今週の月曜日(5月22日)は、東芝在籍41年の辣腕副社長古賀正一氏にとって、恐らく最も手に余る問題に直面している日に違いないであろう。
北京の中国大飯店で記者2百名以上の報道陣の前に座ること3時間、氏の表情は始終強張っていたし、言葉にも色彩が乏しかった。棒読みに等しい釈明の後、興奮した若手記者から矢継ぎ早に浴びせかけられる感情的ともとられる質問に半ば機械的にただただ事前に用意したと思われるコメントを繰り返すばかりだった。
それもそのはずである。東芝は、自社のノートパソコンのフロッピーディスクに使用されている制御装置の不具合でデータが壊れる恐れがあるとして、米国の消費者から損害賠償を求められ、昨年総額千百億円を支払ってようやく和解に漕ぎつけたばかり。
同じ問題で損害賠償に発展しかねない、あるいは長年培ってきた消費者の信用を失墜しかねないと危惧されている中国大陸でのトラブルに対し、東芝は否応無しに真剣に、且つ慎重に対応せざるを得なくなったのである。
もちろん、東芝がもっと危惧しているのは、これ以上対応を怠慢すると、国民感情を逆撫ですることになり、通信、医療設備、家電製品、発電など多岐に展開されている東芝の中国事業に挽回できないほどの打撃を与えてしまうことであろう。
しかし、古賀氏の釈明は東芝の期待通りの効果を得られるはずもないようだ(東芝は、事態がここまでになって、1回だけの記者会見ではことが収拾できないだろうと元々覚悟していたのかも知れない)。来場者ももちろん古賀氏の釈明には満足できないし、中にはいくら質問しても、同じ答えしか返ってこなかったため、これ以上の情報が得られないと憤然として席を蹴った若手記者も多かった。
会場を後にしたあるネットライターが書いた記事の中で、とある名セリフをチャカして、「今終わったのは、間違った時間に、間違ったところで、対象を間違えて行なった、間違った記者会見だった」と東芝の対応を皮肉った。
「悲運の改革者」とも呼ばれている西室泰三東芝社長がトップの座を後任に譲らざるを得なくなった一因にもなっているテキサス州で起こしたパソコン訴訟は昨年の10月末に10.5憶ドルの和解金の支払いで一応沈静化した。この事件が何故今の時期に再燃したのか、と不思議がる人も多いだろうが、事件の経緯を振りかえれば今回の騒動の必然性が見えてくるし、東芝側の硬直な体制の弊害と事無かれ主義による怠慢が露呈されてしまう。
東芝は昨年10月29日に和解訴訟を受け、翌月の1日に日本国内での同社ユーザーへの対応方法を明らかにした。そして 11月3日から修正用のソフトを無償配布するほか、修理窓口でも対応するような処置を取った。しかし、東芝の善後処理はここまでにほぼ止まった。
中国におけるノートパソコン市場の22%のシェアを占めるにもかかわらず、東芝はテキサスでの訴訟和解を中国総代理店には情報を交換したが、ホームページによる無料修正ソフト(Software Patch)を配付する以外、ユーザーへの直接の説明は何もしかった。しかも、その修正ソフトの説明文も英文しかないので、不親切極まりないと言われてもまったく弁解の仕様もない。実際、多くのユーザーは今回の騒動によって、初めて訴訟和解や修正ソフトのことを知ったのである。
西室氏は、テキサス州のユーザーの集団訴訟に対して、東芝はあくまでも法的責任や製品の瑕疵を否認し、最後まで対抗する構えだったが、テキサス州では「被害の可能性」も処罰の対象になるなど、メーカーには不利な法律を活用する場合、敗訴時には東芝の存亡そのものにかかわる100億ドル以上もの巨額賠償金の支払いを命令される可能性もあることから、原告と和解することにしたという。
また、記者の質問に対しても、米国のユーザーに支払ったのは和解金であって賠償金ではないと強調した上、米中の法律の違いから、中国のユーザーに賠償金を支払うことはないとの繰り返しに始終させた。
これは、今までの東芝側の説明と比べて何ら新味のないものだが、無意識の中で中国のユーザーと米国のユーザーというふうに対立させてしまうようになってしまうものなので、結局、火に油を注ぐことになる一方である。このような状況下では「和解という苦渋」への理解を中国ユーザーとマスコミに求めたとしても明らかに無理なことである。
報道陣から「製品に自信があるなら、なぜ最後まで訴訟を戦わないのか、米国の何を恐れているのか」、「製品に瑕疵がなければ、なぜ修正ソフトを配付するのか」などの厳しい質問に追い詰められた西室氏は返答に窮する場面がしばしばあった。
西室氏記者会見の翌々日、中国消費者協会と中国工商時報社が共同で「東芝ノートパソコン事件」を題に討論会を行なった。出席の大方の法律専門家は東芝の弁明に異議を唱えた。中国は米国ほどの厳しい消費者保護法がないが、現行の「消費者権益保護法」、「製品品質法」及びその他の関連法律で東芝を法廷に引きこませる可能性は十分あるとも言われている。中国消費者協会の責任者も提訴する消費者が現れれば協力するとの姿勢を示した。
今までも、東芝は一度訴訟に巻きこまれたことがあった(東芝カラーテレビ騒動)。また、豊田(豊田スポーツカー騒動)とミノルタ(ミノルタカメラ騒動)も法廷で争った結果、敗訴したことがある(「中国経済時報」より)。
しかし、中国の法律の特殊性によるものなのか、何れも僅かな賠償金でことが済んだ。ただ、企業にとって賠償金よりももっと大切なものがあるはずだ。それは消費者に対する責任感から得られた信頼感と安心感である。そして、海外で事業を行なう場合、現地人に差別を感じさせるような行動が最大の禁物である。
既に東芝製品の販売を中止すると宣言した販売会社が出たという。東芝のこれからの出方によっては更に問題が深刻になる可能性がなくなったわけではない。過去15年間世界で1,500万台ノートパソコンを売りさばいた実績のある東芝は、競争がますます熾烈化される世界の市場で栄光を保つためには体質を改善してもっと各国のユーザーを平等に、そして謙虚に対応する姿勢を見せなければならないようである。(2000.05.24)
文 彬(ぶん・ひん)氏 遼東半島大連生まれ。遼寧師範大学、北京語言文化大学(大平学校)及び北京外国語大学(日本学研究センター)で勉強した後、1989年末来日。帝京大学大学院を経て、現在はソフト開発会社に勤務。
文さんにメールはbun@searchina.ne.jpへ
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