10月最後の日曜日の昼下りに、台湾・香港映画研究家である友人とともに青山にある会員制ホテルにスー・チー(舒淇)を訪ねた。彼女は東京映画祭に参加するため、新作のロケ地・北京から東京に駆けつけてきたのである。友人は日本のスー・チーものの第一人者と自他ともに認めるほどのスー・チー通であり、スー・チーがまだ無名だった頃から彼女を取材してきたから、もちろん数え切れないほどスー・チーと会っているが、私には初めてだった。そもそも、スー・チーという女優の存在も2年ほど前にこの友人から教えてもらったのである。
スー・チーに同行してきたスタッフとの約束時間にホテルに到着したが、先着の取材者のインタビューが長引いたため、隣室で待たされた。寒さが増した秋の北京でのロケが辛かったとか、昨夜久し振りに渋谷のゲームセンターで思いっきり遊んだとかというスー・チーに纏わる秘話をスタッフからしばらく聞いたが、客室に案内されたのは約束時間よりすでに30分ほど経過したあとだった。そして、通りすぎた廊下にさらに取材を待つ人が立っているところを見て、スー・チーは日本でもすっかり有名になったなあと思った。
170センチもある長身のスー・チーは普段着のままで化粧もとても薄かったためか、初対面の印象は親しみやすかった。有名女優にありがちなわざとらしさも感じなかったし、来訪者の質問に時にはジョークを交えながら率直に、素直に答えるところは私が今までイメージしていたスー・チーの等身大の再現だった。
今、港台(香港と台湾)の芸能界でスー・チーほど幸運に恵まれた女優もさほど多くない。1997年第16回香港映画金像奬最優秀新人賞、最優秀助演女優奬を獲得して人気女優になって4年もの間、ジャッキー・チェン(成龍)をはじめ、大物との共演が多く、「ガラスの城」、「ゴージャス」などのヒット作にも相次いで主演していた。昨年の暮れ彼女が香港で「世紀を越えて活躍する10人」の一人に選ばれたほど大変な人気者になっている。そして今も人気上昇中で、台湾と香港ばかりでなく、中国大陸、韓国、日本にもスー・チーものがますます歓迎されるようになってきた。(日本では日本コカ・コーラからでているウーロン茶のCMにも出ている。)
一方、スー・チーはまた港台のパパラッチ(台湾や香港では「狗仔隊」と呼ばれる)の格好の狙いものでもある。彼女は高校在学中にモデルになり、19歳のときに「プレーボーイ」誌にスカウトされてヌード写真が大ヒットだったし、映画界へのデビューも「三級片」(ポルノ)からスタートしたからである。そのこともあって、今は良い意味でも悪い意味でももっともセクシーな女優としての印象が拭い切れず、一挙手一投足も芸能メディアに大きく取り上げられているし、過去のポルノものも正式なルートと海賊的なルートから大量に出まわっている。
だが、港台映画界の頂点に達したスー・チーはそんなことはさほど気にしないようだ。雨の日に追っかけてきてレストランの外でずっと待っているパパラッチをかわいそうに思い、中に呼び入れて一緒にビールを飲んだこともあった。また、空港で後ろにいる人に「あの人が「三級片」のスー・チーだ」と囁かれたとき、彼女はすかさず振り向いて「その通りです。人の陰口をいうときは相手に聞こえないようにしてください」ときっぱり言い返したそうだ。
中国語版「ヴォーグ」6月号の表紙モデルにスー・チーが採用された。本文にも彼女のセクシーな写真と無名のスー・チーを栄光の桧舞台に導いてきたマネージャーの文雋の手記が紹介されている。文雋はスー・チーのことをこう評価した。「スー・チーは一筋縄ではいかない性格。こちらも負けてないから、衝突はよくある。自分の娘みたいに思っているけど、時々とらえどころがないような感覚に陥る。彼女は典型的な牡羊座だ。衝動的で情熱的、あまり後先を考えずに行動を起こすタイプ」という。
訪問終了時、客を見送るスー・チーに私が彼女の原籍を聞いたら、「福建省です」と答えてくれた。そういえば、確かにスー・チーの顔に南国福建省の女性の面影があるような気がしていた。彼女は1976年生まれで25歳。間違いなく世紀を越えて活躍する人になると思っている。
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