ここ数日の小泉純一郎首相を見ていて「孤高」という言葉を思い浮かべた。自民党はおろか、マスコミもほとんど小泉支援の声が出てこない。民営化法案の成否が問題なのであって、解散の是非は二の次の話なのに、メディアの関心は解散とその後の政局にしかないのは悲しいことだ。
きょうの日経新聞は平田育夫論説副主幹の「改めて郵政改革を考える」と題したコラムを一面に掲載した。いまごろになって郵政の民営化が「新しい国造りに不可欠」であることを主張している。
きのうも書いたが、筆者は郵政民営化論者である。郵便貯金と簡保の350兆円の資金が政治家や官僚の都合で採算性を度外視した事業につぎ込まれてきた歴史をわれわれは見てきた。郵貯が一般会計予算による国債発行の受け皿になってきたことも見てきた。
真面目に日本の財政を考える人にとって、国家と郵貯との関係を断ち切らなければならないことは自明の理であろう。もはや議論の余地はないはずなのだ。
郵政民営化法案に反対する自民党の多くの議員にとって、本当に頭に来ているのは郵政民営化法案などではないのだ。小泉首相がこの4年間とってきた政治手法がたまらないのだ。
どういうことかというと、小泉首相が現れるまでの日本の政策は、官僚と自民党議員の二人三脚によってつくられてきた。本来ならば、内閣は国会で選ばれた内閣総理大臣に全権を委ねなければならないのだが、官僚たちは内閣をないがしろにして自民党のそれぞれの利権集団に相談して政策を立案してきた。
自民党の議員たちは官僚たちの配慮によって、黙っていても多くの利権にありつくことができたのだった。小泉首相が取った手法は、その官僚と自民党議員との関係を断ち切ることだった。
小泉首相は内閣の機能を強化するため、民間人を多用した多くの諮問機関をつくった。その諮問機関のリーダーは竹中平蔵氏だった。諮問機関で政策提言がなされると多くの場合、官僚たちは反対に回った。当然ながら利権集団の自民党議員たちも反対に回った。
諮問委員会では最後に小泉首相の意見が求められ、そこで「ゴーサイン」が出された。以前には政策決定のたびごとに自民党の意向が強く反映されたが、諮問委員会形式の政策決定では自民党議員の出る幕がないのだ。出る幕がないということは利権にありつけないということでもある。
多くの自民党議員にとって小泉首相の存在は煙ったいどころではなかった。自民党議員のこれまでの仕事は業界や支援団体への利益誘導だった。その原資は財政であり、財投資金だった。
財政資金はすでに枯渇していることは多くの自民党議員たちは知っている。残るのは財投資金である。その財投資金のほとんどを賄っているのが郵貯の資金であるから小泉首相はその最後の資金源を断とうとしているのである。
自民党の議員たちは利益誘導の資金源を断たれると、議員としての存在価値が問われることになる。これまで自民党は選挙の顔として小泉純一郎を珍重してきた。選挙に勝つためにだけ小泉首相を利用してきた。自民党は政権政党であることが唯一のマニフェストだった。政権にあることによって初めて政党の体をなしていた。
自民党にとって単なるピエロだった小泉純一郎が政策を掲げたのだからうまくいくはずがない。日本道路公団の民営化が成立したことで自民党は堪忍袋の緒が切れていたはずだ。よもや郵政民営化までには手を伸ばさないだろうと高をくくっていたが、小泉首相は本気だった。
8日、参院本会議で郵政民営化関連法案が採決に付される。午後2時前には成否が決まる。郵政民営化法案が可決されれば、自民党の利益誘導の資金源が断たれる。否決されれば、解散総選挙で自民党は二分する。いずれにせよ自民党はぶっつぶれる。
小泉純一郎の最大のマニフェストは自民党をぶっ壊すことだったのだ。がんばれ小泉純一郎。
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