中国では5月1日から7日までの7日間、官公庁と多くの国有企業や民間企業が労働節休暇を実施した。この7日間の連続休暇は春節(旧正月・1月か2月)休暇、国慶節(建国記念日・10月1日)休暇と共に昨年から中央政府の奨励により大型化が始まったもので、休暇を利用したレジャー活動による消費の活性化が大きな狙いであるが、中でも季節の良い労働節休暇は政府の狙い通り多くの人が活発に移動し、今年は約6000万人の人々が出かけ各地の観光収入は約200億元(約3000億円)、海外への旅行者も20万人程あったとみられている。
●成都と九寨溝
私も今回この休暇を利用しパンダの故郷としてや麻婆豆腐など辛い料理で日本でも知られる四川省へ出かけ、成都や特異な生態系と世界でも稀な自然景観を有することから世界自然遺産に登録されている九寨溝を見学した。
成都は四川省の省都で、三国時代(三世紀)には蜀の都として栄え劉備玄徳や諸葛孔明、杜甫などにゆかりの深い古都であり、古くから「天府の国(自然に恵まれた土地)」と呼ばれている。海抜500mにあり、人口は約1100万人。上海や広州など開発の進んだ沿海地区の大都市とは違った古都らしい落ち着いた雰囲気が漂っている。麻婆豆腐発祥の地でもあり初めて麻婆豆腐を人々に提供した店は今でも地元市民でにぎわっている。
九寨溝は成都から約400km離れた四川省西北部の高原に位置し、海抜2000mから3100mの間に地球が300万年かけて作り上げた6万ヘクタールの幻想的な空間が広がっている。成都からは車で約10時間かかるが川沿いに走る途中の景色も大変素晴らしく、まるで車で三峡下りをしているような気分になれる。また行く道の所々で高山病対策のスプレー式缶入り酸素が売られており、いかにも奥地に入っていく感じがしてわくわくする。
九寨溝には広大な原始林と一年中雪をいただいた高山を背景にエメラルドグリーンやコバルトブルーに輝く澄みきった水をたたえた大小さまざまな108の湖が点在し、色と景観が実に見事だ。四季折々の変化に併せそれを映し出す湖面の色は見る人を魅了してやまない。1100mの高度差の中で河岸段丘になっているため湖と湖の間には多くの瀑布が形成されており、最大の瀑布は幅270m高さ25mある。これらの瀑布から流れ落ちた水は全長753kmの岷江となり、その岷江は支流中随一の水量を誇りながらやがて揚子江に流れ込む。つまり九寨溝は揚子江の源流なのだ。
九寨溝が景勝地として世に知られ出した歴史は新しく、中国でも70年代の後半からなので日本ではまだあまり広く知られていないが、九寨溝の近くにある黄龍と共に1992年に世界自然遺産登録されており、少し遠いのが難であるが機会があれば是非その素晴らしい景観をご覧になることをお勧めしたい。2年後には成都から飛行機で行けるようになるそうだ。
九寨溝が紹介されているホームページ http://urawa.cool.ne.jp/kanpoya/newpage310.htm
●中国的な出来事
今回私は成都までは個人で行き、成都から現地までは成都の旅行会社がセットする3泊4日のツアーに参加した。私以外は中国各地から集まった親子連れの家族や数組の男女カップルなど20人ほどの中国人であったのだが、現地に着いてホテルにチェックインする時、まことに中国らしい出来事があった。
参加者は各自の地元旅行会社でツアーの申し込みをしており、その際ホテルはバス・トイレ付き2人一部屋の標準室と聞かされまた契約書面にもそう書いてあるのだが、一泊目は三人一室、移動後の2泊目は四人一室しかもバス・トイレのない一般室に泊まるよう一方的に変更されたのだ。
ホテル側がかき入れ時により多く稼ぐため無理やり客をぎゅうぎゅうに詰め込んだのだ。なにぶん限られたなかで6000万人が移動するのだから恐らく全国各地で同じようなことが起こっていたに違いない。当然客は大騒ぎし、毎晩他のツアー客も交えあちらこちらで客とツアーガイド、ツアーガイドとホテル、客とホテルなどの間で激しい罵り合いや交渉や条件闘争が続けられさまざまな形で収まっていったが、この国では声の大きさと押しの強さと一歩も引かぬという断固とした態度が有利な結果を導き出すことを再確認した。
このようなことは商売上でも往々にしてあり、あらかじめ契約しているにもかかわらず品薄とみると売り手が急に値上げを要求してきたり、商品がだぶつき気味だったり相場が下がり気味だと買い手が値下げを要求し、要求を飲まなければ平気で契約をキャンセルしてくる。まあこれも中国の一面である。
●都江堰
さて、九寨溝に源を発した水が岷江に流れ込み、大きな川となって四川盆地の入り口にたどり着くあたり、海抜700mで成都から約60kmの所に今から約2200年前に作られ今でも人々に大きな恩恵をもたらせている都江堰がある。
成都平野に住む人々は古来1000年以上の間、岷江の増水期の洪水と地理的要因による渇水に悩まされ続けてきた。その成都平野を今日のような天府の地に変えたのは戦国時代(紀元前三世紀)の蜀の郡守であった李氷親子である。二人は民衆を率いて水量が多く流れの急な岷江の中に小山があったり曲がりくねったりする当地の自然の地形を巧みに利用した堰を作り、岷江にそのまま流れ込む外江、成都平野に流れ込む内江の二つの流れに分けた。
堰は一つだけでなく補助的なものがまだあり、いったん内江に入って余った水が再度岷江に排出されるよう、更には曲がりこむ水流を利用し内江に洪水の原因となる砂礫が滞積しないようにも設計されている。これらの結果、岷江の水は増水期には4割、渇水期には6割が安定して内江を流れるようになり、それ以来成都平野は洪水や渇水のない肥沃の土地として2000年以上人々に恵みを与え続けるようになった。都江堰の完成により当時の蜀の人口は2倍になったといい、人々は堰のほとりの高台に廟を作り李氷親子を神のように祭った。
このように書くと都江堰の建設は簡単なことのような感じがするかもしれないし、また現在の技術であれば簡単に出来る事であるが、現地に立ち岷江の水量の多さと流れの早さを目の当たりにすると、2,000年以上も前によくぞここまで完璧に成し遂げたものと心から感心してしまうし、更に何より感心するのは見事なまでに自然と調和していることである。全く自然を痛めつけることなく、自然とその原理を活かし、自然と調和する中で人々に福をもたらしている。都江堰の一角にケ小平の書になる「造福万代」という言葉が掲げられていたが、誠に言い得て妙なる言葉だと思う。
都江堰が紹介されているホームページ http://www.kofucci.or.jp/cci/keizai/seito/tokoen.htm
●八田與一と李氷親子
たまたま2年続けて5月の連休に先人の築いた偉大な水利事業を見た。去年は日本人技師八田與一が心血を注いで作り上げた台湾南部台南県にある烏山頭ダムに行き、その時のことは「台湾で最も愛される日本人―八田與一(続編)」http://yorozubp.com/0005/000509.htmで書いた。
両者に共通するのは、事業の全体構想が極めて自然の理にかなっており自然を痛めていないこと、将来も含めた人々の生活を向上さすため当時としては技術的に大変困難だと思われたことを不退転の決意でやり遂げたこと、結果に於いて全ての人々に恵みを与え建設の指導者であった彼らがいつまでも土地の人々から神様のように慕われている事などだ。
ひるがえって長良川河口堰、諌早干拓事業、中海・宍道湖淡水化事業など、日本の現代の水利事業は余りにも自然を破壊する部分が多いように思う。公共事業という名の建設事業が多くの地域で「産業化」してしまっている一例であろう。
●平成は後世に何を残すのか
64年間の昭和が終わり平成も12年が過ぎた。昭和の時代に私達は「造福万代」として長く後世から感謝されるものを果たしてどれだけ残したのだろうか。むしろバブルに向かって突き進んだ最後の10年間は後世に顔向け出来ない「造災万代」とも言える事柄が加速して増えたのではないだろうか。
インターネット上のホームページ「リアルタイム財政赤字カウンター」http://home.att.ne.jp/wind/polisc/politics/fin/では普通国債残高と日本全体の長期債務残高の総額及びそれぞれ国民一人当り金額がデジタル表示されており、日本という国の借金が毎秒約70万円刻々と増えており、総額が既に647兆円を超えていることが一目でわかる。これも昭和からの引継ぎだ。まだご覧になってない方は是非ご覧頂きたい。
世論調査では今回発足した小泉内閣の支持率が圧倒的に高い。構造改革、財政再建など公約通り大いに取り組んでもらいたいと思う。
それと同時に重要なことは国のありようを政治家まかせにすることなく、国民の一人一人が我がこととしてあらゆる機会を見つけて参加し見守ることであり、自分達の快楽や一時凌ぎのつけを子孫につけ回すのではなく、我が身が血を流してでも後世により良い社会を引き継ごうとする視点からものごとを判断し実行していくことであろう。
今からでも決して遅くはない。国や地球の歴史はまだまだ続くのだから。
岩間さんにメールは koyoyj@mail.nbptt.zj.cn
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