党支部の会合に向かっていたアウンサンスーチーほか13名の国民民主連盟(NLD)一行がヤンゴン郊外で当局の手で足止めを食らって、野外で車中ろう城を初めて以来1週間が過ぎた。
足止めの理由は、前回1998年の車中ろう城の時と同じ理由、つまり、一行が訪問しようとしている地域は、反政府ゲリラの出没地であり、当局としてはアウンサンスーチーの身辺の安全を保証できないからだという。
しかし、その地域にはそのようなゲリラは存在しないし、ヤンゴンの郊外が危険であるという声明は、90年代半ばに武装少数民族集団のほとんどと休戦協定を結んで以来、「ビルマ全土が、独立後かつて例を見ない平和を享受している」という当局のいつもの主張に反している。
今回の事件は、ビルマ国内政治の異常な現状を再び明らかにした。正規に登録されている政党が通常の党活動に従事できない。それは、党の指導者が地方支部に赴くことが許されていないばかりでなく、党の出版活動の禁止、ビルマ民衆との対話集会の禁止、アウンサンスーチーの私設秘書の逮捕・拘留などさまざまな形で現れている。
しかもこの政党は1990年の総選挙で国会の議席の80%以上を獲得した本来ならば政権党となっている政党である。軍事政権(SPDC)は選挙の結果を認めず、政権のNLDへの移譲は実現しないまま、両者の対立は膠着状態が続いている。
しかし、ビルマは現状のままを続けることはできない。97年以来の海外投資の激減などで、90年代初め上向きかけていた経済がいまや壊滅状態にある。毎年30%から50%のインフレが続き、庶民は生活必需品を手に入れることがますます難しくなってきている。また、福祉や教育がおざなりにされていて、国の将来をになう若い世代が「見捨てられた世代」となろうとしている。
外敵の脅威はないにもかかわらず、国家予算の約40%が軍事に費やされており、これらは民主化運動弾圧と辺境地帯の少数民族との戦いに使われている。山岳地帯の農民たちは、阿片やヘロインの原料であるケシを栽培するしか生計の途がない。当局は、武装少数民族集団との停戦の見返りとして、彼らの麻薬取り引きを黙認している(麻薬取り引きに関与して儲けている軍人たちもいる)。これらの麻薬は、近隣諸国だけでなく西欧諸国へも大量に流入しており、流入先の国々の最大の脅威の一つとなっている。
また、公衆衛生が整備されていないため、近隣諸国に対しエイズをはじめさまざまな疾病の発信源となっている。近隣諸国との国境問題は大部分未解決で、軍事政権の「武力外交」が地域の緊張要因となている。内戦および迫害から逃れる難民(国内避難民は50万人から100万人と推定)の近隣諸国への流出はいまだ続いており(国外難民約20万人)、地域の不安定要因となっている。
また、東南アジアの他の「開発独裁」諸国に比べ、SPDCは国の経済発展をになう人材を海外留学などにより育成していない。結果として専門職など中産階級が育っておらず、かりに専門職がいたとしても、国外か、NLDか、刑務所のなかにいる。
孤立したSPDCは、武器その他の物資を供給する中国にますます傾斜している。このままでは、ビルマは中国の属国になるかもしれないとの見方もある。現に、中国雲南省に近いビルマ第2の都市マンダレーは、中国人の大量流入により急速に中国化しているという。
そして中国は、インド洋に浮かぶビルマ領ココ島の軍事使用権を得、同時に雲南省からイラワジ川を通り、マンダレーを通過してインド洋に抜ける軍事ルートを確立しようとしている。中国のインド洋への進出は、インドの重大関心事であるばかりでなく、インド洋に原油輸入ルートをもつ日本にとっても懸念事項となる。
これらの問題は、国の将来を決定するビルマ国内の3大勢力つまり、NLD、SPDCおよび少数民族の代表の間に和解が生まれていないことに発する。NLDはビルマ国民の圧倒的多数の支持を得ており、少数民族は国の人口の30%を占めるのに対し、SPDCは支持基盤がなく、軍事力と中国の後ろ盾によってのみ、権力を維持している。もし3者のあいだに和解が生まれれば、上記のような国内の軍事化とそれから生じる弊害の解決への道が開けることになろう。
NLDは、早くから、SPDCに対し問題解決のための対話を呼びかけている。またSPDCの将軍たちを人権抑圧のかどで罰したり報復したるすることはない、国軍は将来のビルマで重要な役割をになうであろうと繰り返し言っている。しかし、SPDCの軍人たちにとってNLDとの対話は、自分たちの弱さを認めること、不名誉なことであると考えているようである。
彼らは、NLDを「粉砕」もしくは「抹殺」することしか考えていない。国内最大の武装勢力であるカレン民族同盟(KNU)も、カレン族をはじめ少数民族の問題は、武力ではなく政治的な話し合いによってしか解決しないことを認めている。しかし、SPDCはKNUの無条件の投降と武装解除を話し合いの前提条件としてあげており、それはカレン族に不可能を強いるものである。
対話を拒み続けているSPDCの将軍たちの一番の問題点は、彼らは対話の意味するところを知らないということである。ある問題について、異なった意見、ものの見方を突き合わせることによって、共通の理解と問題解決への糸口への合意を得るという民主的プロセスに習熟していない。
NLDは、将軍たちの見方も対話を通じて最終の結論に大きく寄与することを保証している。しかし、SPDCは対話を拒み続けている。その理由は、NLDが敵対的態度(SPDCを批判したり、外国政府に経済制裁を呼びかけたりなど)を取り続けているという理由によるものである。これに対し、NLDは、建設的な批判は野党の役割であり、このような批判や経済制裁などの外圧がなかったらSPDCは自己満足におちいり、決して対話の必要を感じないだろうと考えている。
冷戦後の世界秩序のキーワードは、リベラル民主主義と人権である。人権侵害は一国のみならず地域全体の安全を脅かす、また、人権侵害がこの地上のどこで行われようとその下手人は罰せられなければならないという考えが台頭してきている。それで、ビルマの将軍たちが、彼らの人権抑圧のために、将来「国際刑事裁判所」で裁かれる可能性がでてきた。
そのとき、彼らを国際社会の非難から擁護するのはなんとNLDとビルマの人々だとのことである(NLDの「赦しの思想」については、拙訳のアウンサンスーチー著「希望の声」岩波書店
を参照していただきたい)。皮肉なことにSPDCは、自分たちの唯一の擁護者を滅ぼそうとやっきになっている。このことをSPDCの将軍たちに分からせる第3者が必要である。日本政府がその役割を演じられるかもしれない。
日本政府はこれまで、太平洋戦争当時日本で軍事訓練をうけたネウィン将軍などとの戦前からの個人的つながりによって、軍事政権よりの政策を取り続けてきた。しかし、キンニュン将軍やマウンエイ将軍など若い世代が台頭し、彼らとは特別のつながりをもたない日本政府は、ビルマへの影響力を、他の国とりわけ中国に奪われることを恐れている。それが、ビルマ国内の民主化の遅れや人権問題に対して強い態度をとれない理由の一つとなっている。
日本政府がやっていることは、軍事政権が日本から離れないように、一定の期間ごとに何らかの支援を行う一方で、すこしでも態度軟化の兆しが見られるや、ただちになんらかの見返りを与えるというものである。軍事政権もそのような日本の足元を見透かして、ジェスチャーとしての態度軟化を示して見返りを受け取るという、一種の「茶番劇」を日本政府と演じてきている。
結果として、日本政府のやりかたはビルマの国内状況の改善にほとんど寄与していない。そして、日本は「アメとムチ」ならぬ「アメとアメ」の政策を行っているとみられ、国際的な信用を失いつつある。かといって、人権や民主主義のような特定の価値観を掲げるような「道義外交」は今の日本政府にはできそうもない。
今後、日本はSPDCだけでなく、NLDさらに少数民族の代表たちとも関係を深める必要がある。そこからさらに一歩進めて、3者の和解に向けてさらに積極的な役割を演じることが求められている。日本は、とりわけNLDとSPDC双方の立場をよく理解でき、また両者を仲介できる立場にある。
これに対し、リベラル民主主義と人権を旗印とする欧米諸国は、SPDCにプレッシャーをかけてその力を弱めることはできるものの、NLDとSPDCの間をとりもつようなことはできない。日本はこの恵まれた立場を大いに生かすべきである。東南アジアの民主化は不可避であり、ビルマもその例にもれない。
日本政府が、ビルマ国民の支持を得ていないSPDCよりの路線をこれまでどおり続けていけばいくほど、ビルマ国民の日本への信頼はますます損なわれるであろう。ビルマの国内紛争の当事者それに近隣の関係諸国全部を含めた対話の実現に向けて日本がイニシアティブをとることが強く求められている。日本政府に求められていることは、欧米諸国のような特定の価値観のアドボカシーではなく、異なった立場の間をとりもつ仲介者としての役割であろう。
1978年、京都大学文学部(アメリカ文学専攻)卒。佐賀県庁勤務。
1989年、シンガポールで、日本語の専任教師。
1991年、英国ブラッドフォード大学で平和学修士号取得。
1992年、マレーシアへ。マレーシアの国際団体(NGO)であるジャスト・ワー
ルド・トラスト研究員、 サラワク大学で教鞭。
1995年 英国ブラッドフォード大学で平和学博士号取得
1999年、ニュージーランド、オークランドへ。
7月から非常勤でオークランド大学で、「ビジネス日本語」担当。8月14日には、
オークランド工科大学(AUT)で、「アジア太平洋の政治経済学」というテーマの
講義をゲスト講師。
ビルマの国内問題に関心を持ち、英語で小冊子 ”Aung San SuuKyi’
s Struggle : Its Principles and Strategy”
その他の論文を発表したほか、今年の7月、アウンサンスーチー著「希望の声」を翻
訳して岩波書店から出版した。
大石さんにメールはmikio@zfree.co.nz
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