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父親を偲ぶパラオ鎮魂の旅

2002年06月24日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄


 5月末、パラオ南方のウルクタープルの島影に父の遺骨の一部を散骨してきた。パラオの松島ともいえそうなセブンティ・アイランドと日本人が「くじら島」と名付けた小島を望む海域である。

 言葉で表現できないほどの美しい島々の世界は若き一海軍士官の思い出の地であり、苦楽を共にした同僚たちの眠る海でもあった。

 父は第二次大戦を「過ぐる戦」と表現していた。世界最強の国家にアジア人が挑んだ唯一の戦争に対する自負があり、「侵略」とか「解放」だとかいった言葉で単純に言い表せない重い意味が父の体の中にあった。さむらいの子孫として、国家のために死ぬことに疑問はなかった。むしろ、そうした行為に崇高な意味があった。そんな時代に青春を過ごし、戦の後に次々と「思想転向」する時代に人生の過半を過ごした。

 昨年5月に父が死んでから書棚から見つけたのは南太平洋に関する数冊の本であった。パラオの話が父の口から出るごとに「お父さん、一緒に行きましょうよ」と何回か言ったことがある。その都度、返ってくるのは「まあやめておこう」。そんな意味の言葉だった。

 父がパラオ行きを逡巡した理由は分からない。「飛行機の中から真っ青な南の海を見下ろすとその海に吸い込まれそうな気持ちになる」ということをよく話していた。父の心の中には死んでいった「英霊」たちへの思いがずっとあった。戦争体験のない者には触れることのできない感情なのだろうが、たぶん生き残った者としてその英霊たちに出会った時に返す鎮魂の言葉がなかったのだろう。

 父がパラオに滞在したのは1944年2月から3月である。前の年の11月、日本の支配化にあった東の端のギルバート諸島のマキン、タワラがアメリカ軍に占領され、続いて2月、トラック諸島の守備隊が潰滅した。アメリカ軍の本格反攻が始まった時期である。連合艦隊の旗艦「愛宕」に搭乗していた。

 思い出の記である「パラオ恋しや」に当時のパラオについて書いている。

「司令長官(後の”栗田艦隊”の栗田中将)が昼食の箸をとると、軍楽隊の演奏が始まるのです。勇ましい軍歌ではありません、荘重なクラシックなのです。マキン、タワラが玉砕し、トラックがあれほどの打撃を受ける状況下に、海軍では第二艦隊の旗艦愛宕にまだ軍楽隊を乗せていたのです。毎日のように軍楽隊の演奏のもとで食事をとる風景、みなさん想像ができますか。私のように音楽の素養のないものでも優雅な気分にだけはなったものですよ。在りし日の海軍、その威容を語る懐かしの風景でありました」

 大方の戦記と違って、父の描く当時の連合艦隊にはまだ「余裕」があった。こんなことも書き遺している。

「休みの日がこれまた傑作、パラオで一番大きいコロール島の山登りが楽しみでした。余分におにぎりを作ってもらって、”お腰にさげて”という気分で出かける。パラオの子供たちがぞろぞろついてくる。まるでパイド・パイパー、日本流だと桃太郎の絵図です」

 戦争というものは毎日、ドンパチしているのではない。

「やがて太平洋戦争の天王山、空前絶後の大海戦の舞台になる海域にありながら、私はいかにも平和なパラオの雰囲気の中で、副官事務と庶務主任の仕事に精出していたのであります。戦争というのは、戦国時代にあっても大名たちが毎日戦闘していたわけではないんすね。インターバルがある。その間に何年もの「平和の時」が入っていることさえ珍しくはなかったはずです」

「日本の歴史でも世界の歴史でも、小説家が描くものに影響され、戦争と言えば戦いの連続のように思いがちですが、現実の戦争はそういうものではありますまい。国民全部が戦争をひしひしと身近に感じた大東亜戦争末期の主要都市無差別爆撃は、半年近く切れ目無く続きましたが、あれはもう、勝負が決まって止めを刺す行動の時期だったと見るべきではないでしょうか」

 父が実戦を体験するのはその3カ月後の6月の「マリアナ沖海戦」である。帝国海軍の機動部隊が数時間で完膚なきまでにたたきつぶされた海戦である。本土への空爆を可能にするマリアナ諸島のサイパンがアメリカの手に渡り、9月にはパラオのペリュリュー島への攻撃が始まり、守備隊1万2000人が玉砕する。

 父親への鎮魂の旅の結論はない。南国の楽園で夢想するのは「戦闘の凄まじさ」であるが、一方で「武の喪失」についても考えざるを得なかった。(続く)

1999年03月27日 パラオ恋しや-戦陣に在った私の青春(その3)
1999年03月25日 パラオ恋しや-戦陣に在った私の青春(その2)
1999年03月24日 パラオ恋しや-戦陣に在った私の青春(その1)

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