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痛快だった万城目学の小説『鴨川ホルモー』

2006年09月09日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄
 結婚して大阪に移り住んだ小学校時代の同級生の息子が書いた小説『鴨川ホルモー』(産業編集センター)が4月に、ボイルドエッグズ新人賞を受賞したことを偶然知って、その『鴨川ホルモー』を読んだ。津市在住だったころのことである。

 ホルモーは20センチほどの背丈の鬼たちのことである。普通の人には見えない存在だが、鬼語を解するようになると見えてくる。京都の東西南北の大学、京都大、京産大、立命館大、龍谷大のサークルの学生が秘密の儀式の後に鬼語を習得し、鬼たちを自在に操って戦わせる。『鴨川ホルモー』はそんな物語である。

 あまりに荒唐無稽ではあるが、物語の展開につい引き込まれてしまう面白さがある。

 伊勢の地に長くいると、とはいっても2年半足らずだが、神々のことを考えざるを得ない。そんな気が僕の回りにまとわり付いている。伊勢がというより、僕が生まれ育った環境やその後に身に着いた資質がそうさせるといった方が正しいのかもしれない。

 最近『鬼』(高平鳴海ら共著、新紀元社)という本を読んだ。日本にはたくさんの鬼がいる。だから「鬼々」という表現があってもいいが、不思議なことに神々はあっても「鬼々」という表現は使わない。そこらが鬼に対して多少差別的である。もっとも母音で始まる音節は重ねて発音しにくい。鬼々と言わないのはそんな発音上の事情があるのかもしれない。

 とまれ日本の鬼を解説した『鬼』という本には酒呑童子や大嶽丸などの鬼はあっても「ホルモー」などという鬼は登場しない。万城目の創造物なのだろうと思うが、日本の歴史はまだ十分に解明されているとはいえないので、カタカナでしか表記しえない鬼たちがまだ多くいたとしても不思議でない。

 西洋のサタンは神の対極にいる。仏教では地獄の閻魔さまがいる。日本の鬼たちはどうもそんな邪悪な雰囲気にはない。『鬼』とな何か。神々に寄り添う存在とでもいえばよいのだろうか。だから日本には神さまが八百万存在するように鬼たちも大勢存在する。ホルモーには出て来ないが、この鬼たちは戦いでエネルギーを発散する。そうしないと人間社会に悪さをするかもしれないのだ。

 葵祭の夜、ホルモーは自分たちを理解してくれる人物を捜し出して、“仲間”に引き入れる。物語のホルモーたちは主人がいないとこの世に現れることができないからである。しかし、主人公の安倍君を含めて鬼語のサークルに入ってしまった学生たちはホルモーのご主人さまであるのに、秘密を共有することで結果的にホルモーたちに奉仕する役割を担わされるに違いないのだ。

 平安時代、陰陽道はれっきとした朝廷の仕事だった。陰陽師、安倍晴明はその役人だった。物の本によると、多くの陰陽師たちはそれぞれに式神と呼ばれる鬼たちを「手下」として使っていたらしい。主人の命令に従って相手を呪ったり、主人を守ったり変幻自在の働きをしたという。

 万城目は、普段は見えない存在として「隠」がなまって鬼となったという。神もまた見えない特別のものなのだとしたら鬼がいたっておかしくない。伊勢神宮には天照大神の和魂(にぎたま)を祀る正宮と荒魂(あらみたま)を祀る社の二つの社が存在する。ホルモーが本当に存在するのだとしたら恐いけれど楽しい。

 物語のオチは主人公の安倍君が安倍晴明の遠い子孫であることをほのめかしているところであるが、自民党総裁選では同じ姓の安倍晋三氏が時期総裁つまり、日本の首相になることが決まっている。阿部ではなく、安倍なのである。

 安倍晋三氏は、平安時代に東北に勢力を張った安倍一族の末裔である。前九年の役で戦死した安倍貞任の弟、宗任は捕らわれて、伊予国に流罪となった。宗任の三男、季任が肥前の松浦党の配下に入り、さらに子孫が長門に移ったという。朝廷に仕えた安倍一族とは血縁にない。

 京都の朝廷にとって東北の雄の安倍一族は一時、「まつらわぬ者」の一族としてやはり「鬼」ととらえられていたはずである。日本はこれから“鬼”の子孫を首相として戴くことになる。

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