●歴史を回顧すれば「万感の思い」
4日前に「中国のGDPが日本のそれを追い越す日」を書いた意味はふたつある。
一つはわれわれが現実として中国経済の成長を受け入れる必要があるということである。中国経済の成長をあたかも敵対するような「脅威」という概念でとらえるのではなく、アジアの経済的台頭を自らのものとして歓迎し共存共栄の道を探る。そんな発想があっていいのだろうと思うからである。
振り返れば日本の先人たちは明治この方、アジアの繁栄を願ってきたのではないか。130年前、横井小楠や西郷隆盛はじめアジア主義者たちは押し寄せる西洋の脅威に対して日中韓が提携する必要性を説き、多くの共感を得た。ともに強くなければ独立すら守り得なかった時代である。
中国革命の父、孫文は1926年に死去する直前まで、日本との提携に期待していた。25年に神戸市で行った有名な「アジア主義」と題する演説で「日本は西洋の覇道を目指すのかあるいは王道を目指すのか」と観衆に訴えた。第一時大戦後に主要国の仲間入りを果たした日本があり、中国大陸は軍閥割拠が続き、経済どころの段階ではなかった。
その中国が21世紀の初頭、経済力で世界の主要国に並ぶところまできたのだから並大抵のことではない。シンガポール、香港、台湾、韓国のかつてのNIES(新興工業国・地域)もまた先進国グループであるOECD(経済協力開発機構)の仲間入りをするレベルに達し、韓国はすでにOECD入りを果たした。ASEAN諸国もまた一部を除いて経済的自立を達成したといっていいいだろう。
孫文が生きていたら万感胸に迫る思いだっただだろう。1840年のアヘン戦争以来160年余の中国の歴史的困難を回顧すればこういうことになる。
●中国モデルで世界に貢献する順番
片や中国が経済強国となったということは、今度は中国が途上国の支援に回る順番がきたということでもある。
日本は1979年、対中経済協力を開始。1999年までに2兆4535億円の円借款を供与、無償援助と技術協力は計2347億円。総額2兆6882億円である。このところ円借款規模は年間2000億円前後となっており、現時点で確実に総額3兆円を超えている。もちろん日本が過去実施したODAで対中協力は群を抜いている。
道路、港湾、電力、通信などインフラ整備が中心であるが、80年代までの慢性的な貿易赤字の時代には国際収支の面でも相当な貢献を果たしたはずである。
中国経済はまだまだ沿海部と内陸部とで経済格差が大きい上、一人当たりGDPでは1000ドル足らずと先進国からはるかに遠いところにあるのは確かだ。しかし上海市ではすでに4000ドル超。北京や広州市など多くの都市部は豊かさを享受する段階に入っている。 しかも生産面では粗鋼やテレビはすでに日本を抜いて世界トップ。アパレルから家電に到るまで世界の工場と化している。携帯電話の契約台数では昨年、アメリカをはるかに追い越し、沿海部ではモータリゼーションの波も押し寄せている。
成功モデルとしての中国はODA依存の経済成長ではなく、改革開放による外資導入を潤滑油として民間経済を立ち上げたところに特徴がある。貧しかった中国のイメージはすでにない。それどころか中国の生産力は世界の脅威に映っている。そんな中国がいつまでも援助される側にいていいはずはない。
日本は1960年代初頭、高速道路すらない時に途上国援助を開始した。もちろん過去の戦争に対する償いの意味もあったが、それでも途上国との経済格差を少しでも埋めるべく、経済協力を外交の柱として据えることが国民の総意となった。
中国でも同じような議論が起きてもいい時期にきている。かつて中国は抑圧される側の「第三世界の雄」として国威を発揚したが、いまや工業化の成功モデルとして世界に冠たるものがある。14億人の中国経済がODAを供与するレベルに達したかどうかはなお議論の余地があろう。しかし被害者意識を拭い去り、アジアだけでなく世界の貧困や経済格差問題の解決に乗り出す覚悟を期待したい。
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