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湾岸戦争・板垣・大隈問答(4)−国柄の視点で把えたアメリカの資質

2001年10月10日(水)
萬晩報顧問 伴 正一

 六、国柄の視点で把えたアメリカの資質

司会 イラクのクウェート侵入から、敗走、撃ち方止めまで、ずっとアメリカの行動を見てきたわけですが、湾岸で展開された世界規模の活動に臨んで、リーダーの貫禄はどうだったでしょうか。全体を通視しての感想、評価は?

板垣 人命尊重でうるさいアメリカ国民のことを考えると、「人質救出はどうした」という声に押されて、フセインヘの宥和政策に出るかもしれないという予感がしないでもなかった。現に日本や英・独・仏の腰をゆさぶる上では人質作戦が、かなりよく効いていたんですから。

 ところが、そういう中でさすがはアメリカ、侵略者に対して宥和的態度を一切とらなかった。

 一九三〇年代、ミュンヘン会議で、時のイギリス首相チェンバレンがヒットラーに対する、アピーズメント(宥和政策)でヨーロッパの平和を確保しようとした。一時成功したかに見えたが、実はヒットラーを逆にのさばらせる結果に終わってしまった。第二次大戦前夜物語のハイライトですね。

 ところがブッシュはチェンバレンの轍を踏まなかった。アメリカ国民もよく耐えましたね。かえって人質を楯にとるフセインに憤激し、アメリカ人(だけ)の救出を何とかせよ、と政府に迫ることがついになかった。

 当時の日本の政治家たちの動きや、世論の動向を覚えておられるでしょう。外観をどうつくろってみても、中身は日本人のことで頭が一杯、世界の平和をまず念頭においた行動とはとてもいえないものだったと思います。

 それと対比したとき、アメリカの視点は数段高いところに据えられていた。世界のリーダー、私はアメリカ国民への賛辞を惜しみませんでした。王者の風をさえ感じましたね。付けたりですが、人質で揺さぶりをかける戦術がまったくアメリカには通じないとフセインは判断してか、全人質を釈放してしまった。世論の忍耐力の勝利を、このときほど見せつけられたことはありません。

 一見、日本とどっちこっちないように見えて、アメリカの民主主義には筋金が通っているんでしょうかね。アメリカ人気質といっていいのでしょうが、こういう世論に支えられてアメリカ政府は、侵略者に対する態度を最初から最後まで微動だにさせなかった。

大隈 確かにそういうことはいえるな。アメリカの恐ろしいところでもある。アメリカ人は享楽主義的にも見え、一人の命のことで大騒ぎもするが、まがいもなく命より大切なものを持っているよ。そこへさわったら大変なんだ。
 いまも日本人は、アメリカ人のそのこわさに気づいていない。

板垣 意見が合い過ぎて討論はどこへやら、なんですが、私の強調したいところもそこなのです。

考えてみると、五十万人将兵の母たちが、防人(さきもり)の任に就いて子が戦地に赴くことを了承していたんですね。ほんのすこしばかりわめく母親もいたようですけど。これはすごいことですよ。人質問題についての意識でも差をつけられましたが、戦場に子を送るくだりになると、いまの日本人との差は途方もなく拡大し、まるでべつの生き物ででもあるかのようだ。石油が必要だからなどということで、子の命が危険にさらされるのを容認する母親は、いま時いませんよ。アメリカの民衆がブッシュについてきたのは、石油のことではない。石油のことも多少はあったかもしれないが、それよりもずっと大きい比重で、世界に対する使命感があったのだと思う。それを私は信じて疑いませんね。大隈さん、これ間違っているでしょうかね。

大隈 こんどの湾岸戦争では、たしかに君のいうとおりだと思う。ただここで注意しなくてはならないのは、いいときはいいのだが、(最近ではパナマヘの侵攻のように)ときどきおかしなことに血道を上げることもあるからね。いつも湾岸戦争みたいに行ってくれればいいのだが。

司会 じゃあここいらで湾岸にこだわらず、アメリカの国柄について談じていただいてしめくくりにしましょうか。

板垣 湾岸戦争のくだりで、私は、アメリカを評するのに「王者の風」という言葉を使いましたよね。多少褒めすぎと思いますが、アメリカはイギリスやフランスとは、ひと味もふた味も違う国だと思います。全世界を視野に収めたうえで、自らを自由の砦だと信じ込んでいるフシがある。だって、(世界の)自由のためにといえば血を流すんですから。もちろん、アメリカ自身の自由とゴッチャになっていますよ。というより、重なっているといったほうがいいのかなあ。世界の自由のためにアメリカは健在でなくてはならない、ということでもある。

 使命感に支えられた国益思想、この一点でアメリカは世界でダントツといえますよ。

大隈 ところがだよ、天は二物を与えずとでもいうのかな、アメリカはどこでもルールの押しつけをやる。ひとの国を自分たちと同じルールの国にしないと気がすまないのだ。勝ってばかりいる国にあり勝ちなこと、価値の多元論が分かっちゃいない。人権外交も、もっと控え目にならなくては。自分の国だって、罪もないインディアンを平気で撃ち殺していた時代がある。モノには発展段階というものがあり、同じことをするのにも流儀のちがいがある。

 一人ひとりの人権を守る余裕がない、社会の安全を守る方が先決だ、という発展段階の国だって少なくないんだ。

 片や、社会制度が整ってきて、殺人犯であることが九分九厘分かっていても、念には念を入れ、裁判官をはじめいろんな部署のマンパワーを投入し(国費も使って)あとの一%の確認をやる。そんな余力がアメリカや西側先進国には生まれている。

 そういう発展段階の差をアメリカの人権外交は、しばしば無視するんだ。民主主義についても、アメリカはもっと複眼思考にならないと、善意がハタ迷惑になるね。

板垣 アメリカには、助言をして直させたらいいことがたくさんありますよ。
 確かに、人権の点おっしゃる通りだし、民主主義でも選挙で選ばれるという、たった一つの物差しで、一国の政治状況を評定したがる弊が見受けられます。
 ただ「自由」の点だけはアメリカの真骨頂、社会主義が台頭し、ロシア革命が起こってこの方、個人の自由を束縛することの多い社会主義と共産主義をほとんど寄せつけなかったのはアメリカだけでしたね。これなど世界史の壮観だと思われませんか。

 自由への信条が本物なのです。日本人をまた引き合いに出しますが、自由のためでも、死んではいけない。日本人は、みんながみんなといってもいいほど、そう思っていますよ。それに比べて自由というcardinal virtue―大義を持っているアメリカは、本当にすばらしい国だと思う。

大隈 君、それはオーバーではないか。そんなのはアメリカ人の中でもごく一部だよ。

板垣 大隈さんらしくもないことをおっしゃいますね。国民の七割、八割が理想主義者などという国がどこにありますか。国がしっかりしているということは、国のどこかにすぐれたリーダーシップが存在していて、それがたとえば、豆腐を固める苦汁(にがり)のような役目をしているからなので、アメリカ民主主義には、にがりが効いているわけではないのですか。ステーツマンシップの格調が見え隠れしています。

大隈 君のいうことを否定まではしないが、まだムラがあるよ。無理もないことだとは思う。世界の人種をマゼコゼにしたような多民族国家だし、国の舵取りはたいへんだと思う。しかし、もうすこし成熟しないと、とても王者とはいえないよ。

板垣 そういうことは、第二次大戦後もずっといわれてきたことなのですがそれでもその間、自由主義陣営はアメリカを旗頭に立てて、冷戦に圧勝するところまでこぎつけました。数々の失敗もやらかしながら、アメリカも、西側リーダーの任に耐えてきたのです。世界の平和秩序構築のためのこれからのリーダーとしての資質は、一部実証ずみだといえると思います。

大隈 冷戦時代というのは、いつ第三次大戦が起こるか予測できないという準戦時体制なんだ。そういうときだから、アメリカも心が引き締まっていたし、陣営の国々も、時には我慢もしてアメリカを盛り立てたものだ。ところが、これからは怪しいよ。

司会 そういう、何から何までが変わるなかでは、よけいにリーダーシップの重要さが増すわけなのでしょうが、アメリカに望むところは……。

板垣 湾岸戦争勝利の興奮とどよめきが去ったあと、その反動がこないことを祈りますね。なにかの弾みで、新モンロー主義が台頭して、世界のことにソッポをむくようになつたら、代われる国はありませんから。国民の使命感が、ときに消長はあっても、大きく退潮しないで欲しいものです。

大隈 それといっしょに望むのは無理だという感じもするが、横暴にならないでほしい。中米の国によく出兵するが、あれは慎んでもらわないと困る。アメリカにいわせれば、麻薬だとか、軍事独裁だとか、それなりに大義名分はあるのだろうが、世界で、しかも一番大切な平和秩序をリードする国が、同時に米州で地域覇権をふりまわすのはよくない。なによりもそれが、アメリカのイメージを傷つけるからだ。世界各国からの信望を失う心配があるからだ。となりに独裁国ができたからといって、アメリカの沽券にかかわる、などと考えなくていい。麻薬はやはり国境で、国内で、その撲滅方法を編み出すのが、正しい路線だよ。

 国際的に対処するなら、司法共助、警察の相互援助のネットワークを考えるのが正解だと思うよ。繰り返していうが、イメージは、リーダーにとっては不可欠の資格条件だもの。

板垣 アメリカも苦しいですね。捕らえることのできる犯人を、みすみす逃がすようなもの。それをじっとこらえなくてはならないというのですから。そういえばもっと厳しい、自己犠牲に近いことを要望しておかなくてはなりません。

 国連軍の司令官をアメリカに、というのは当然といっていいと思いますし、それがリーダーたることを形に表したものでありましょうが、その代わり、作戦・用兵にあたって断固としてフェアでなくてはならない。兵力を出しているほかの国から、自分のところの部隊をいつも危険度の高いところへ配置する、といった苦情が出ないことが、非常に大切だと思います。いくら客観的に公平であっても、そんな苦情は出やすいもの、司令官の人選も骨が折れますね。そのほかにも、自国軍だけでない状況の下で全体の軍紀を維持することのむずかしさは、想像に絶するものがあります。

 兵力が多いだけでなく、兵隊が強いことだけでなく、こんな面でもアメリカ人部隊は率先して範を示さなくてはならない。幸いにして、独立戦争のときから混成部隊で戦い、国そのものが人種のルツボであり、冷戦時代にも、いつも同盟国の絆を大切にしながらリーダー格をつとめてきていますから、どの国がリーダーになる場合よりも、アメリカがなるのが、適任であることは間違いないと思いますが。

大隈 いちいちもっともだ。ところで、アメリカは経済でもうすこし頑張ってくれないかなあ。経済だけでなく、社会・教育などでも、問題だらけ。共産主義破れたり。それは事実だが、資本主義の方も、勝った、勝ったなんていってはおれないよ。第三次大戦勃発の恐怖が、濃淡の差はあつても世界を覆っていた時代とくらべると、アメリカ人だって気は弛むだろうから、よけいにそこらあたりのことが心配になる。

 ああ、それにしても日本がしっかりしていたらなあ。日米両国のグローバル・パートナーシップがモノをいうだろうに。

板垣 そこなのですね。われわれにとっていま問題なのは。

司会 どうやらお二人の見解の違いは、角度にして三〇度かそこらの開きにすぎないみたいです。いずれにしても日本ではこれから、もっと突っ込んだアメリカ論議が盛んにならなくてはなりませんね。「日米関係は日本外交の基軸」。この言葉を呪文のように唱えているだけでは危ない。本日のご健闘、ありがとうございました。

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