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湾岸戦争・板垣・大隈問答(3)−撃ち方止めと戦後処理におけるヴィジョンの欠落

2001年10月09日(火)
萬晩報顧問 伴 正一

 五、撃ち方止めと戦後処理におけるヴィジョンの欠落

司会 ではつぎに、戦争の止め方について。早すぎた、ということがあとで言われたりもしましたが……。

板垣 二十四時間早すぎたかな、という思いが私にもないではありません。フセイン政権を存続させてしまった。クルド難民二百万人、世紀の悲劇が発生した。どれもこれも早くやめすぎた結果なのだと考え出しますとね。しかし、後になっていうのはやさしいんで、戦争の終結くらい難しいことはない。敗者にとってはもちろん、勝者にとっても。

 戦争終結がたった一週間遅れただけで、その後の歴史がすっかり変わった例の一つが太平洋戦争です。
 連合国側が、日本の国体護持(天皇制維持)をポツダム宣言で、日本に分かるように打ち出して来てさえいたら、日本はそれで降伏したかもしれませんよ。そうしたらソ連を戦争に引き入れないですんだはずです。ソ連が参戦したのは八月九日、終戦のたった六日前だったのですから。また、アメリカが戦争終結を急ぎさえしなかつたら、ソ連の出る幕はなかったはずです。

 ともあれ、ソ連参戦が三八度線での南北分断を生み、戦後の朝鮮半島を極東の火薬庫にしてしまった。シベリア抑留だって 日本人孤児問題だって北方領土問題だって、その本はソ連参戦からきている。

 ところで湾岸戦争ですが、侵略軍を占領地から排除するのが目的の戦争だったのですから、それプラスアルファ、侵略者をかなり痛い目にあわせたところで追撃を止めた。正しかったのではないですか。勝者は往々にして当初の戦争目的を超えて深追いしがちなものですが、ブッシュはそれをやらなかった。見事な鉾の収め方ですよ。

大隈 ちょっと待った。侵略軍を不法占領地から排除するだけだったら、敵を追ってイラクに攻め入るのではなく、クウェート、イラクの国境で進撃を止めなくてはならん。クウェートにいるイラク軍を追い出すための包囲作戦としてイラク領を進撃するのは一種の作戦として許容されようが、クウェートの奪回ができたあとの進撃、すなわち懲罰の意味でどれくらいイラクを叩くべきかの判断は、作戦用兵上から出てくる性質のものではない。

 本来なら武力行使容認を決定した国連安保理が判断すべき事項だよ。湾岸の場合は初めてのケースだから仕方がないが、これから先、鉾を収めるタイミングは、誰が決めるのか、よくつめてはっきりさせておかなくてはならない。追撃中だって刻々人命が失われていくわけだしね。

司会 では「戦後処理」に移りましょうか。戦争というのは、どうしても撃ち合いの華々しさが大映しに報道され勝ちで、撃ち方止めのあとはぐっと扱いが小さくなる。本当は、停戦から講和までの時期は、後々の歴史に大きい影を落とすという意味で、戦争行動に負けず劣らず大切な時期のはずなのにですね。
 それじゃ湾岸戦争ではどうなっているんでしょう。多国籍軍が一方的に鉾を収め、それから間もなく停戦協定ができましたね。そこらあたりまではテレビもよく放映していました。
 さあ、問題はそれからあとです。

大隈 停戦協定の中身は一度事務的に報ぜられただけだし、その後の協定の実施状況も、イラクが核研究施設の査察を拒んだときにニュースになっただけで、ろくに報道されていない。
 アメリカは多国籍軍の主力で頑張ったんだから、停戦後も息を抜かないで欲しかった。アメリカが、いま自分たちは世界新秩序のために貴重なテスト・ラン(試運転)をやっているのだという基礎認識で事に当たっていたら、世界の耳目をもっと湾岸に引きつけておくことができたと思うよ。いまからだって遅くはない。

板垣 でもあんなに世界に大変動、大事件が矢つぎ早に起こったんですから、アメリカも大変ですよ。
 そこで推測も交えて、アメリカの戦後処理についての私の感じをいいますと、まず、あまり記事にならないということは、荒っぽいことをやっていないということでしょうね。

 太平洋戦争での停戦協定は戦艦ミズーリー艦上で行われました。それからサンフランシスコでの講和条約まで日本は占領されてしまう。寛大だったと思っているアメリカの占領政策ですが、かなり無茶なことをしていますよ。

 第一、占領軍がひとつの独立国家に憲法草案を押しつけるなんてひどいと思いませんか。日本の脅威をなくするという目的は、平和条約での、たとえば十年間再軍備を認めないというような規定で達することができるじゃありませんか。

 事後法で敗者だけを裁くというのも、インドのパル判事が指摘しているように、普遍的な法のルールに反しています。何十年もの左側通行を、占領軍の都合で変えている。こんな例まであげ始めたら切りがありませんよ。
 そんなことと比較してみてください。こんどは、領土の占領も手控えたし、あれほど憎んだフセインだったのに、国際裁判にかけるようなこともしませんでした。

大隈 過去との比較はそれでいいが、私がいま気にしているのは将来展望の問題。せっかく侵略に対する武力制裁を断行しておきながら、あと始末の段になって世界新秩序へのグランドデザインがその片鱗も見えないことだ。

 侵略行為を鎮定した後には、侵略国に対する処理を決定するという大仕事がある。それなのにその適正な基準を模索し、先々のために貴重な参考例を残そうという意欲がさっぱり伝わって来ない。本当なら、世界新秩序のことなんだから、世界中が、誰からいわれなくても深い関心を寄せ続けていなくてはならないことなんだが、世界にその自覚がない。それなら、せめてアメリカが、一極集中とまでいわれる状況の中で、もっとリーダーシップを発揮してよくはないのか。
 七月のサミットのあとの共同宣言。期待して活字を追ってみたが、それらしい言葉が出てないのにがっくりだった。

  ……commit ourselves to making the UN stronger in order to protect human rights,……to deter aggression……

 何だこれは。たった、これっきり? しかも凡庸な。これがあの湾岸戦争の直後サミットの問題意識なのか。どこへ行った世界新秩序は。そんな数々の思いがいまでもまざまざと心に残っている。

板垣 大隈さんの失望はよく分かります。ただ、強いてアメリカのために、推測まじりで弁解を試みるなら、戦争の最終段階で多国籍軍側は二つ重要なことをしています。

 追撃戦で、深追いこそしなかったがイラク軍精鋭部隊のかなりの部分に、潰滅的打撃を与えた。そしてこのことによって、(1)侵略の再発防止(2)イラクヘの懲罰、という目的を半ば達成していると思うのです。

 限度をわきまえつつも、追撃戦でイラク軍をこっぴどく叩いた効果は認めなくてはなりません。そこではちゃんとリーダーシップを発揮していると評価していいのではありませんか。そして対日占領のようなやり過ぎがない点も。

大隈 その点は認める。それにしてもアメリカもさることながら、なんとも情けないのが日本の言論界だ。今日の主題からは外れるが、私の憤懣をブチまけさせてほしい。

 あんなにしつこく武力行使弾劾を繰り返していたのだから、それなら経済制裁だけでイラクをクウェートから撤退させることができたはずだという主張と論証をずっと続けなくてはならない。

 いままで経済制裁で相手国が参ったという例は一つもない。湾岸でも経済制裁がイラクの時間稼ぎに逆用され、その間にイラクは戦備を強化してしまったという見方さえある。武力行使がいけないなら、今までの経済制裁に大改革を加えて徹底的に強力なものに仕立て直す。あるいは侵略国の意図を挫く第三の方法を編み出す。そういったことの案出にもっと知恵を絞らなくちゃいかんよ。本当に平和の道を模索しているのなら、反対ばかりしていないで案を出さなくっちゃあ。それだけの知的作業をやりとげなくちゃあ。

 詳しくは立ち入らないが、賠償だって侵略国に対する懲罰なんだから、そのあり方について、世界新秩序の観点から、どんどん議論が湧きおこらなくてはならないはずだ。それがどうだ。平和、平和と口ばかりで、平和のメカニズム構築には全然知的貢献ができていない。知的貢献のための知的体力をつける努力さえしていない。

板垣 世界新秩序には壮大なデザインがいりますね。おっしゃるように予想以上の分野で、予定を遥かに超える知的作業が要る。

 そこで、ですね。日本でももちろん出てないし、アメリカからも聞こえて来ない重要テーマが一つあると思うので、今日の機会に言わせてもらいます。そもそも紛争が暴力沙汰になるのは、借りた金を返さない側と、返せと迫る側との例でも分かるように、実体上は拳を振り上げる方に理があることが少なくありません。だからといって武力行動を容認はできないけれど、じゃあほかに方法があるかといえばない。相手が言を左右にして返さない限りラチは明かないわけです。

 こう考えてくると、これから先、主として第三世界、開発途上国同士の武力衝突の多発が予想されているのですが、ただ武力に訴えてはいかんの一点張りでは、釈然としませんね。平和は守られても正義は実現できないではありませんか。安保理だとか、国連軍だとか多国籍軍だというのは、平和維持が先決だという事情から、どうしても先に取り上げられるのだけれども、その次にまっさきに考えなくてはならないのは、正義実現の方法、平たくいえば裁判の機能ではないですか。

 イラクが軍事行動を起こしたのは悪い。そしてそれに対する世界の対応は、いま見てきたように問題だらけではあったが、それでも大きくみてまずまずの成果だった。

 しかしそのこととは別に、イラクとクウェートの間に紛争と呼べるものがあったのかどうか。あったとすればその紛争の扱いはどうなったのか。このことが問われていないのは大変な片手落ちです。十に二つでもイラク側に、正当な言い分があるとした場合、それをどこか、適切に扱ってくれるところが本当は必要なのです。

 安保理はこういう裁きごとを扱うには不適当だと思います。下手をすると人民裁判みたいになりかねない。
 そこで浮上してくるのが国際司法裁判所です。いまの活動状況がどうであろうと、裁判機能というものを外して恒久的な世界新秩序は、仕上がりになりません。そしてこういう長期的構想でいくなら、それこそ試験的に、イラクにいいたいことがあるならクウェートなり、旧宗主国の英国なりを相手に訴えを起こさせたらいいではありませんか。

 そうすれば、よく出てきたアラブの大義ということも解明されそうです。またこういう裁判では平和の問題と違って、一律な世界法より、地域々々の慣習法が重視されなくてはならない場合が出てくるでしょう。

 また裁判では、平和維持の場合のように、軍事面で大きい役割を果す国にリーダーシップが望まれる(あるいは容認される)ということもありません。

 世界のどんな国からでもいい、優れた裁判官が選ばれてくることが何より大切なんですから、常任理事国だからといって特権を振り廻すようなことは大幅に抑止されるでしょう。

 国際司法裁判所がいますぐ充分に機能するかどうかは疑問ですが、とにかく試運転をやるごとに論議は現実味を帯びてきますよ。世界の平和秩序の構築にはアメリカのリーダーシップが不可欠ですが、いま私のいったような分野でその必要はないと考えていい……。

司会 どうもお二人、ありがとうございました。日本の国会でも、この種の質問が出て活発な論議が展開されるようだといいのになぁ、と思いますね。

 たぐっていけば、いもづる式にもっともっとたくさんの、重要な問題点が浮び上ってくるんでしようが。さて、いままでのところ、アメリカへの評価を要約させてもらいますと、世界新秩序に対する構想力がいささか不十分、ということになりますか。

 岡目八目で適切な助言ができていいはずの日本が、これはまた、お粗末極まる。この点も大切な指摘だと思います。岡目八目だけじゃない、敗戦国への扱いについて敗戦国だった日本は、戦勝国に欠落している視点を持ち合わせているはずでもありますすものね。

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