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無料の花火と有料のハイウェー関係
2002年08月09日(金)
東西センター北東アジア経済フォーラム上級研究員 中野 有
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日本の夏の風物詩・花火。数千発の大輪が夜空を覆う。劇場で見る舞台演出では味わえない夏の夜の空間の演出。この贅沢な演出を見て、ふと「どうして花火がただで見られ、天下の公道を走るのに料金が徴収されるのか」という、当たり前の疑問が沸いてきた。
数年前に「ハイウェーからフリーウェーに」というコラムを書いた。天下の公道をマイカーで走るのにどうして料金を徴収されるのかという疑問を投げかけたところ多くの人から同感との考えが寄せられた。瀬戸内海の橋を往復するのに一万円近くかかる。フェリーで渡るほうが安いと聞く。船に乗ったのだから船賃がかかることには納得するが、自分の車を自分で運転し、ガソリン代を払っているのにどうしてこんなにお金がかかるのか。パートタイムの時間給も下降している。移動するために橋を渡るのに汗水流し稼いだ一日分の日給を徴収されるのはどう考えても納得いかない。
一瞬に消える夏の夜の夢・花火は感動を与えてくれる。この感動にはお金を払うだけの価値がある。しかし、橋の通行料と高速料金は高すぎる。橋や天下の公道は効率的な移動のために存在しているはずなのに現状では国や公共機関が住民を苦しめているようにしか思えない。通常の道路より高級な高速道路には通行料がかかるとフォーマットされてしまったから高速料金を払っているが、たいして高級とも思えない高速道路を走行するために時間給より高い料金が徴収されるのか。この疑問は、ドイツ等の高速道路を走ったとき整備された道路(アウトバーン)が無料であることに驚き、また海外の友人と日本の高速道路を走ったとき、日本の高速道路はたいして高級でないのに料金だけ高いと聞いたとき、改めて日本の高速道路は、世界の非常識であると感じた。
日本の土地が高いから高速料金が高くつくとか、建設費を賄うため料金を徴収するのだと日本の特殊性について外国から来た友人に説明しても、「橋は渡るためにあり、また高速道路は効率的な走行のためと住民のために存在するのではないか」と単純な質問を受けたとき、反論の余地はなかった。
車社会は環境面で良くないとの考えや道路公団に関する複雑な議論もあろうが、単純に天下の公道である橋や高速道路が無料になればどのようなメリットがあるか考えてみることが重要だと思う。都会に住む人は、公共機関の恩恵にあずかり、たいして高速道路や橋との関わりは旅行以外には比較的少ないかもしれないが、地方の人間にとっては生活の一部として橋や高速道路を利用しなければならず所得に響いてくる。
高速料金が高いから都会と地方との格差が生まれると考えられないだろうか。高速料金が無料になれば地方と都会との交流が深まる。地方分権と叫ばれながらも地方に元気がないのは高い料金体系という関所が存在しているからでないだろうか。携帯電話という機器が安くなったから通信産業が大きく伸びた。料金徴収という関所がなくなることにより地方の新鮮な農産物が都会に入り、週末には都会から地方の自然環境を求め多くの人が移動し、地方からは都会の洗練された文化・知識を求め移動する。日本国内にこのように都会と地方間の移動が自然発生的に起こることにより景気が浮上するのではないだろうか。
中野さんにメール mailto:nakano@csr.gr.jp
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