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歴史的ターニングポイントにしたい小泉訪朝

2002年09月19日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄


 2002年9月17日は戦後のもっとも長い一日だった。小泉純一郎首相は、戦後50数年の日本外交の中で最も苦渋に満ちた選択を果たしたのだが、小泉首相の訪朝は1972年の電撃的ニクソン訪中に匹敵する歴史的ターニングポイントになぞらえてもいいと思う。

 北朝鮮は国交がなかった国というだけではない。ラングーンでの韓国の全斗煥大統領暗殺未遂事件、中東での大韓航空機爆破事件などテロによって国際社会を震え上がらせてきた国である。日本にとってはハイジャックしたよど号犯人を受け入れ、数え切れない拉致問題を起こしてきた不気味な存在だった。金正日総書記は社会主義を標榜する国ながら異例ともいえる世襲によって国家の指導者の地位を得た人物で、こうした過去のテロを指導してきた張本人であることは間違いない。アメリカのブッシュ大統領は、イラク、イランとともに「悪の枢軸」と呼び、危険視した対象でもある。

 小泉首相は、その北朝鮮に出向き、その金正日総書記と会談して、国交交渉再開の道を切り開いてきたのだ。会談では政府が認定した8件11人の拉致被害者の生存を確認し、総書記の謝罪を引き出した。また北朝鮮がこれまで約束してきた国際的合意の順守とミサイル発射の無期限凍結も確認した。

 首脳会談の成果は、日本や国際社会が求めてきた北朝鮮に対する要求はほぼ網羅されたおり、外交という意味合いでは120点を付けてもいいほどの内容だった。問題は北朝鮮が今後この日朝合意を誠実に順守するかどうかだが、小泉訪朝が北朝鮮の孤立政策に風穴をあけたことは間違いない。テロ国家としての北朝鮮が、自ら過去における数々のテロの存在を認め、さらに謝罪したということは大変な覚悟であったということだけは強調しておきたい。

 それにもかかわらず、小泉首相に笑顔はなかった。平壌に降り立った瞬間から眉間にしわをよせた硬い表情は帰国後も変わらなかった。会談が外交的に大成功だったとしても、拉致被害者のうち8人がすでに死亡していることを知らされて喜べるはずもない。

 しかし、4人もよく生きていたというのが筆者の正直な感想である。亡くなった方々には言葉もないが、北朝鮮からすれば、拉致被害者が生きている限り、過去の悪行の数々がこれから白日の下にさらされるということであり、テロの鉄則からすれば抹殺の対象であるはずだからである。

 国際政治の非情さは、こんな国家といえども北東アジアの安全保障のためには、対等に交渉相手としなければならないということだ。韓国の金大中大統領もまた同じ思いで2年前の南北首脳会談に踏み切ったのだと思う。ある意味では対立そのものがテロを生んだ土壌であったという考えである。

 ソ連の崩壊に続く東欧の自由化はゴルバチョフという体制を内部から崩壊させた人物が生まれたことによって達成したが、北朝鮮にはまだそのような人物が台頭する気配はない。「待つ」という選択しもあったはずだが、放置しておけば今後、危険が増大するだろうという国際的認識は高まるばかり。まさにブッシュ米大統領は昨年来、北風の役割を演じる覚悟を繰り返してきた。そんな中で自ら拉致され死刑宣告も受けたことのある金大中は太陽の役割を演じてきた。小泉首相の心境も太陽だったのだろうと思う。

 この20年、多くのアジア諸国はようやく経済を成長路線に乗せることに成功した。韓国、台湾、香港、シンガポールのNIESにASEAN諸国が続き、さらには中国やベトナムにも豊かさをもたらしつつある。そんなアジア経済で唯一残されたのが北東アジアであった。そしてその北東アジアの発展の足を引っ張ってきたのが北朝鮮だった。硬直的な計画経済を堅持し、周辺諸国が相次いで市場経済を導入しても頑として受け入れなかった。

 今回の日朝首脳会談で、国交が樹立した後に日本から経済協力による資金供与が始まることを約束した。北朝鮮が直ちに市場経済を受け入れるとは考えられないが、経済交流が進めば北東アジア経済にも灯火がみえることになるだろう。

 ちょうど10年前、北朝鮮の豆満江を訪れた時、北東アジアフォーラムの趙利済事務局長(当時)が「日本海を対立の海から協調の海に変えなければならない」と強調したことを思い出している。まさかその10年後に日本のリーダーが北朝鮮に体制に風穴をあけるとは考えられなかった。8人の犠牲者の調査は今後も続けなければならないが、その一方で、2002年9月17日が北東アジアに平和をもたらした日として歴史に名を残ってほしいという思いが募る。

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