューヨーカー誌にこのブタペスト生まれの米国人・経済史家についてのルポが掲載された。メディアの関心が高いのは、身長という身近なテーマを扱っているからであるが、それだけではない。米国と欧州は、半世紀以上もお互いの相違を見ないですまそうとすると傾向があったのが、イラク戦争以来この状況が変わりつつあるからである。
■伸びたり縮んだり
個人の身長は遺伝に左右される部分が強いが、ある集団の、例えばある国民の平均身長をとってその変化を見ると外的要因に左右される要素が強い。出生前と出生後の成長期にプロテイン、ビタミンなど十分に含みカロリーのある栄養物を摂取することが平均身長が伸びる一番重要な条件である。次に、このような成長期にある個体が病気になることは身長を伸ばさないようにはたらく。ということは、環境の衛生状態も、また医療サービスを受けることができるかどうかも重要な要因である。
石器時代にマンモスを狩猟していた頃の人類の男性は平均身長が179センチもあったといわれる。彼らが大きかったのは資源の割りに人口が少なく、成長に必要な栄養をとることができたからである。また人口密度が低く、その結果病気に感染する確率が低かったこともその原因とされる。ところが、農耕社会になり多数の人々が狭い空間に居住するようになると、平均身長も小さくなる。それは炭水化物によってプロテインやビタミン不足を補うようになっただけでなく、人口密度の増加によって疾病率が高くなったからである。こうして平均身長が低くなったことは、食糧事情など環境の悪化に対して集団が個体の大きさを縮めることで生存を確保したことになるが、「生物的生活水準」の低下であることには間違いない。
似たような個体収縮現象は産業革命の開始とともに地球上各地で繰り返される。というのは、都市住民が増加し人口密度が極端に増大しただけでなく、農業生産が追いつくことができなくなり、食料品価格が相対的に上昇したからである。また資本主義はその前の時代より貧富の格差を増大させて多数の窮乏者をうみだしたことも無視できない。
■米国vs欧州
中世時代の9世紀から14世紀中頃までは温暖で、今では国土の大部分が雪と氷で覆われているグリーンランドでブドウが栽培されていた。食料事情もよく人々も大柄で、例えばフランク王国のカール大帝は180センチもあったといわれる。その後地球は「小氷河期」と呼ばれる寒冷期に突入し17世紀には一番冷え込み、この状態が19世紀の中頃まで続く。この結果大きくなっていたヨーロッパ人はまた小粒になる。例えば、コムロス教授によると1789年の仏大革命でバスティーユを襲撃したパリ市民の平均身長は152センチで体重45キロだったそうである。
欧州住人がこれほど小さくなったのに時代の趨勢に逆行するヨーロッパ人がいた。それは北米に殖民した人々で、新大陸は資源豊かで栄養事情がよいだけでなく人口密度も低く、男性の平均身長は18世紀175センチもあって、本国の人々より9センチは背が高かった。米国は長年このリードを保ち続ける。昔私は、第二次大戦の敗戦国民が米占領軍兵士に抱いた印象についていろいろなドイツ人々から話を聞いたことがあるが、米国人を自分たちより大きいと感じたようだ。
ところが、20世紀後半欧州は経済成長を続け生活水準を上昇させ、平均身長を伸ばしてきたのに対して、米国人のほうは背が伸びず停滞したままである。コムロス教授がヨーロッパ人の子孫の米国人を選んでくらべると、彼らは20世紀中頃から背が伸びず、旧大陸の人々から追い越されて、今や数センチは背が低いといわれる。米国人の伸び悩みぶりは、60年代のはじめ米女性平均身長が165センチだったのが、70年代に入ると0,8センチも縮んでいたことにも反映する。
米国も経済成長を続けているのに平均身長のほうはヨーロッパのように伸びない。コムロス教授は米国社会にその原因を見る。欧州で基本的医療サービスは、ほぼ国民全員が受けることができる。反対に米国では13%以上の約4000万人が保険に入っていないために医療サービスの給付を受けることができない。3500万人が貧困線以下の生活をし、多くの大都市に非衛生的な地区がある。その結果米国はOECD加盟国のなかで乳幼児死亡率が一番高い。また米国は成長に必要な栄養分が摂取できないファストフードの発祥地である。これも、米国人が水平に拡大しても垂直には伸びていかない原因の一つとされる。
経済指標にはその社会内の分配という重要な経済要因を無視し、平等な社会がとっくに実現しているかのよな印象をあたえるものが少なくない。また経済指標の数字が増減するのに一喜一憂しているうちに私たちも、経済が自然の環境条件に左右される生物の営みであることを忘れがちである。今回ヨーロッパ人が自分たちのほうが背が高くなったと自慢に思っているだけでなく、平均身長という経済指標によって、今まで見なかったことに議論が向くきっかけになるとしたら幸いなことである。
美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
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