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魅力ある町づくりと地方分権
2001年06月10日(日)
東西センター北東アジア経済フォーラム上級研究員 中野 有

 全国津々浦々どこに行っても似通った建物に遭遇することがよくある。風土に根ざし、その土地の特徴を現した建物や町並みが少なくなっている。これも中央集権的な公共事業のあり方の弊害であろうか。文化・歴史・自然と調和した魅力ある町づくりの発想が求められる。住み良い生活空間を創造するためには、どのような開発のプロセスの共有化や活動が求められているのであるだろうか。

 海外には、理想的な都市がいくつかある。例えばウイーンは、人が住むのに最も理想的なエリアと人口で構成され、ウイーンの町自体が芸術である。この音楽の都ができるまで数多くの議論と葛藤のプロセスがあった。

 住民の知恵の結晶でウイーンの森やドナウ川がウイーンの町と調和して、理想的な都市と世界屈指の観光地となったのである。ウイーンは、住民が主役となり開発と環境の両立が成功した町である。また、米国のオレゴン州の住民参加型の都市計画の成功例やシンガポールの徹底した国家戦略による国際都市開発へのプロセスも参考になる。

 日本から出て行く人が多いが海外からの観光客が非常に少ない。物価などの面で日本は住みにくいという経済的な側面もあろうが、日本は観光客をひきつける魅力に欠けているのは、確かである。これは住民が都市開発の主体となっていなかったことにあると考えられる。

 公共事業で箱物を作る場合、住民は行政に頼り、行政は専門家やコンサルタントに頼る傾向が強い。中央集権的な公共事業で、しかも東京や大阪の専門家やコンサルが関与した場合、全国に金太郎飴的な風土や文化の香りの少ない特徴がない箱物ができるのは至極当然である。

 地方分権が叫ばれ久しいが、やっと政治環境の変化により町づくりや社会資本整備に関し新鮮な発想の下で住民参加型の地方分権が推進される状況が生まれてきた。森政権から小泉政権に変わり、支持率が一挙に10倍になったように、日本は極端から極端に変貌すると想定すれば、官僚vs住民、中央集権vs地方分権に振り子が大きく揺れつつある。住民が中心となり魅力ある町をつくる、すなわち住民が町を芸術する絶好の好機である。

 都市計画のアクター(参加者)は、住民、行政、学識経験者、ビジネスマン、政治家、専門家やコンサルタントである。餅屋は餅屋で、それぞれの垣根が存在している。魅力ある町づくりという開発のプロセスの共有化を通じ、それぞれの専門分野を生かしながら最大の成果をあげるためには何が必要なのであろうか。

 NPO(非営利団体)やNGO(非政府団体)は、大きな役割を担っていると考えられる。NPOやNGOの活動が注目されるのは、都市計画に関わる多くのアクターが、会社や役所のしがらみを越えて同じ目的でかつ純粋な意味で地域コミュニティーの発展のために貢献できるところにある。行政やコンサルタントもNPO等の一員として住民の視点で開発の理想に関わることができるのである。

 会社という利益追求型の組織にありながら、長期的な視点でNPOの活動に参加し、住み良い空間を住民として創造する。同時に将来的には会社に貢献できる。そんな会社と社会の両立が可能となれば生活が豊かになる。

 魅力ある町には文化、歴史、自然との調和に加え、住民の誇りがある。ウイーンなどのヨーロッパの町は、町そのものが芸術である。戦後、日本は経済的な豊かさを追い求め、住民が魅力的な町をつくるという環境ではなかった。

 歴史や文化を重んじるヨーロッパ型の開発を模索するという意味でなく、住民が住み良い空間を創造する活動、すなわち共通の目的を持って開発のプロセスを共有し、魅力ある町を設計する。地方分権の良さは住民が一体となり自分の住む町を芸術することにあるだろう。



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