6月25日の衆院の投開票日はあまりに低い投票率に落胆したり、夜半の自民党が229議席割れのニュースに高揚したりと起伏の激しい一日だった。結果は承知の通り、自民党233(改選前271)、公明31議席(42)、保守7議席(18)の計271議席(331)。「与党3党の安定多数獲得」だった。朝日新聞や読売新聞は「自公保が後退、民主躍進」と1面に横見出しをとったが、改選前の3党の議席総数がものをいい、現実には安定多数の254議席を上回った。
開票が終わって感じたことは、このの有権者の総意は「変わりたくないということなのだろう」という現実だった。もちろん一票の格差の問題はあるが、日本という国を構成する農村部の圧倒的多数は自民党を中心とした現状維持派を支持し続けたのである。
職場で「主要国で1990年代に政権交代がなかったのは日本だけだ」とさけんだら、「細川政権があるじゃん」といわれた。1年足らずだが細川・羽田政権が存在したことは確かだが、主なメンバーはみんな経世会を割って出た人たちでしかなかった。野党が政権に就いたということではない。
今回、野党である民主党を中心とした政権が生まれていたら、本当の意味の政権交代を味わえるはずだった。民主党が95議席から127議席に躍進したといっても過半数を取らなければ政権を獲れないのが民主主義の冷徹なルールである。
昨夜からいささか悩ましいのは、本業としてやっているマスコミの仕事で、われわれは「世論」「世論」といいながら実は世論を代表していないのではないかという疑念がわき起こっているからである。萬晩報は多分に自己主張を全面に押し出す私的”メディア”だから問題はないが、本業の方ではそうもいくまい。
きっと日本の国民はそれなりに幸福でいまの政治体制に目くじらを立てるほどの不満を抱いていないのである。一人あたりGDPは世界有数の水準(為替ベース)だし、経済がどんなに非効率だっていまだに夜中の繁華街を若い女性が一人で歩けるほど安全であるのも事実。
金融機関の巨額の不良債権を国が肩代わりしたり、意味のない公共事業を続けたところで、いますぐわれわれの懐が痛むわけではない。第一、借金が645兆円といったところでゼロがいくつ並ぶか分からないほど実感のない数字なのだ。本当のところをいえば筆者だって経済記者になって日本の借金体質の重みが分かるまで10年近い年月を要したのだ。
そう現代の日本人はアリのように働きながらキリギリスのように考える民族なのではないかと思えてきた。
総選挙特集態勢と名打って100人以上の「読者の声」を9回に分けて掲載してきた。それなりに面白かったとの感想をいただいた。メールアドレスを付けたため個別に論争していただいた部分もあったのではないかと想像している。紙面を借りて感謝するとともにご意見をいただきながら紙面に掲載できなかった方々にはお許しを請いたい。
最後にカナダからいただいた読者のメールで総選挙特集を締めくくりたい。感謝。多謝。
母国への思い
日本は、経済危機といって騒いでいますが、わたしたち海外に居住するものの目には、「不景気」には、とても映りません。ここカナダの私たちの周りは、ゆっくりと、動いています。
今年1月、日本への帰国、東京に滞在の折に感じた事は、新幹線は、相変わらず時間どおりに、びゅんびゅん走っているし、交通機関は活気があり、幹線道路は排気ガスを出す大型車で一杯でした。繁華街には、衣類をはじめ、物が相変わらず豊富で、種類も一杯ありました。
相変わらずの狭い住居、高い物価、そして自然のグリーンのない、憩いがないコンクリートジャングルではありますが、母国は、何をそんなに景気が悪いといって、意気消沈し、急いで景気立て直しに躍起し、突っ走るのか。潤いのないコンクリートジャングルを沢山建築しても、死んだ都市。Bubbleの絶頂期の頃のいい思いを、今一度と焦っているんではないですか。
抽象的な景気よりも、具体的な、世界に負けない都市環境の充実、豊かな社会資本を作り上げていきたいですね。戦前の忌まわしい「勅語」めいたもので、国民を叱咤激励したり、リストラと言って、首をきるのではなく、個性を生かした良い方法が、もっとあるのでは。
今まで、経済界を含め、社会全体がそうであった年功序列の護送船団方式、すなわち、全体主義的発想でしたが、その根源の点数主義教育から脱出し、これからは、国民個々の個性を伸ばす方式に、発想の転換を計るべきです。
物質、お金も大事ですが、その至上主義から、もっとゆったりした世界から注目される文化至上主義を目指すべき時でしょう。今後100年は、物価の安い、住み心地の良い、世界から愛される「母国」へと成長して、子孫への遺産として欲しい。(Isaak, Vancouver)
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