TopPage
 Yorozubampo Since 1998
サイト内検索 ご意見 無料配信


ビッグ・リンカー達の宴2−最新日本政財界地図(16)

2004年10月11日(月)
萬晩報通信員 園田 義明
 ■鉄道業と欧米エスタブリッシュメント・ファミリー

 クエーカーが英国で切り拓いた鉄道業は、その特徴であるファミリー・ネットワーク(クエーカー家族間の強力な結合関係)に基づく情報交換機能をロスチャイルド家などの欧州のエスタブリッシュメント・ファミリーに率いられた国際金融資本によって踏襲されつつ、各国政府と一体になって帝国拡大の中核を担っていく。

 米国では、クエーカーが切り開いたペンシルベニア州を中心に巨大な鉄道網が登場し、その莫大な投資額ゆえに金融機関と密接に結びつき、金融資本の形成に決定的な影響を及ぼした。鉄道網の拡大は国内市場の活性化に寄与しただけでなく、鉄鋼、石炭、そして石油などの諸分野と密接に結びつきながら資本集中の時代へと向かわせた。

 そして、現在につながるビッグ・リンカーの権化たる米国のエスタブリッシュメント・ファミリーが続々と登場することになる。急速に力を付けた米国勢は、欧州国際金融資本との間で協調と対立を繰り返しながら、世界へと乗り出していく。その様子をペンシルベニア鉄道から見ていきたい。

 なお、前章で取り上げたスウィージーは米国資本主義に占める鉄道業の特殊な地位を重視することで、総合的な観点にからの銀行と産業の結合、重工業の独占形成研究を大きく前進させた。しかし、スウィージーの投資銀行業に関する事実認識が誤っていたために近代的な金融機関の登場を見落とす結果を招く。

 このスウィージーの誤りを指摘しつつ、米国の鉄道業と金融機関との関係を膨大な資料をもとに解明し、世界的な評価を得たものに呉天降の『アメリカ金融資本成立史』(有斐閣)があげられる。この『アメリカ金融資本成立史』と呉天降の日本証券経済研究所論文(『証券研究』他)を中心に、故松井和夫『現代アメリカ金融資本研究序説』(文真堂)、松井と西川純子の『アメリカ金融史』(有斐閣選書)、 ビクター・パーロの『最高の金融帝国』(合同出版)などを参考にしながら、独自の見解を加えて歴史を紐解いていきたい。

 ■ペンシルベニア鉄道とアンドリュー・カーネギー

 留学中の日本のクエーカー人脈が集う「グランド・セントラル・ステーション」となっていたメアリ・H・モリスの夫、ウィスター・モリスが取締役を務めたペンシルベニア鉄道は、1847年にペンシルベニア州政府によって設立されたが、57年に民間に払い下げられた。

 民間企業となったペンシルベニア鉄道は州内の重工業と協調関係を築きながら、南北戦争後に急速な発展をとげる。1890年までに株式所得や合併等の手段によって有力系列会社を次々と傘下におさめ、1万マイルを越える広大な鉄道網を有し、1890年における資産総額は10億ドル以上に達した。その資金は1870年まで社債のほとんどをヨーロッパ市場での直接売り出しで調達し、国内の引受団による社債引受が盛んになった70年以降も特定の金融機関にたよらず公開入札制度を採用しつづけた。

 1880年代には、ロックフェラー率いるスタンダード石油が東部幹線鉄道間の競争激化を利用し、東部各社に石油輸送に関する巨額なリベートを強要した時には、ペンシルベニア鉄道はスタンダード石油の競争企業を後押しし、スタンダード石油に挑んだ企業としても有名である。

 このペンシルベニア鉄道の社員から代理人に転じてヨーロッパに渡り、社債発行交渉に当たっていたのが鉄鋼王と知られるアンドリュー・カーネギーである。カーネギーはこの交渉で多額の手数料を手にして、カーネギー・スティールの設立資金の一部となった。当時のペンシルベニア鉄道のエドガー・トンプソン社長も個人的にカーネギー・スティールに出資しており、ペンシルベニア鉄道とカーネギー・スティールは密接な人的結合を維持しつつ鉄道資材の取引を拡大し、カーネギー・スティールは1890年初頭にはイリノイ・スティールに次ぐ米国2位の鉄鋼企業に成長する。

 なお、ペンシルベニア鉄道はカーネギー・スティール以外にも当時米国4位のペンシルベニア・スティール(1867年設立)とも深い繋がりがあったほか、ペンシルベニア州内にはラカワナ・スティール(3位)、キャンブリア・スティール(5位)、フィラデルフィア・スティール、ジョンズ&ラフリン・スティールなど当時を代表する鉄鋼企業が集中していたのである。

 ■2大金融グループの台頭

 しかし、1893年恐慌は鉄道業を直撃し、その余波は鉄鋼業などにも拡大する。そして、その再編に絡んで2大金融グループが台頭することになる。J・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループの登場である。

 J・P・モルガンはファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークとミューチュアル生命と再建シンジケートを組んで、倒産したリッチモンド・ターミナル鉄道を契機に、エリー鉄道、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道、ノーザン・パシフィック鉄道などの救済に乗り出し、再建が成立したときには、経営陣に人を送り込むことで人的結合をはかり、取引銀行として金融面を取り仕切る体制を確立していく。

 そしてモルガンの触手は鉄鋼業全体に拡大し、1898年にフェデラル・スティールを設立、そして徹底抗戦するかに見えたカーネギー・スティールをも飲み込んで、1901年にU・S・スティールを設立させる。

 このモルガン・グループに対抗して結成されたのがドイツ系ユダヤ人のジェイコブ・シフに率いられたクーン・ローブ、ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク(現在のシティーグループ)、エクィタブル生命からなるクーン・ローブ・グループである。

 1893年にはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した「明日に向かって撃て!」に登場したユニオン・パシフィック鉄道が破産状態に陥った直後に、モルガンが再建を試みて失敗したことから、クーン・ローブにチャンスが回ってきたのである。ユニオン・パシフィックの再建に成功したクーン・ローブ・グループは15名からなるユニオン・パシフィック取締役会にジェイコブ・シフ本人も含めた5名を送り込み、実質経営権を掌握する。

 この時にユニオン・パシフィックのハリマン家とクーン・ローブとの協力関係が構築される。このクーン・ローブ・グループは当時最強のペンシルベニア鉄道に対しても、バルチモア・オハイオ鉄道統合をきっかけに、関係を深めていくことになる。

 ■鉄道に関わるトラウマと日米今昔物語

 このクーン・ローブ・グループは、モルガン家に敵愾心を抱くエスタブリッシュメント・ファミリーを結束させることになる。ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークを通じて合流したのがスタンダード石油のロックフェラー家である。
 
また、拙著『最新アメリカの政治地図』(講談社新書)で描いたように、イエール大学の名門クラブとして知られるスカル・アンド・ボーンズでハリマン家のW・アヴレル・ハリマンと出会い、その縁でハリマン家の投資銀行W・A・ハリマンと後のブラウン・ブラザーズ・ハリマンのパートナーに迎えられ、基盤を築いたのがプレスコット・ブッシュ、つまり、現ブッシュ大統領の祖父である。ハリマン家に見出されたのがブッシュ家であった。

 そして、これも『最新アメリカの政治地図』に記したが、チェイニー副大統領はかつてハリマン家とクーン・ローブ・グループが支配したユニオン・パシフィックの社外取締役を務めていた。

 J・P・モルガン・グループの攻勢によって一時は衰退したかに見えたクーン・ローブ・グループが、ブッシュ政権そのものとなって、ハリマン家のユニオン・パシフィック鉄道の延長上に群がるかのように蘇っていたのである。

 一方でクエーカーが移植された日本でも鉄道会社(国鉄、西鉄、阪急、南海、近鉄、そして現存の阪神、西武)が公益的企業としてプロ野球をも支えてきた。しかし、野球自体の人気のかげりが象徴するかのように、過去例を見ない巨額な財政赤字に苦しみ破綻同然となっている。

 鉄道業や読売グループなどのプロ野球に代表される日本のエスタブリッシュメント達は、クーン・ローブ・グループの血を引くブッシュ大統領やチェイニー副大統領をかつてのジェイコブ・シフと重ね合わせ、クラブを通じて彼らと親交を結びながら人脈の必要性を説いた高橋是清の亡霊に取り憑かれているかのように、ブッシュ政権に対して手を合わせ拝み続けている。

 この理由は鉄道に関わる米国に対するトラウマにある。高橋是清が関わったこのトラウマが今なお我々日本人を縛り付けているのである。

 J・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループの二大勢力の鉄道をめぐるなわばり争いは米国内にとどまらず、欧州列強に対抗すべく世界へと向けられていく。その渦中に日本も巻き込まれ、トラウマの源としての事件が起こる。それがハリマン事件であった。

  園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

TopPage

(C) 1998-2004 HAB Research & Brothers and/or its suppliers.
All rights reserved.