「オペレーション・ブラボー」計画を実現するため、フランス政府を説得すること以外にもトムソンの前には大きな難関が2つ横たわっている。その1つはもちろん台湾側が数多くの競合者の中から確実にフランスのフリゲート艦を指名してくれること。もう1つは、北京がフリゲート艦の売却で過剰に反応せずに済むことである。そして、この後者の方が最も乗り越える見込みの少ない難関であることはトムソンも十分理解していた。
現在、アメリカのイージス艦の台湾売却問題で再び注目された中国の断固とした姿勢で分かるように、最先端武器の台湾売却はもっとも中国の神経を尖らせる敏感な問題であり、「台湾法」という名目を掲げるアメリカでさえ遠慮しがちな問題である。フランスなど中国との関係を最優先に考慮しなければならない欧州諸国が、北京の態度を無視してまで売却を敢行することはまずあり得ない。
この2つの難関を突破するため、トムソンはフランス外務省工作以外にも同時に2つの工作計画を練った。台北側では兵器ブローカーの汪傳浦ルート、北京側ではリーリー・リュウという香港在住の女性実業家ルートと、シルパンが紹介した香港出身のカナダ籍ビジネスマンのエドモンド・クアンルートを作り、それぞれに多額のリベートを約束し、斡旋工作を開始してもらったのだ。
そして、1991年、ジュンクール夫人も同行したデュマ外相の北京訪問の後、フランス外務省の態度が明らかに軟化し始め、同年9月、ついにフリゲート艦の売却にゴーサインを出したのである。不思議なことに北京側は前回の抗議と対照的に、今回はさほど過激な反応をしなかった。当時の北京駐在フランス大使館のマーティン大使が本国外務省への報告で「北京はいつでも経済制裁を発動するような姿勢だったが、今度の態度は我々の受けられるようなものだった」と喜びをあらわにしたという。明らかにトムソンの北京工作が奏効したのである。
何故北京が態度を変えた理由についてはこれと言った説明がなされていない。一般的な言い方としては、フランスは売却の内容をフリゲート艦の船体の部分だけに限定し、精密機器などソフトの部分は売却しないと約束したため、北京の譲歩を得たのだという。この言い方は実際、フリゲート艦が台湾海軍の手に渡されるまでに香港で数日間も停泊し、北京側の検査を受けたという情報にも裏付けられている。しかし、フランスや台湾の消息筋の間では、その裏にはトムソンがリベート全額の20%を北京側に約束したからだという見方もある。
信じられないようなことだが、台北総統府国策顧問の謝聰敏は昨年、フランス憲法委員会主席在任中のデュマを訪ねた後の記者会見で、台北、北京、アメリカ、そして南アフリカの「関係者」からフリゲート艦のリベートを受けたと明言したし、ジュンクール夫人も誰がリベートをもらっているか、北京が良く知っていると何度も報道陣に漏らしている。
しかし、この北京工作はどのように行なわれていたのか、今になっても情報が極端に少ない。というのも、リーリー・リュウもエドモンド・クアンも事件の後、行方がわからなくなったため、直接工作に携わった人の証言を得られなくなったからである。法廷に提出されたトムソンの秘密文書でもリーリー・リュウの北京工作は非常に役立ったという曖昧な表現にとどまっている。
この事件の調査に携わった台湾の政府筋によれば、この大掛かりな国際的な汚職事件に使われていた銀行口座は約700もあり、資金が流れていた国と地域は台湾、フランス、香港、中国、アメリカ、ドイツ、スイス、南アフリカなどだそうだ。だが、リーリー・リュウのところに流れたものほど纏まった金額はなかったという。その金額は、ざっと1億6千万USドルはあるらしい。
リーリー・リュウは、当初から神秘的な女性だった。良く一緒に行動をしていたというジュンクール夫人でさえ、彼女についてはそれほど語ることが出来ない。香港でどんな事業をやっているのか、何故北京側とパイプを持っているのかについても一切知らない。41歳だという割りにはずっと若く見える彼女はかなりの美人だが、写真を取ると誘われると何時もやんわりと断わっていた。事件後、ジュンクール夫人が香港へ行って彼女を尋ねたこともあったが、借りた事務所の主はすでに関係のない別人だったという。彼女が確実に存在していたことを証明するのは、ジュンクール夫人の元に残したリーリー・リュウの名刺1枚のみである。
しかし、デュマ元外相はすべてを知っているから、事実が暗闇に葬られることはないとジュンクール夫人は確信している。デュマはリベートを受取った全ての人の名前を載せたリストを持っているのだと彼女は言い、デュマ自身もそれをほのめかすような発言を繰り返した。しかし、このリストはフランス外務省の機密とされているため、果して公開がいつになるのか誰にも分からない。謝聰敏が陳水扁総統の名義でフランスに名簿を請求するようにと呼びかけていたが、これも実現には至らなかった。(つづく)
【ここまでの主な登場人物】
・ローランド・デュマ:−元フランス外相、フランソワ・ミッテラン元フランス大統領側近
・クリスティン・ジュンクール夫人:−デュマの元愛人、「共和国の娼婦」と「オペレーション・ブラボー」の著者
・アルフレド・シルパン:−エルフ・アキテーヌ社元ナンバー2
・ 汪傳浦(アンドリュー・ワォン):−トムソンと台湾の海軍に太いパイプを持つ兵器ブローカー
・リーリー・リュウ: −自称香港在住の女性実業家、北京工作に携わった工作員
・ エドモンド・クアン:−香港出身のカナダ籍ビジネスマン、台北工作に携わった工作員
・ 謝聰敏:−台北総統府国策顧問、法務部顧問
文 彬さんにメールは bun@searchina.ne.jp
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