四、ブッシュの戦争突入決断と戦闘行動
司会 ところで一月十六日の戦争突入ですが、国連決議の期限が十五日に切れる。その翌日に武力行使発動となったんですから、国連からみて法的にはまったく問題はないはずですね。ただ政治的というか、さらに高い見地から見て、アメリカの決断に問題はなかったか。これが討論のポイントだと思いますが、その前に、ここで脱線をあえてして、「この際の武力行使に日本が加わるとしたら」という根源的な設問について、入口のところだけでいい、お二人の意見をうかがいたいのです。多国籍軍への日本参加は是か非か。日本の思想界はこの論議を尽していない。
板垣 尽してないどころか、入口にも入ってない。論議することそれ自体がタブーで半世紀近くが経過してしまったんですもの。言論の自由もどこへやらですよ。湾岸での多国籍軍の武力行使は、日本国憲法九条の武力行使とは性質の違う武力行使です。日本がこれに参加することを憲法は禁止していない。
それが私の解釈です。この解釈が成立たないと、一三〇億ドルの支出の根拠が怪しくなりますよ。こんどの多国籍軍の武力行使が、日本でなら禁止されている性質の行動なら、そんな武力行使をカネで支えることも共犯、幇助罪になるじゃないですか。
去年、国連平和協力法案が国会に上程され、審議が始まろうとする前日でしたか、海部総理の発言を受けて外務省が、いまの私の意見と同じことをいいましたね。
大隈 でも、官邸は何ものかにおびえるように、そそくさと引っ込めたじゃないか。君のような解釈は最高裁へ持ち込んでも十五人の裁判官の半分以下の支持しか得られないよ。
憲法九条の一項では「国際紛争を解決する手段としては」という文言がよく利いていて、国際紛争を解決する手段としてでないのなら、戦争をしても武力行使をしてもよさそうに読める。
しかし二項を見てご覧よ。
「前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」といい切って、武力行使は一切合切できないように電源を元から切っているじゃないか。
まともに読んだら君や外務省のような結論には絶対ならない。本当は自衛隊も違憲だ。最高裁だって自衛隊問題が上がってくると、門の入口のところで理屈をつけて上告を棄却し、本体のところの判断は逃げている。いまさら違憲といったら大ごとになるし、さればとて合憲だなんて判定はとても出せない。判断を避けているんだ。その苦衷、よく分かるじゃないか。
板垣 こんどの多国籍軍の武力行使が、いわゆる紛争の解決の手段として発動されたものでない点は認めるのですか。
大隈 もちろんだ。ブッシュとフセインを並べて紛争当事者みたいに扱っている多くの俗論とは袂を分かつけれども、九条の解釈は別だといっているんだ。戦力を持ったり交戦権があることにしたら、屁理屈をつけて紛争解決の手段に使う心配があるから、そんな余地を完封してしまおうというのが九条だ。中国での宮刑(男根を取り除く刑)みたいなものと思えばいいんだな。犯すことを禁ずる上に犯せないようにしてしまう。
考えても見給え、憲法ができたころ、日本は打ちひしがれた敗戦国。「もう二度と侍になろうなどという気は起しませぬ。弓矢を手にすることら一切しません」という調子なんだ。それが、九条二項の正体なんだ。
司会 含蓄のあるご指摘ありがとうございました。
では根源的なこの点は、触れるだけにしておいて、話を元に戻しましょう。
国連の論理からいって法的に瑕疵のなかった戦争突入を、こんどは政治軍事的に眺めてどうなるか。
板垣 アメリカは国連から順序よく決議を引き出し、イラクヘの締めつけを強化しながら、クウェート撤退を促しています。ロシアやフランスにまで、やれることは全部、かなりスタンド・プレーめいたことにも文句を言わずにやらしている。平和的解決のための努力は完璧だった、といえるでしょうね。
大隈 それは形の上でだよ。イラクを叩く決心でいて、手を尽した形を整えただけのことであって、やり方は巧妙だが、アメリカ嫌いの人間に言わせたら狡猾。フセインが越前朝倉攻めの兵をあっさり引いた織田信長くらい機敏な人間だったら、一月十四日にクウェートから全軍を撤退させてアメリカに肩すかしを食わせただろうな。こうなれば五十万人の派兵は過剰行動だったという非難を免れなかったに違いない。ブッシュも危ういところだった、といえる。
板垣 その式の見方でいくと、ブッシュ大統領は内心ハラハラしていたのでしょうね。二重の意味で、一月十五日の期限切れが待ち遠しかったに違いない。
大隈 二重の意味というのは?
板垣 アラビア半島の砂嵐の季節がじわじわ近づいてくる。それに、異境の沙漠で年越しをした五十万人将兵の士気がいつまで持つか。ブッシュさんも、そんな中での決断だったことを考えると、運もよかったが、タイミングは絶妙。将来国連軍が、似たような状況で軍事行動を起こす場合のいい参考例になると恩います。
国連軍だって、戦闘状態が一年も二年も膠着状態になっては困るし、戦死者の数を少なくするには、立ち上がりに機先を制する要があります。そういう用兵上の配慮だって、すごく重要なことなのですから。
大隈 アメリカが独断に近い形で戦争に突入したから、君のいう絶妙のタイミングもつかめたのだ。国連軍だととてもそうはいかない。こんな鮮やかな采配の振り方はできなかった。国連軍を作るときは、こんどみたいな一糸乱れぬ作戦行動にかどこまで近づくことができるかが大事なポイントになる。
板垣 やはり第二次大戦このかた、連合軍、そして自由陣営の旗頭として戦ってきたアメリカとアメリカ軍の底力を評価しないといけないでしょうね。
多国籍軍であろうと、国連軍であろうと、中国軍主力とか英軍主力ではとてもこんな具合にはいきそうにない。
大隈 その点では僕も同意見。問題は、さきほど君がいっていたように、アメリカの強さがいつまで続くかだ。
司会 いつも先を急がせて悪いのですが、つぎは戦争行動そのもので、アメリカ軍をどう採点したらいいか。
板垣 民間施設の空爆、民間人の殺傷などがマスコミに大きく取り上げられましたね。でも、あの規模の戦争があの程度のエラーで収まったということは、百点満点で失点が二点か三点しかなかったようなものです。
だって、第二次世界大戦のときのことを考えてください。日本人は戦後五十年、「戦争を起こしたことがこんな結果を招いたのだ」という論理で、戦争中アメリカ側の(戦時国際法上の)無法な行動を不問に付してきました。昭和二十年になって激しくなったB−29の無差別都市爆撃、毎日一つの都市が焼かれていったわけですよね。そのほとんどが民衆の住まい。
中でもひどいのは広島、長崎への原爆投下。日本がなかなか手を上げないから、戦争終結を早め、米軍の死者の数を少なくしようとした、というのがアメリカ国民への説明ですが、広島だけでも二十万人ではすまない非戦闘員を殺しているのですよ。
残虐は日本軍だけだった、と思い込んでいる大多数の日本人は、そのころのアメリカの戦いぶりや、米軍の比ではないソ連軍の悪逆無道ぶりを、史実に照らして客観的に見ておく必要がありますよ。
大隈 その比較はあまり意味ないよ。だって、一カ月半の戦争と三年八カ月の世界大戦とでは全然戦いの種類が違う。それはアメリカ側の戦死の数だけ比較しても分かることだ。
日本への原爆投下説明だって、いまなおそれを是としているアメリカ人がたくさんいるんだぜ。イラクがもっと頑張って米軍にも死傷者が続出したら、何をやったか分かりはしない。それにエラーが少なかったのは、アメリカが人道的になったというより、兵器の精度がよくなったから、の方が大きいよ。
侵略を討伐する軍は、敵に対して圧倒的に精鋭でなくてはならんということだ。
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