ワシントンのナショナルプレスクラブで開催されたメディアのシンポジウムに参加した。ニューヨークタイムズ、CNN、地方のメディアの話はなかなか面白かった。発表者が、「メディアは、3つしか伝えない。それは、真実、うわさ、うそである」と表現した。この当たり前の言葉をきっかけにメディアを考察する必要があると感じた。
報道がどこまで真実を伝えるかは疑問である。その時代背景、国益の観点、イデオロギー、宗教、経済パワー等、メディアに接するそれぞれの立場や視点の相違により真実が変化してくる。真実は一つであっても、真実は曖昧になる。
メディアが意識的に真実にオブラートを包むことも出来る。米軍がバグダッドに侵攻した時、イラク人がサダム・フセインの銅像を引きおろすシーンを覚えている読者も多いと思われる。シンポジウムでFOXとCNNのビデオを見せながら専門家がそのシーンを解説した。FOXテレビはクローズアップで熱狂するイラク国民を描いた。そのシーンを見る限りイラク国民が米軍の侵攻と共に勝利に酔いしれているように伝わってくる。一方、CNNは全く同じシーンをロングショットで映した。そこにはがらがらの広場の中に何十人の熱狂するイラク人がいるだけであった。ロングショットでこのシーンを見ない限り視聴者は、真実を見失ってしまう。
これは一例であるが技術の進歩により映像を操作することは可能なのである。一昔前には「写真はうそをつかない」と言われたが、現在では合成写真で写真はいくらでもうそを伝えることができるのである。
真実を知るベストの方法は、この眼で現場を観察することである。メディアは、それぞれのメディアの眼で現場を観察する。そこには主観が入って当たり前である。保守的、進歩的、比較的バランスのとれたメディアが存在している中、多角的視点に立脚し、偏らない見方、即ち本質を観察する「こつ」を考察することが重要である。
その「コツ」とは。第一に、同じ報道でも4つの理由が存在する。メディアが発表する理由は、発表された理由である。その他に現実的理由、本質的理由、道義的理由がある。外交・安全保障の視点では、現実的理由は、その時々の状況により変化する国民の一般的な考えである。本質的理由とは、国の中枢や戦略家が練ったビジョンである。道義的理由とは、人類が共通する道徳観である。国の中枢がメディアを利用することがある。それは本質的理由をベールに包み込むために発表された理由などを通じ煙に巻く戦略である。イラク戦を振り返ってみた場合、米軍によるイラク侵攻の発表された理由は、「イラクの大量破壊兵器の保有」であるので、これは米国の中東の民主化、市場経済化、石油の利権等の本質的理由を隠すための口実であったと考えられる。
第2は、物質的、精神的に真実を追究するかの見方。西洋的な視点では、弱肉強食のハードパワーで性悪説に則り、軍事的、経済的に真実を追究しようとする行為。東洋的には、精神面を通じた真実を探求する見方。物質的、精神的にバランスがとれた見方により真実を追究することが大切である。これは、「協調の理想」としてのメディアであろう。
第3は、マスコミが無視するところに真実が存在する。また多くの人々が一方に偏っている時に別の方向に真実があることもある。日米のメディアでよくあることだが、ある殺人事件が異常な程、クローズアップされ終日マスコミを賑わすことがある。その背景には、政府の中枢が真実を隠したいと意図するときに意図的にある事件を通じ本質を隠すことも可能となる。人が本当に身の潔白や真実を伝えたいと思う時、マスコミや周辺がいくら反対しても真実を完結しようとする。そのような一貫した姿勢の中に真実があるように思える。
北朝鮮問題の一例をとってみた場合、日米のメディアは、10年前から一貫して北朝鮮はベールに包まれて理解できない国だと述べている。10年前と比較し、北朝鮮との対話や交流が進み、サテライトなどの最新の技術を通じ、北朝鮮の動向を把握することが可能な状況において、今だに北朝鮮をベールに包む政策は、意図的に行われていると思われてならない。
結論として、メディアを観察するに重要なことは、メディアの報道や分析をグローバルかつ右や左の視点に左右されることなく多角的に判断することが重要である。そのためには、感性を豊かに知的直観や現場主義に根ざすことが大切であると考えられる。
中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
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