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前明治大学長が唱える日本分断・連邦国家論

2001年01月21日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄

 明治大学の前学長の岡野加穂留(かおる)氏が「日本連邦国家論」を唱えていることを最近知った。おおまかにいうと現在の日本国を北海道、東日本、西日本、四国、中国、南日本の6つの国家に改組して国連に日本連邦を登録し、総会で代表権を6議席とろうというものである。

 興味深いのは北海道と南日本は大統領制をとり、後は議院内閣制にするという点。連邦内の国民の移動は原則自由にする「連邦内居住地自由選択制」も取り入れ、6つの共和国がそれぞれ民度を競い合う形で民主政治をより高度なものに仕立て上げることができるというのがその意図である。筆者が掲げてきた「独立北海道論」とほぼ同じ発想である。

 過去の国造りが戦争や宗教、イデオロギーを掲げた統合や分断だったことを振り返れば、いわば日本発の新たな民主主義の「国造り」哲学としてこの「分割論」を世界に問うことも可能ではないかと思う。

 岡野氏の発想の原点はアメリカ独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンにある。「ジェファーソン著作集」や「ヴァージニア覚え書き」(notes on the State of Virginia)などに描かれるジェファーソンの国家論は、日常生活が展開される「地方自治体こそが民主主義の学校である」という考えに裏打ちされているそうだ。

 ジェファーソンは純粋に大自然の中で農民だけによって構成される共和国が理想社会と考え、中央政府の権力の肥大化を恐れ、権力の分散・住民自治を力説した。彼はワシントン大統領下で、国務長官ををした後、第三代アメリカ大統領を務めたが、その後、故郷に帰りヴァージニア大学を創設し、自ら初代学長に就任。アパラチア山脈深いシェナンドー渓谷のモンテイセロで終焉を迎えた。

 名を遂げた人材が余生を故郷の教育者のために捧げるという発想は戦前まで日本にあったはずだが、戦後社会は人々にそうした余裕を失わせている。政治や経済の東京一極集中が強まる中で地域の価値観が次々と崩壊していったのが、20世紀後半の日本だった。明治政府という類い希な政権が誕生した背景に江戸時代の諸藩の多様な価値観が存在していたことをすっかり忘れたのも同じ時期の日本だった。

 一極集中の弊害を打開する試みは故田中角栄氏の「列島改造計画」にみられるように何度も試みられた。しかし皮肉にもその度に一極集中が進んだ。東京の発想を押しつける手法では地方は育たない。こんな単純なことがまだ多くの政治家や官僚の理解するところとなっていない。

 改革のアイデアも手法もそこに住む人々によって考えられたものでなければ、成功しないことは日本の途上国へのODAでも明らかになっているのに同じ発想が国内では通用していないことが不思議でならない。

 年頭のコラムで21世紀の地方の在り方を問うた出発点も実はここにある。地方が独立した政治や経済を運営する能力を失っているという反論を少なからずいただいたが、地域国家として日本がいくつかに切り離され、独立を余儀なくされた時、それぞれが新たな創造に向かうのかもしれない。

 20世紀には戦争によって国家が分断されたり統合され、新たな為政者によって国家改造が試みられた。しかし21世紀になって国家改造を目的に戦争を起こすような愚挙を起こすことは許されない。ならば自らの国家を切り刻んでそれぞれに独自の国造りをスタートさせるというのは理にかなった手法かもしれない。ほぼ1年前の2000年1月3日付け東京新聞に掲載された岡野氏のコラムを読み直して、そんな意を強くした。


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