すべての偉大な、生命ある思想は本質的に単純なものである。これが数千年に亙る思想史の結論である。ビジョンというのは未来の像である。しかもそれはただ遠くに見られる未来でなく、行為的直観において見られる瞬間である。これは、60年以上前の三木清の言葉である。
イラクの問題は複雑である。複雑であるがゆえにイラクへの平和へのビジョンを単純に考えてみたい。命題は、イラク人(シーア派、スンニ派、クルド人)の共通の利益の合致点は何であるかである。それは、平和と安定、生活水準の向上であろう。
命題の前提として、現在のイラクが抱える特徴を戦時中という特殊な立場で考えてみたい。
1.戦争の比較
イラン・イラク戦争(1980-1988年)の戦死者は、イランとイラクの双方で100万人であり、化学兵器の使用がなされた。これと比較するとイラク戦争の戦死者は、イラク国民3−4万人、米兵2300人)である。悲観的な情報が主流であるが、イライラ戦争の悲惨さと比べると、イラク国民は平和への道を諦める情況でない。イラクでの選挙を経てイラクのシーア派とイランの結びつきが強くなったが、イライラ戦争の惨状をみると簡単にしこりはとれないと思う。
2・イラクの石油
イラクの悲劇は、米国をはじめ世界の石油利権の企みに端を発している。次の数字からも如何にイラクは、石油資源で豊かな国で、他国に干渉されやすい国であるか理解できる。イラクの石油埋蔵量は1120億バーレル。サウジアラビア、イランについで世界第3位である。ピーク時は日量350万バーレル、現在の生産能力は250万バーレル、実際200万バーレルの生産が可能である。2002年には1バーレル20ドルの石油価格が、3年で3倍以上に上昇した。日量200万バーレル、1バーレル60ドルで計算すると、毎日130億円以上の石油収入が入る。年間4兆円の石油収入となる。イラクの歳入の95%を石油収入が占めている。
石油価格のピークのサイクルを1974年の第一次と今回の第二次を比較した場合、次の特徴が見出される。70年代の第一次は、中東の不安定要因による石油供給の問題で、オイルショックが発生した。今回の第二次は、イラク戦争やテロの戦争による供給側の不安定要因のみならず中国、インド等のグローバル経済の成長が石油価格の急激な上昇を引き起こしている。しかし、今回は70年代に見られたようなパニックの状況を今のところ回避できているのは、世界経済の拡大による。イラン・イラク戦争が始まった80年が石油価格のピークであり、現在の価値で計算すると1バーレル90ドルとなる。多くの専門家は、今回の石油上昇のトレンドは、継続すると考えている。
3.社会的要因
イラクの人口は約2200万人。シーア派6割強、スンニ派3割強である。アラブ人8割弱、クルド人2割弱である。人口構成は子供の割合が非常に高く、15歳以下が60%を占めている。20歳以下の人口は7割を超えると推測できる。労働人口は、440万人。失業率は5−7割だと推測される。他のアラブ諸国と比べ教育水準は高い。
平和へのビジョン
イラク戦争のために米国は、1日当たり200億円の戦費を浪費している。この金額が戦争による資金でなく、イラク国民一人ひとりに支給されればどのような効果をもたらすだろうか。奇しくも、イラクは毎日米軍の戦費と同じぐらいの石油収入がある。単純に日量200−250万バーレルの石油生産と石油価格の高騰による1バーレル70ドルと計算すると、戦争のための資金とイラクの地下から湧き出る収入が一致する。
第二次世界大戦後のマーシャルプランは、インフラ整備を中心にヨーロッパの国の復旧に資金が賄われた。イラクにマーシャルプランが必要との考えがある。国の復興のためには大規模なインフラ整備が必要である。しかし、インフラ整備より急を要するのは、イラクの人々の生活水準向上のための資金でなかろうか。
こんな大胆なビジョンを提示したい。未だ国家が中心となり大規模なマイクロファイナンスが実践されたことがないと思う。外部の干渉や経済支援を受けなくとも、イラクは、石油価格上昇の恩恵を受け、毎日150−200億円の石油収入、年間に換算すると約4−6兆円の歳入を確保できる。この歳入を20歳以上のイラク人に、支給した場合、一人当たり100万円となる。この3年間の戦争の賠償、そして今後2年間の運転資金を考慮すれば、一人当たり500万円となる。また、20歳以下のイラク人には、教育費、知的インフラの資金として十分な資金を提供する。これはベストのシナリオであるが、この3割でも支給されれば、20歳以上は、200万円近くのマイクロファイナンスの資金が生み出されることとなる。
シーア派、スンニ派、クルド人のトライアングルの関係における共通の利益の合致点は、生活水準を向上させるための資金であり、教育であり、投資である。国が大型インフラとして資金を分配するのでなく、70年代後半からずっと戦争や専制政治の犠牲に耐えてきたイラク国民に対し、マイクロファイナンスとして返済する必要のない資金を供給することにより、予測をはるかに超える経済の乗数効果を生み出し、大きなイラクの発展につながると考えられる。イラク人が仲間をつどいアソシエーツとして共同で投資事業を進めることも可能となろう。
ワシントンで開催された中東セミナーで、アラブの発表者は、アラブ人は欧米が思っている以上に個人主義であり自由も民主主義の価値も理解している。しかし、国や中東地域が不確実性の高い情勢においては、どうしても強いリーダーが求められる。悲しいかなそのリーダーが専制政治を行わなければいけないところに悲劇があると述べていた。
民主主義は押し付けるものではなく、個人が自由に働き勉強する機会を得ることから民主主義は生まれる。そこに民主主義の魅力がある。中国やインド世界経済の拡大の影響で、石油価格の上昇は継続するだろう。イラクは、今、平和へのターニングポイントに直面している。我々ができることは、夢と理想のある行為的直観によるビジョンをイラク国民に提示することであろう。
個人に戦争など”よからぬ行為”以外の機会とインセンティブを与えることこそが、国の「復興」への一番の近道になるかと思われる。大型援助はいつでもできるが、もともとポテンシャルのあるイラク国民にきっかけを与える、国家レベルのマイクロファイナンスの試行は意義深く考えられる。
ニューアメリカン財団の外交政策のセミナーで、以上のような考えを述べた。尊敬するコーディネーターのスティーブ・クレモンスさんから全くその通りである。http://newamerica.net/
このような考えを以前、ニューヨークタイムズで発表したとの答えが返ってきた。こんな単純なビジョンが平和のきっかけになるのではないだろうか。
中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
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