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(アイン)シュタインと日本 Part 3

2005年11月09日(水)
中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
 筆者は先に、アインシュタインと日本の関係に関する考察を「萬晩報」に2回にわたって書かせていただいた。

アルベルト・アインシュタインと日本
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm
アインシュタインと日本 Part 2
http://www.yorozubp.com/0506/050626.htm

 その中で、巷間に流布しているいわゆる【アインシュタインの予言】なる文章は、アインシュタインのものではなく、虚構であることを指摘した。その根拠は――

(1)どこにも確固たる典拠がない。
(2)内容がアインシュタインの思想と矛盾する。

という2点であった。

 この文章がアインシュタインのもの「でない」ということは確実ではあったが、それでは、これがいったい何「である」のか、ということは、2本の論文では解明していなかった。しかし、実は「Part 2」を書いているときに、この文章の正体が判明しつつあった。そのことは、「この【言葉】の背後には、明治以降のきわめて興味深い日本精神史の問題が潜んでいることも見えてきた」という「Part 2」の最後の文章にほのめかされている。

 機会があって、「Part 2」以後の研究も含めて、「アインシュタインと日本」という論文を、『致知』という雑誌( http://www.chichi.co.jp/ )の2005年11月号に掲載することになった。ここでは、その論文のうち、「萬晩報」ではまだ未紹介の部分を簡単に紹介しよう。

 ■【予言】の起源

 【アインシュタインの予言】の元となったのは、田中智学の『日本とは如何なる国ぞ』(昭和三年)という本にある次の文章である。

『どうも日本という国は、古い国だと聞いたから、これには何か立派な原因があるだろうと思って、これまで訪ねて来た日本の学者や政客等に就いてそれを訊ねても、誰も話してくれない、私の国にはお話し申す様な史実はありませんとばかりで、謙遜ではあろうが、あまりに要領を得ないので、心ひそかに遺憾におもって居たところ、今日うけたまわって始めて宿年の疑いを解いた、

そんな立派な歴史があればこそ東洋の君子国として、世界に比類のない、皇統連綿萬世一系の一大事蹟が保たれて居るのである、世界の中にどこか一ヶ所ぐらい、爾(そ)ういう国がなくてはならぬ、というわけは、今に世界の将来は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず争いに疲れて、きっと世界的平和を要求する時が来るに相違ない、そういう場合に仮りに世界各国が聚って其方法を議するとして、それには一つの世界的盟主をあげようとなったとする、扨(さ)ていかなる国を推して「世界の盟主」とするかとなると、武力や金力では、足元から争いが伴う、そういう時に一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で一番古い貴い家ということになる、あらゆる国々の歴史に超越した古さと貴さを有(も)ったものが、だれも争い得ない世界的長者ということになる、そういうものが此の世の中に一つなければ世界の紛乱は永久に治めるよすががない、果たして今日本の史実を聞いて、天は人類のためにこういう国を造って置いたものだということを確め得た』

【田中】世界の中にどこか一ヶ所ぐらい、爾(そ)ういう国がなくてはならぬ
【予言】私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。

【田中】というわけは、今に世界の将来は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず争いに疲れて、きっと世界的平和を要求する時が来るに相違ない
【予言】なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。

【田中】天は人類のためにこういう国を造って置いたものだということを確め得た
【予言】吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを

 これ以上いちいち田中智学と【予言】の文の比較は行なわないが、【予言】が田中智学の文章を要約・整形して作られていることは明白である。

 田中智学(一八六一〜一九三九)は、日蓮主義の宗教家、国柱会の創設者、戦前の日本国体思想に多大の影響を与えた思想家である。「八紘一宇」という言葉は、彼が日本書紀の「八紘為宇」という語句を使って造語したものである。

 ■シュタインからアインシュタインへ――二つの仮説

 田中智学が紹介しているこの言葉の語り主は、一九世紀ドイツの国法学者で、明治憲法の起草にも影響を与えたローレンツ・フォン・シュタインである。明治の元勲の一人である海江田信義が、一八八七年にウィーンのシュタインのもとで憲法に関する講義を受けたとき、シュタインが海江田にこう語った、と田中智学は書いている。

 もうおわかりであろう、【シュタインの言葉】がいつの間にか【アインシュタインの言葉】にすり替わってしまったのである。

 それでは、【シュタインの言葉】がなぜ【アインシュタインの言葉】に変じたのだろうか。それには二つの仮説が考えられる。

 (一)ある創作者が、上の文章を利用して、【アインシュタインの言葉】を創作した。彼はなぜアインシュタインの名を騙ったのか? 今日では、ローレンツ・フォン・シュタインと言われても、どういう人物か知っている人はあまり多くはない。【シュタインの予言】ではインパクトがないのである。あくまでも天才物理学者アインシュタインが言ってこそ、ありがたみが出てくる。金子務氏によると、世界中で日本ほどアインシュタインの人気が高い国はないそうである。創作者は、名前の類似性を利用して、シュタインをアインシュタインにすり替えた。

 (二)元来、【アインシュタインの言葉】には特定の創作者はいなかった。【シュタインの言葉】として知られていたものが、名前の類似性から、ある時点から【アインシュタインの言葉】として誤解されて流通し始め、人から人へと引用されていくうちに、文言が変えられていった。

 現在のところ、筆者は(一)(二)のいずれの説を採るべきか決めかねているが、【アインシュタインの言葉】には、「世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない」という、【シュタインの言葉】にはまったく対応文が存在しない文があるので、やはりある時点でこの文章を挿入した特定の人物がいたことは否定できない。

 ■最後平和の使命

 次に疑問になるのは、田中智学が伝える【シュタインの言葉】は、本当にシュタインが語った言葉なのだろうか、という問題である。

 実は、海江田信義がシュタインのもとで受けた講義の筆記は、『須多因氏講義』として一八八九年に宮内省から刊行された。その後、いろいろな版が出たが、今日では『明治文化全集』(日本評論社)の第一巻「憲政篇」に収録されている。今回、『須多因氏講義』を読んでみたが、そこには、日本(あるいは天皇)が「世界の盟主」となって世界平和が樹立されるであろう、というような【(アイン)シュタインの言葉】に見られる「予言」はどこにも見出されなかった。シュタインの思想と田中智学が伝える【シュタインの言葉】は、かなり異なっているのである。

 実は「世界の盟主」論は、田中智学自身の思想にほかならなかった。彼は、『日本とは如何なる国ぞ』より以前の『天壌無窮』(大正四年)という著書で、シュタインに言及することなく、こう書いている。

 「世界の将来には、一度は必ず世界をあげての大戦乱が来り、各国ともに其にこりこりして、真の平和を要求する様になる時が来て幕が開(あ)く、その時こそ、かねがね此平和の為に建てられてある日本は、勢い「最後平和の使命」を以て登場して、世界渇仰の下に、這(この)始末を着けてやらねばならぬ役回りとなる」

 世界各国が自国の利益を追求して抗争しているかぎり、世界はいずれ大戦乱に見舞われる。世界が混乱の極みに達したときに、日本(の天皇)を中心にして世界平和が樹立される。世界統一(八紘一宇)、世界平和の実現こそ、神国にして法華経国である日本に生まれた日本人の果たすべき天業(天命)である――これは、神武天皇の建国神話と、「前代未聞の大闘諍(だいとうじょう)一閻浮提(いちえんぶだい)に起るべし」(『撰時抄』)という日蓮の予言とを結びつけた、田中智学独自の予言なのであり、それを彼は時々シュタインの名を利用して語ったのであった。

 田中智学によれば、世界は本来、道義的に統一されるべきなのであるが、この「最後平和の使命」は、現実的にはやはり「大武力」なしには達成されない、と彼は考えた。こういうところから、彼は今日では一般的に、軍国主義の先導者としてきわめて否定的に評価されている。

 田中智学は日米開戦の二年前に他界するが、彼の思想は、彼の弟子・石原莞爾の『最終戦争論』へと受け継がれた。軍人である石原は、師の思想に軍事学的な精緻化を加味し、世界最終戦争は、これまで存在しなかった恐るべき新兵器――石原は「殺人光線」を予想した――を用いて、東洋の盟主・日本と欧米のチャンピオン・アメリカの間で戦われ、天皇を戴いた王道国家・日本の覇道国家・アメリカに対する勝利に終わり、統一世界が実現することになる、と予測したのであるが、その予測の結末がどうなったかは、日本人すべてが知っている。

――【アインシュタインの予言】として知られている言葉は元来、アインシュタインのものでもシュタインのものでもなかった。国体思想家・田中智学に由来するものであった。

 ただしそこには、大戦争のあとに日本が世界平和のために重要な使命を果たすであろう、という思想が含まれていた。それは、国土を焼き尽くされ、戦地と本土で多くの肉親を失い、広島・長崎には原爆を投下され、骨の髄まで戦争の悲惨さを体験し、心の底から平和を希求した戦後の日本人の心に強く訴えかけたに違いない。それが、愛国心の鼓舞とアインシュタインの名声ともあいまって、この「予言」を人口に膾炙させた秘密なのであろう。田中智学の「予言」は、彼の予想とはまったく異なった文脈で日本人の心をとらえたのである。

 今年は奇しくもアインシュタイン没後五〇周年、終戦六〇周年、広島・長崎被爆六〇周年の節目の年でもある。この時にあたり、日本人はいかにして「最後平和の使命」を達成すべきかをもう一度考えてみるべきであろう。それが「大武力」によってなされるのでないことだけは、たしかである。

※『致知』に発表した論文全体は、以下にpdfファイルとしてアップしてあります。
http://deutsch.c.u-tokyo.ac.jp/~nakazawa/others/chichi.pdf

 中澤先生にメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

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